日中関係

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Re: 特攻隊・・・志願と云う形の命令

投稿者: rty3657898 投稿日時: 2007/07/17 23:12 投稿番号: [142029 / 196466]
お前、事実関係を調べて書かないとおかしいぞ。
一応、集団自決が確認されているのは以下の6箇所

渡嘉敷島(300余人)、座間味島(172人)、慶留間島(53人)、伊江島(120人)、沖縄本島チビチリガマ(83人)、喜屋武半島数百人

伊江島・・・守備隊長平山(申応均)大尉「朝鮮人将校」:部下の2人の副隊長日本人予備士官(四大生学徒士官)中尉を自決させた後に住民を虐殺し島の少女を愛人にして無人島など逃げ回る。集団自決の時に日本兵は島にはいない。

チビチリガマ・・・住民のみで軍人はいない:ガマの入口に米兵が菓子を置き投降を呼びかける。菓子を取りに出て来た二人の子供に対して米兵が一斉射撃をして射殺し、ガマの中でパニックになり集団自決になる。

喜屋武半島・・・ガマが多く20万人が避難していたうちの数百人である為に99.5%以上は自決していなので一般的に強制された集団自決に加算されていない。

つまり、現在問題になっているのは、座間味島:海上挺進隊第1戦隊長梅沢少佐、慶留間島:海上挺進隊第2戦隊長野田少佐、渡嘉敷島:海上挺進隊第3戦隊長赤松大尉の三つの部隊だけである。
その陸軍海上挺進隊こそ上陸準備のため泊地にある敵船艇に250キロの爆雷を装着したベニヤ製のモーターポートによって、夜間奇襲こよる肉迫攻撃を加え一艇をもって一船を沈め特攻隊だ。
http://hc6.seikyou.ne.jp/home/okisennokioku-bunkan/okinawasendetakan/kaijotokkoutei.htm
隊長は陸士卒51〜54期の23〜26歳の若い少佐と大尉、中隊長は陸士57期学徒や四大学徒の中尉・少尉。群長(小隊長)は18年12月に学徒出陣した船舶幹部候補生第10期・11期や四大学徒少尉。 一般隊員は16才〜18才の少年兵だ。
24〜26歳の梅沢、野田、赤松の3隊長が軍命を出していないと裁判で争われて教科書から削除されたのだが、それでも集団自決に軍が関与してたのなら、特攻隊に狩り出された学徒少年兵が命令した事になる。

>過去の忌まわしさをキレイサッパリ拭い去り、なかったことにしてしまおうと必死に繕(つくろ)う日本の姿。醜いではないか。見苦しいではないか。

あのさ、集団自決が起こった3つの島に赴任していた特攻隊員達が過去を忘れようとしたとでも思っていたのかい。彼らは沖縄が本土復帰後に昔に世話になったと尽力を尽くしている。また、彼らは学生時代に知り合った友人と特攻や死に付いて語り合った。その友人が特攻で死んだ島、そして自分は行き遅れて生き残ってしまったんだよ。

野田隊のある少年少尉は「兵隊は国のために死んではいけないよ。いや、むしろ兵隊たちでも命を大切にしなければいけないがね。……だから私は絶対に死なない。敵が上陸したらすぐに逃げるんだ」が口癖だったと島民の証言が多数ある、彼は特攻隊員として生と死の苦悩していたんだ。
また、中隊長鈴木大尉は「命をつなぐ重要性を島民に説いていた。鈴木大尉は、稲作の指導も島民にしていたが、条植えを指導する中で、その技術をきちんと引き継いでいくためにも島民は生き残らなければならないと言って、自らは突撃の死を遂げていった」。彼は部下の少年達を特攻に向わした自責から最後に住民達に「生きろ」と伝えて自身は部下の後と追った。現在、島民で鈴木大尉の遺影を飾っている家が多数ある。
野田隊長にしても日本が降伏した後も部下(住民も含)達と山中に隠れ抵抗を続け、米軍に重傷を負って捕虜になっていた梅沢が、重傷の身体を起し説得して投降した。野田は自決を梅沢に申し出るが、部下や住民が後を追うから止められた訳だ。

だから、一部住民が援護法で遺族年金を貰う為に軍命があったと嘘を付きましたと自責の念から捏造を自白した。島に赴任していた特攻隊員達の名誉を回復したいと思う人達が現れたんじゃないかい。
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