Re: 朝青龍(3)cobapics0506zさんへ1
投稿者: run_run72 投稿日時: 2007/08/26 09:09 投稿番号: [144667 / 196466]
おはようございます。
早速のレスありがとうございます。
秦の時代の焚書坑儒に関しては、
博士官が保存する書物は免れた、ということであれば、おっしゃるとおり、
徹底的に「焚書」されたわけではないでしょうね。
しかし、時代が下り、たとえば、孔融の九族、
方孝孺の十族を滅ぼした件が、
「徹底的」ではない、とどうしていえるのですか?
思想犯の血族を文字通り、根絶やしにしているのですが。
「徹底的」ではありませんか?
>>日本で、思想犯の血族を滅ぼした、と言う事例を、
>>ほとんど思い当たらないんですが。<
>思い当たらなければ、調べればいい。
悪いけど「思い当たらない」というのは、僕から見ればですよ、この場合【隠しておきたい】と同じ意味しますが。
wiki やネットで調べる程度では見つかりません。
また、寡聞にして、例を知りません。
ここにおいでの方で、ご存知の事例があれば、是非ご教示ください。
隠しておきたい?
そうお考えになるのは自由ですが、
また、なぜそうお考えになるのかは興味深いですが、
実際非常に稀でしょうね。
私が先にあげた、野中兼山の例だって、
儒者としての思想によって罪に問われたわけではなく、
長年、藩政にたずさわった彼が、失政をとがめられたというものです。
ですから、思想犯、というカテゴリーには入らない。
また、橋本佐内、吉田松陰等々、一族が誅されたということはありません。
さて、日野資朝ですが、
彼は、北朝方から見れば、謀反人の首魁ですよ。
儒学を学んだからといって、思想の故に処刑されたわけでないことは、
「後醍醐の討幕計画では中枢にいた」と、ご提示の記事にもあり、
単なる思想犯でないことは明らかですが。
>>1321年に後宇多院に代わり親政をはじめた後醍醐天皇に重用されて後醍醐とともに宋学(朱子学)を学び、後醍醐の討幕計画では中枢にいた。1324年に計画が北条氏が朝廷監視のために設置していた京都の六波羅探題に察知された正中の変では日野俊基らとともに捕縛されて鎌倉へ送られ、佐渡島へ流罪となる。1331年に後醍醐老臣の吉田定房の密告でふたたび討幕計画が露見した元弘の変が起ると、資朝は佐渡で処刑される。<
>思想的にこれは22・6事件辺りまで尾を引いたのです。
南朝側を忠臣とする見方は幕末あたりからありましたが、
これは多分に心情的なものであると思いますが。
余談ですが、日野資朝の一子、阿新丸が、
佐渡で父の敵討ちをしたという太平記のエピソードは、
「壇風」という能にもなっています。
親族に、阿新丸の子孫と称する一族までいますから、
懐かしい名前ですね(笑)
>>本来、宗教や思想の弾圧の話をしていたと思う。なぜあなたは
>>わざわざ、十族としたのは、連座して殺されたのは、九族どころか、おっしゃるとおり、弟子や使用人まで殺されたからです。<
>の話に持っていくの?使用人の誰が殺されたの?根拠は?
思想犯の九族、十族を弾圧することが、
人間に畏怖を与えませんか?
十分すぎる異なる思想、宗教への弾圧であり、脅迫となるでしょう。
方孝儒の例では、WIKIの記載を再掲しておきましょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E5%AD%9D%E5%84%92
使用人の誰が殺されたか根拠は、と言われるに至っては、
難癖に近いですね。
義経が男だったことを証明せよ、といわれても状況証拠しかあげられませんよ。
早速のレスありがとうございます。
秦の時代の焚書坑儒に関しては、
博士官が保存する書物は免れた、ということであれば、おっしゃるとおり、
徹底的に「焚書」されたわけではないでしょうね。
しかし、時代が下り、たとえば、孔融の九族、
方孝孺の十族を滅ぼした件が、
「徹底的」ではない、とどうしていえるのですか?
思想犯の血族を文字通り、根絶やしにしているのですが。
「徹底的」ではありませんか?
>>日本で、思想犯の血族を滅ぼした、と言う事例を、
>>ほとんど思い当たらないんですが。<
>思い当たらなければ、調べればいい。
悪いけど「思い当たらない」というのは、僕から見ればですよ、この場合【隠しておきたい】と同じ意味しますが。
wiki やネットで調べる程度では見つかりません。
また、寡聞にして、例を知りません。
ここにおいでの方で、ご存知の事例があれば、是非ご教示ください。
隠しておきたい?
そうお考えになるのは自由ですが、
また、なぜそうお考えになるのかは興味深いですが、
実際非常に稀でしょうね。
私が先にあげた、野中兼山の例だって、
儒者としての思想によって罪に問われたわけではなく、
長年、藩政にたずさわった彼が、失政をとがめられたというものです。
ですから、思想犯、というカテゴリーには入らない。
また、橋本佐内、吉田松陰等々、一族が誅されたということはありません。
さて、日野資朝ですが、
彼は、北朝方から見れば、謀反人の首魁ですよ。
儒学を学んだからといって、思想の故に処刑されたわけでないことは、
「後醍醐の討幕計画では中枢にいた」と、ご提示の記事にもあり、
単なる思想犯でないことは明らかですが。
>>1321年に後宇多院に代わり親政をはじめた後醍醐天皇に重用されて後醍醐とともに宋学(朱子学)を学び、後醍醐の討幕計画では中枢にいた。1324年に計画が北条氏が朝廷監視のために設置していた京都の六波羅探題に察知された正中の変では日野俊基らとともに捕縛されて鎌倉へ送られ、佐渡島へ流罪となる。1331年に後醍醐老臣の吉田定房の密告でふたたび討幕計画が露見した元弘の変が起ると、資朝は佐渡で処刑される。<
>思想的にこれは22・6事件辺りまで尾を引いたのです。
南朝側を忠臣とする見方は幕末あたりからありましたが、
これは多分に心情的なものであると思いますが。
余談ですが、日野資朝の一子、阿新丸が、
佐渡で父の敵討ちをしたという太平記のエピソードは、
「壇風」という能にもなっています。
親族に、阿新丸の子孫と称する一族までいますから、
懐かしい名前ですね(笑)
>>本来、宗教や思想の弾圧の話をしていたと思う。なぜあなたは
>>わざわざ、十族としたのは、連座して殺されたのは、九族どころか、おっしゃるとおり、弟子や使用人まで殺されたからです。<
>の話に持っていくの?使用人の誰が殺されたの?根拠は?
思想犯の九族、十族を弾圧することが、
人間に畏怖を与えませんか?
十分すぎる異なる思想、宗教への弾圧であり、脅迫となるでしょう。
方孝儒の例では、WIKIの記載を再掲しておきましょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E5%AD%9D%E5%84%92
使用人の誰が殺されたか根拠は、と言われるに至っては、
難癖に近いですね。
義経が男だったことを証明せよ、といわれても状況証拠しかあげられませんよ。
これは メッセージ 144649 (cobapics0506z さん)への返信です.
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