日中関係

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Re: 理解できないだろね・・

投稿者: mirokuninoti 投稿日時: 2007/08/05 21:19 投稿番号: [143424 / 196466]
  日本人でも読むのがつらいといった私の文ですからしょうがないけどね〜。



日本は、満州国を立てるように、済南事件を引き起こしまで蒋介石の北伐への阻止を図った。


  ここでも日本人居留民を殺して居るよね〜。
  あんた達。

***
  済南事件(さいなんじけん)は1928年(昭和3)5月3日、中国山東省の済南で、日本の権益確保と日本人居留民保護のため派遣された日本軍(第二次山東出兵)と北伐中であった蒋介石率いる国民革命軍(南軍)との間に起きた武力衝突事件。

  事件の中で、日本人居留民12名が殺害され、日本側の「膺懲」気運が高まった。
  一方、日本軍により旧山東交渉公署の蔡特派交渉員以下16名が殺害されたが、中国側はこれを重く見て、日本軍の「無抵抗の外交官殺害」を強く非難した。
  さらにこれを機に、日本軍は増派(第三次山東出兵)を決定した。
***


  もともと南と北で別れて闘っていたのは君達だろ??


***
  当時、中国は南軍と北軍に別れて内戦状態にあり、治安は悪化していたが、済南は主要な商業都市であり、日本人を中心として多くの外国人が居住していた。この内戦の中で、同年5月1日、済南は北軍の手から南軍の手に落ちた。

  日本側は居留民保護を理由として同年4月下旬に出兵し(第二次山東出兵)、戦いが城外の商埠地[1]に波及することを防ぐために警備区域(バリケード)を築いていたが、南軍の総司令蒋介石から治安は中国軍によって確保することを保障するので日本軍は撤去して欲しいとの要望がなされ、日本軍は警備区域を撤廃した。
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  蒋介石が護るって言ったそうだ。
  戦後もそういっていたが全部邦人の財産は取り上げられたけどね。


***
  [編集] 事件の発端
 
  事件の発端については、日本側資料と中国側資料で見解が異なり、現状ではどれが正しいか不明とされている。
***

 
  見解は異なってますからね〜。
  ま、私は日本の方が正しいと思うけど??
 
 
***
  日本側の見解(『昭和三年支那事変出兵史』)

  南軍の兵士が満州日報取次販売店の吉房長平方を掠奪、主人を暴行した。
 
  日本軍が現場に赴くと掠奪兵はただちに自分の兵舎へ逃走。
  それを追った日本軍に対して歩哨が射撃してきたので日本軍は応戦し、歩哨を射殺。
  それをきっかけに戦闘となり、全商埠地内に波及した。


  中国側の見解(『蒋介石秘録』)

  病気となった兵士を中華民国外交部山東交渉署の向かいにあるキリスト教病院(城外商埠地)に治療に連れていったところ、日本兵に通行を阻止された。
 
  言葉が通じないままに言い争いとなったが、日本兵は、革命軍の兵士と人夫それぞれ一人をその場で射殺した。

  なお、中国側資料には、以下のような説もある。(『五三惨案』より)

  中国軍兵士が日本軍兵士と口論となり、衝突となった

  中国軍兵士が国民政府の貨幣で買い物をしようとし、日本人に阻止された
民衆が宣伝ポスターを見ていたとき、日本軍がそれを許さず、民衆と衝突した 中国軍兵士が商埠地を通過していることろを日本軍に阻止された
***

  どっちが正しいの??

  ま、私は日本の方が正しいと思いますけど???
  

 
  続く。
 
 
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