Re: 一つの判断基準1
投稿者: circinus48 投稿日時: 2007/10/19 08:49 投稿番号: [147061 / 196466]
第二次大戦中、アメリカと交戦国だった日本の当て馬として中国を持ってこられた存在である。(まかり間違っても朝鮮は持ってこない。)
中国こそが、東アジアにおける立派な国で、日本はそうでないという、その理由が、それこそ、アジア史について、何一つ、かけらほども知識を持ち合わせないアメリカが、交戦国であった日本と、交戦国でなかった中国という、ただそれだけの理由で、日本の当て馬として中国を持ち上げただけのことである。
そして、その近代史のどさくさに手に入れた日本に対する当て馬としての地位を、今もいい気になって受け入れ続けているのが中国共産党。
しかし、戦後、中国が日本と比べるべくもない非民主的で残虐な国だということを、ことあるごとに知ることになった世界。
この先、もし、仮に、中国が欧米と対決姿勢を強めたとしたなら、まあ、間違いなく、将来的に、中国へ対する対抗馬として持ち上げられるのが日本ではありそうである。
(間違っても朝鮮半島が選ばれることはない。どれほど朝鮮人がその地位を渇望したとしてもだ。朝鮮人なんか当て馬にしたところで、ほどなく、かつての歴史同様、どうぞ踏んで下さいニダと、中国に頭を差し出すのがオチだ。)
しかし、対抗馬にするにしても、日本は、中国とあまりに差があり過ぎているので、そういった昔ながらの小手先の情報戦略はなされないかもしれない。
第二次大戦中の日本に、東アジア史をかけらも知らないアメリカ人が、適当に、中国を当て馬に利用したのは、それが完全に本当ではなかったからだが、現在の日本は、中国への当て馬として当て付けるレベルに甘んじている国ではない。
それゆえ、当て馬どころか、あまりにその差に真実味がありすぎるため、日本は、当て馬として、いい気でい続けた中国と同じレベルの扱いを今後受けることはないと思われる。
とはいえ、アメリカ人が、日本人については見誤り、中国人について一切見誤っていない、どっちかをちやほや持ち上げることで、どっちかがいい気になったりへこんだりというのは、中国人に対しては間違いない戦略といえるだろう。
特に、日本人と比べられて、戦前、戦中、戦後、一度も日本に圧勝した覚えのない(ただ勝つだけでは気がすまず、圧勝しなければ気が収まらない漢民族的発想)の中国人が、日本に対する、実力の伴わない当て馬にされたことを、いまだ嬉々として受け容れ続れtることで、プライドをかろうじて維持する中国人には、結構、効果絶大かもしれない。
中国には、香港や上海のような、今では夜さえ進むべき方向が分かる、きらびやかな光という、世界の莫大な外資に示してもらった道しるべがあるがゆえに発展した。おてんとう様の真下でさえ進むべき道が分からず右往左往していただけの今までの中国人が夜さえ迷わずどこを目指せばいいか分かるようになったのである。
だが、実を言うならば、最初に産業革命を果たしたイギリスも、それに続いたヨーロッパ各国も、独立後のアメリカも、維新後の日本さえも、今の中国のように、どこに進めばいいか、どうすればよいか、一切迷うことのない道しるべのある、至れり尽くせりの出発をしたのではない。
中国が本当に、胸を張って、自国の発展を誇れるのは、自助努力で、世界の誰もどの国も成し遂げたことのない、生産的で建設的な、本当に人類の役に立つことを成し遂げた時である。何をすべきか、何が成功例となったか、何もかも示してもらうばかりで、自助努力で作り出すものがなく、そのくせ我がまま放題に、人の持っているよさげなものは、あれもほしいアル、これもほしいアル、全てほしいアルと言ってるだけでは、自分がパイオニアになる道は遠い。
しかし、中国の歴史というのは、自分で創意工夫して何かを作ってきた文化ではない。
侵略によって、滅ぼした民族の文化、特に食文化(他の文化や文明はあっても、おそらく理解できなかったか、食う以外に一切の興味がなかったか)で、他民族の食文化を盗むか真似ることしかしてこなかったという中国四千年の歴史的経緯がある。
四千年繰り返されてきた略奪の歴史が、たかだか四年だの四十年だので、いきなり自分自身で何かを生み出す、創意工夫の歴史へと華々しく移行するというわけには、なかなかいかないのだ。
