Re: 理解できないだろね・・
投稿者: mirokuninoti 投稿日時: 2007/08/05 22:17 投稿番号: [143428 / 196466]
>日本は満州事件を交わす為に、謀略謀殺で第一次上海事件を引き起こした。
次は第一次上海事件だね〜。
1932年一月。
満州事変は1931年9月。
***
日華間の緊張の高まり
戦闘に加わる中国側憲兵
上海へ迫る第19路軍事変の起きる前の日本と列強との関係について、日本側資料では「上海事件の起こる前に於ける日本と各国との関係は、頗る良好にして、即ち居留地外は上海市長呉鉄城の支配権内に在るも、居留地内は工部局が行政権を握り、其の執行機関たる参事会員は外人9名支那人5名を以て組織せるものなるが、各国人も予め支那側の横暴なることを熟知し日本に対し同情せり。」としている(昭和7年2月10日の枢密院「上海事件ニ関スル報告会議筆記」(以下「枢密院報告会議」という。)大角海軍大臣発言。
原文は句読点及び濁点等なしの片仮名書きであるが、句読点及び濁点等を付し平仮名に改める。また算用数字に改める。以下同じ。))。
***
各国人も予め支那側の横暴なることを熟知し日本に対し同情せり。」としている(昭和7年2月10日の枢密院「上海事件ニ関スル報告会議筆記」(以下「枢密院報告会議」という。)大角海軍大臣発言。
***
各国人も予め支那側の横暴なることを熟知し日本に対し同情せり。」としている(昭和7年2月10日の枢密院「上海事件ニ関スル報告会議筆記」(以下「枢密院報告会議」という。)大角海軍大臣発言。
***
支那側の横暴なること…ね〜〜。
昔の事でも目に見えるようだね〜。
満州事変後も支那人にとってはなんにも変わらない生活が続いていたんでしょうに。
満州に逃げ込む支那人も一杯いたし。
満州に不法滞在していた支那人は満州建国前から一杯居たんだよ。
大陸では、とにかく誰も統治していないから、「支那軍じゃない」各国軍隊で護られているところだけが平和という状態だ。
しかしごたごたしているってことだよね〜、当時は。
軍隊ナシに生活できない。
いまの中華街は幸せだよね〜。
***
ところが、1月9日に「民国日報」という新聞が日本に対する不敬記事を掲載し、また1932年1月18日午後4時ころ、中国人と見られる者によって日本人の日蓮宗僧侶の天崎天山、水上秀雄と信者3人が三友實業社付近で襲撃され、水上は死亡し、2名が重傷を負った。
中国の警察官の到着が遅れたため、犯人は逃亡した(現在ではこの犯行は日本側に雇われた中国人によるものと見なすのが定説である。
詳細は上海日本人僧侶襲撃事件を参照のこと)。
これに対し、日本のみならず、工部局も「1月9日の民国日報の不敬記事及同月18日の日蓮宗僧侶等に対する抗日会の暴行事件に付いても、工部局は、民国日報の閉鎖、抗日会の解散を決議」(枢密院報告会議の大角海軍大臣発言)し、日本に同情的であったとされる。
また、日本人居留民がデモを行うとともに、1月20日に一部の日本人青年が三友實業社を襲撃する。
1月27日に、上海周辺が騒然とする中で、日本を含む列国は協議を行い、共同租界内を列国で分担して警備することを決め、日本は「約2万7千の在住民を有する」(枢密院報告会議の大角海軍大臣発言)関係上、その最も利害関係ある北四川路及び虹江方面の警備に当ることとなった。
日本以外の列国もそれぞれ担当地区の警備に当った。
***
日本以外の列国もそれぞれ担当地区の警備に当った。
***
日本以外の列国もそれぞれ担当地区の警備に当った。
***
彼等は侵略じゃないの〜〜〜〜??
短文にしてますよ。
続く。
次は第一次上海事件だね〜。
1932年一月。
満州事変は1931年9月。
***
日華間の緊張の高まり
戦闘に加わる中国側憲兵
上海へ迫る第19路軍事変の起きる前の日本と列強との関係について、日本側資料では「上海事件の起こる前に於ける日本と各国との関係は、頗る良好にして、即ち居留地外は上海市長呉鉄城の支配権内に在るも、居留地内は工部局が行政権を握り、其の執行機関たる参事会員は外人9名支那人5名を以て組織せるものなるが、各国人も予め支那側の横暴なることを熟知し日本に対し同情せり。」としている(昭和7年2月10日の枢密院「上海事件ニ関スル報告会議筆記」(以下「枢密院報告会議」という。)大角海軍大臣発言。
原文は句読点及び濁点等なしの片仮名書きであるが、句読点及び濁点等を付し平仮名に改める。また算用数字に改める。以下同じ。))。
***
各国人も予め支那側の横暴なることを熟知し日本に対し同情せり。」としている(昭和7年2月10日の枢密院「上海事件ニ関スル報告会議筆記」(以下「枢密院報告会議」という。)大角海軍大臣発言。
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各国人も予め支那側の横暴なることを熟知し日本に対し同情せり。」としている(昭和7年2月10日の枢密院「上海事件ニ関スル報告会議筆記」(以下「枢密院報告会議」という。)大角海軍大臣発言。
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支那側の横暴なること…ね〜〜。
昔の事でも目に見えるようだね〜。
満州事変後も支那人にとってはなんにも変わらない生活が続いていたんでしょうに。
満州に逃げ込む支那人も一杯いたし。
満州に不法滞在していた支那人は満州建国前から一杯居たんだよ。
大陸では、とにかく誰も統治していないから、「支那軍じゃない」各国軍隊で護られているところだけが平和という状態だ。
しかしごたごたしているってことだよね〜、当時は。
軍隊ナシに生活できない。
いまの中華街は幸せだよね〜。
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ところが、1月9日に「民国日報」という新聞が日本に対する不敬記事を掲載し、また1932年1月18日午後4時ころ、中国人と見られる者によって日本人の日蓮宗僧侶の天崎天山、水上秀雄と信者3人が三友實業社付近で襲撃され、水上は死亡し、2名が重傷を負った。
中国の警察官の到着が遅れたため、犯人は逃亡した(現在ではこの犯行は日本側に雇われた中国人によるものと見なすのが定説である。
詳細は上海日本人僧侶襲撃事件を参照のこと)。
これに対し、日本のみならず、工部局も「1月9日の民国日報の不敬記事及同月18日の日蓮宗僧侶等に対する抗日会の暴行事件に付いても、工部局は、民国日報の閉鎖、抗日会の解散を決議」(枢密院報告会議の大角海軍大臣発言)し、日本に同情的であったとされる。
また、日本人居留民がデモを行うとともに、1月20日に一部の日本人青年が三友實業社を襲撃する。
1月27日に、上海周辺が騒然とする中で、日本を含む列国は協議を行い、共同租界内を列国で分担して警備することを決め、日本は「約2万7千の在住民を有する」(枢密院報告会議の大角海軍大臣発言)関係上、その最も利害関係ある北四川路及び虹江方面の警備に当ることとなった。
日本以外の列国もそれぞれ担当地区の警備に当った。
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日本以外の列国もそれぞれ担当地区の警備に当った。
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日本以外の列国もそれぞれ担当地区の警備に当った。
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彼等は侵略じゃないの〜〜〜〜??
短文にしてますよ。
続く。
これは メッセージ 143386 (jptmd2004 さん)への返信です.
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