Re: 武士の習い・・日々が戦場、その覚悟
投稿者: mirokuninoti 投稿日時: 2007/07/22 23:46 投稿番号: [142392 / 196466]
>武士は武士、百姓は百姓、商人(あきんど)は商人、
誰もが等しく、一般庶民と云うことです。
戦争末期は30中盤以上のおじさん達も兵にかり出された。
彼等はまったくプロの兵隊ではなかった。
彼らに武士道を求められるものではない。
同時に軍人恩給も下ろされてはいない。
本来戦場に立つべき人ではない人が、「かり出された」のが戦争末期ですよ。
ここまで本来戦争が長引くのがおかしいんですよ。
それと、ごったにして、武士そのものを貶めているのは、戦前の関東軍を認めたくないからでしょうね〜。
マスコミも。
知っておりますよ、私も若い頃は潜在サヨだったのだから。
これは鳥肌の立つ詩ですがね。
***
君死にたまふことなかれ
与謝野晶子
あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
***
それでも与謝野晶子たちは生きのこったのでしょう。
弟によって守られたのでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E9%87%8E%E6%99%B6%E5%AD%90
***
その三連目で「すめらみことは戦いに おおみずからは出でまさね(天皇は戦争に自ら出かけられない)」と唱い、晶子と親交の深い歌人であったが国粋主義者であった文芸批評家の大町桂月はこれに対して「家が大事也、妻が大事也、国は亡びてもよし、商人は戦ふべき義務なしといふは、余りに大胆すぐる言葉」と批判した。
晶子は『明星』11月号に『ひらきぶみ』を発表、「桂月様たいさう危険なる思想と仰せられ候へど、当節のやうに死ねよ死ねよと申し候こと、またなにごとにも忠君愛国の文字や、畏おほき教育御勅語などを引きて論ずることの流行は、この方かへつて危険と申すものに候はずや」と国粋主義を非難し、「歌はまことの心を歌うもの」と桂月の批判を一蹴した。
日露戦争当時は満州事変後の昭和の戦争の時期ほど言論弾圧が厳しかったわけではなく、白鳥省吾、木下尚江、中里介山、大塚楠緒子らの戦争を嘆く詩を垣間見ることができ、晶子の詩がそれほど特異だったわけでもない。
***
ま〜よく居る反戦文士とも言えますね。
しかし、一貫性が無いとも。
***
この騒動のため晶子は「嫌戦の歌人」という印象が強いが、第一次世界大戦の折は『戦争』という詩のなかで、「いまは戦ふ時である 戦嫌ひのわたしさへ 今日此頃は気が昂る」と極めて励戦的な戦争賛美の歌を作っている。
満州事変勃発以降は、戦時体制・翼賛体制が強化されたことを勘案しても、満州国成立を容認・擁護し、1942年(昭和17年)に発表した『白櫻集』で、以前の歌「君死にたまうことなかれ」とは正反対に、戦争を美化し、鼓舞する歌を作った。
例えば、「強きかな 天を恐れず 地に恥ぢぬ 戦をすなる ますらたけをは」や、海軍大尉として出征する四男に対して詠んだ『君死にたまうことなかれ』とは正反対の意味となる「水軍の 大尉となりて わが四郎 み軍にゆく たけく戦へ」など。
このようなことから、反戦家としての立場に一貫性がなかった、あるいは時勢により心情を変化させた転向者であると評する者もいる。
***
時代をよく見ているリアリストだったんじゃないのかな〜。
>掲示板上の表現であっても名誉毀損罪、侮辱罪等が成立する場合がありますので
やふ〜〜〜め。
私にいうよりか、天皇陛下に関してグタグた当て字で書いているおっさんにいえ〜〜〜。
誰もが等しく、一般庶民と云うことです。
戦争末期は30中盤以上のおじさん達も兵にかり出された。
彼等はまったくプロの兵隊ではなかった。
彼らに武士道を求められるものではない。
同時に軍人恩給も下ろされてはいない。
本来戦場に立つべき人ではない人が、「かり出された」のが戦争末期ですよ。
ここまで本来戦争が長引くのがおかしいんですよ。
それと、ごったにして、武士そのものを貶めているのは、戦前の関東軍を認めたくないからでしょうね〜。
マスコミも。
知っておりますよ、私も若い頃は潜在サヨだったのだから。
これは鳥肌の立つ詩ですがね。
***
君死にたまふことなかれ
与謝野晶子
あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
***
それでも与謝野晶子たちは生きのこったのでしょう。
弟によって守られたのでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E9%87%8E%E6%99%B6%E5%AD%90
***
その三連目で「すめらみことは戦いに おおみずからは出でまさね(天皇は戦争に自ら出かけられない)」と唱い、晶子と親交の深い歌人であったが国粋主義者であった文芸批評家の大町桂月はこれに対して「家が大事也、妻が大事也、国は亡びてもよし、商人は戦ふべき義務なしといふは、余りに大胆すぐる言葉」と批判した。
晶子は『明星』11月号に『ひらきぶみ』を発表、「桂月様たいさう危険なる思想と仰せられ候へど、当節のやうに死ねよ死ねよと申し候こと、またなにごとにも忠君愛国の文字や、畏おほき教育御勅語などを引きて論ずることの流行は、この方かへつて危険と申すものに候はずや」と国粋主義を非難し、「歌はまことの心を歌うもの」と桂月の批判を一蹴した。
日露戦争当時は満州事変後の昭和の戦争の時期ほど言論弾圧が厳しかったわけではなく、白鳥省吾、木下尚江、中里介山、大塚楠緒子らの戦争を嘆く詩を垣間見ることができ、晶子の詩がそれほど特異だったわけでもない。
***
ま〜よく居る反戦文士とも言えますね。
しかし、一貫性が無いとも。
***
この騒動のため晶子は「嫌戦の歌人」という印象が強いが、第一次世界大戦の折は『戦争』という詩のなかで、「いまは戦ふ時である 戦嫌ひのわたしさへ 今日此頃は気が昂る」と極めて励戦的な戦争賛美の歌を作っている。
満州事変勃発以降は、戦時体制・翼賛体制が強化されたことを勘案しても、満州国成立を容認・擁護し、1942年(昭和17年)に発表した『白櫻集』で、以前の歌「君死にたまうことなかれ」とは正反対に、戦争を美化し、鼓舞する歌を作った。
例えば、「強きかな 天を恐れず 地に恥ぢぬ 戦をすなる ますらたけをは」や、海軍大尉として出征する四男に対して詠んだ『君死にたまうことなかれ』とは正反対の意味となる「水軍の 大尉となりて わが四郎 み軍にゆく たけく戦へ」など。
このようなことから、反戦家としての立場に一貫性がなかった、あるいは時勢により心情を変化させた転向者であると評する者もいる。
***
時代をよく見ているリアリストだったんじゃないのかな〜。
>掲示板上の表現であっても名誉毀損罪、侮辱罪等が成立する場合がありますので
やふ〜〜〜め。
私にいうよりか、天皇陛下に関してグタグた当て字で書いているおっさんにいえ〜〜〜。
これは メッセージ 142316 (nihao_aq_jp さん)への返信です.
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