中国こそが、東アジアにおける立派な国で、日本はそうでないという、その理由が、それこそ、アジア史について、何一つ、かけらほども知識を持ち合わせないアメリカが、交戦国であった日本と、交戦国でなかった中国という、ただそれだけの理由で、日本の当て馬として中国を持ち上げただけのことである。
そして、その近代史のどさくさに手に入れた日本に対する当て馬としての地位を、今もいい気になって受け入れ続けているのが中国共産党。
しかし、戦後、中国が日本と比べるべくもない非民主的で残虐な国だということを、ことあるごとに知ることになった世界。
この先、もし、仮に、中国が欧米と対決姿勢を強めたとしたなら、まあ、間違いなく、将来的に、中国へ対する対抗馬として持ち上げられるのが日本ではありそうである。
(間違っても朝鮮半島が選ばれることはない。どれほど朝鮮人がその地位を渇望したとしてもだ。朝鮮人なんか当て馬にしたところで、ほどなく、かつての歴史同様、どうぞ踏んで下さいニダと、中国に頭を差し出すのがオチだ。)
しかし、対抗馬にするにしても、日本は、中国とあまりに差があり過ぎているので、そういった昔ながらの小手先の情報戦略はなされないかもしれない。
第二次大戦中の日本に、東アジア史をかけらも知らないアメリカ人が、適当に、中国を当て馬に利用したのは、それが完全に本当ではなかったからだが、現在の日本は、中国への当て馬として当て付けるレベルに甘んじている国ではない。
それゆえ、当て馬どころか、あまりにその差に真実味がありすぎるため、日本は、当て馬として、いい気でい続けた中国と同じレベルの扱いを今後受けることはないと思われる。
とはいえ、アメリカ人が、日本人については見誤り、中国人について一切見誤っていない、どっちかをちやほや持ち上げることで、どっちかがいい気になったりへこんだりというのは、中国人に対しては間違いない戦略といえるだろう。
特に、日本人と比べられて、戦前、戦中、戦後、一度も日本に圧勝した覚えのない(ただ勝つだけでは気がすまず、圧勝しなければ気が収まらない漢民族的発想)の中国人が、日本に対する、実力の伴わない当て馬にされたことを、いまだ嬉々として受け容れ続れtることで、プライドをかろうじて維持する中国人には、結構、効果絶大かもしれない。
中国には、香港や上海のような、今では夜さえ進むべき方向が分かる、きらびやかな光という、世界の莫大な外資に示してもらった道しるべがあるがゆえに発展した。おてんとう様の真下でさえ進むべき道が分からず右往左往していただけの今までの中国人が夜さえ迷わずどこを目指せばいいか分かるようになったのである。
だが、実を言うならば、最初に産業革命を果たしたイギリスも、それに続いたヨーロッパ各国も、独立後のアメリカも、維新後の日本さえも、今の中国のように、どこに進めばいいか、どうすればよいか、一切迷うことのない道しるべのある、至れり尽くせりの出発をしたのではない。
中国が本当に、胸を張って、自国の発展を誇れるのは、自助努力で、世界の誰もどの国も成し遂げたことのない、生産的で建設的な、本当に人類の役に立つことを成し遂げた時である。何をすべきか、何が成功例となったか、何もかも示してもらうばかりで、自助努力で作り出すものがなく、そのくせ我がまま放題に、人の持っているよさげなものは、あれもほしいアル、これもほしいアル、全てほしいアルと言ってるだけでは、自分がパイオニアになる道は遠い。
しかし、中国の歴史というのは、自分で創意工夫して何かを作ってきた文化ではない。
侵略によって、滅ぼした民族の文化、特に食文化(他の文化や文明はあっても、おそらく理解できなかったか、食う以外に一切の興味がなかったか)で、他民族の食文化を盗むか真似ることしかしてこなかったという中国四千年の歴史的経緯がある。
四千年繰り返されてきた略奪の歴史が、たかだか四年だの四十年だので、いきなり自分自身で何かを生み出す、創意工夫の歴史へと華々しく移行するというわけには、なかなかいかないのだ。
これは メッセージ 146989 (nakws6 さん)への返信です.
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