Re: 周恩来先生は -孫文(孫中山)
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2007/08/07 23:00 投稿番号: [143564 / 196466]
>15歳のとき天津の南開中学校に入学し、3年前に孫文が為した辛亥革命の息吹に触れる。
孫文も袁世凱に敗れて日本に匿われていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%96%87「1912年1月1日、孫文を臨時大総統とする中華民国が南京に成立した。しかし、孫文は革命政府を維持するため、宣統帝の退位と引き換えに清朝の実力者・袁世凱に総統の座を譲る。袁世凱による独裁が始まると、反袁を唱えて活動するが、袁の軍事力の前に敗れて日本へ亡命した。」
孫文は孫中山と号しますが、この由来は
「彼が日本亡命時代に住んでいた近くに、「中山」という邸宅があり、その字を気に入り、孫中山と号すようになった。「中山家」は由緒ある公家(華族)の家柄であり、明治天皇の母の生家にあたる。」(ちなみに宋慶齢は亡命中の孫文を追いかけて日本にまでやってきて結婚しました。)
ちなみに孫文は「大アジア主義」を掲げましたが、満州事変を起こした石原莞爾の言動にも近いものがあり、「王道楽土」、「五族協和」をスローガンとした石原の当初の満州構想は、孫文が「大アジア主義講演で「日本は西洋覇道の鷹犬になるのか。東洋王道の干城になるのか」と日本人に問うたことに対する「石原なりの解だった」と見ることができます。
これは メッセージ 143556 (n_o_i_s_e_m_a_n さん)への返信です.
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