Re: 十二国記見ました−どの方角を目指すか
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2007/10/19 12:12 投稿番号: [147066 / 196466]
>>また、古代王朝を支えてきた、農具や武器に至るまで「創意工夫を凝らしさまざまなメカニズムを作り上げてきたある民族」がいたはずですし、「今も東アジアのどこかにはその末裔たちがいる」はずで、その「匠の技」は土木技術にせよ農作物の品種改良にせよ芸術、料理、酒に至るまで「突出していておよそ隠せるものでは有り得ない」はずですが、大陸の戦乱に告ぐ戦乱の中で「一体どこに避難してしまった」と考えるべきでしょうか。(私には今のチャイナには見出せません。)
>共産党の追い討ちによって壊滅状態でしょうな
古代より中国地域で王朝が倒れたとき、一般市民や下級兵士はともかく、「王族」や「将軍」は新王朝で生きていけませんし、焚書坑儒にみられるように「学者」や「文化人」「宗教家」も弾圧の対象になり兼ねませんから、「新王朝の支配地域から逃れる」必要がありますし実際に文化文明を作り上げてきた学者や職人たちもともなう必要があります。(「大阪城を建てた」のは「大工さん」というのは、ただのジョークではなく真実でもあります)
問題は、「北狄」 のいる凍土の「北」に逃げるか、南蛮のいる熱帯の「南」に逃げるか、「西戎 」のいる山脈・砂漠の「西」か、「東夷」のいる海のある 「東」かということです。
そして、孔子が「東夷だけは三方(北狄・南蛮・西戎)と異り、「仁賢」の化である」と述べ、「太陽が昇る東の海の向こうに神人が澄む蓬莱がある」と言われるように、「どうせ命を賭けて移り住む」なら、「文化文明が保存される」可能性を考え、そして「天意に命運を託した」のではないでしょうか。
これは メッセージ 147017 (bakataijzamurai さん)への返信です.
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