Re: 日中関係 − 二は天地であり陰陽
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2007/06/22 13:30 投稿番号: [139755 / 196466]
>また、「倭人」とは、周代に呼ばれはじめた名ので山東半島の蓋国(後の魯国)に南にあり、殷代には「人方」と呼ばれており、女神である「女か」がはじめて人を作ったという神話を持ち、女か・伏義・少こう(鳳凰族の長)の生まれた地とされ太陽を信仰しています。
殷王朝の方国には、「馬方」や「鬼方」、「虎方」などがあり、人を冠した方国は「人方国(後の倭人国)」だけです。
人方は細かい細工が得意で、海の向こうで殷の通貨である「貝貨」を加工して殷に供給しており言わば造幣局を受け持っていました。
そして「陸上民族」である「殷」が貝貨を独占しようと東の方国である人方を攻めたとき、海洋民族である人方王家は海に逃れました。
(沖縄→奄美大島→九州南部→旧州西部→北九州には貝の道(貝貨や貝細工の遺物・遺構)が続いています。)
結局、殷は背後の西側から反旗を翻した周に攻められ滅亡しました。
(人方が周に資金援助したかもしれません)
三皇時代として「天皇」・「地皇」・「人皇」があったとされ、天皇は12人の兄弟(兄弟の契りを結んだ十二氏族)の長です。
氏族はそれぞれ動物(牛、虎、龍など)・現象(雲・雷など)のトーテム(聖霊)を持っており、子丑寅・・・の十二支はおそらくここから来ています。
倭人には膿を渡って未開地に行くと、大きな河口にまず拠点を作り、次に河を源流にまで遡って押さえる性質があります。(そのため首長が船から降臨するのは山になります)
「半構造船」は「川船に波除をつけた構造」であり、海を渡ると波除を外して川船モードで河を遡り、ときには船を両岸から縄で引いたり修羅を作って陸上を運んだりします。
少こう(鳳凰族の長)は、東に海を渡り深い谷の奥の山中に国を作ったといいます。山東半島南岸から東に海を渡ると遼東半島南岸でありそのまま東に進むと鴨緑江を挟む険しい谷があり、その源流である「白頭山」にたどり着くことになります。
また、「朝鮮南部の未開地をもともと開拓した」のも「倭人」と考えられ、そこに朝鮮人や韓人が頼ってきましたが、結局倭人の多くは対岸の日本列島に移りました。
これは メッセージ 139743 (n_o_i_s_e_m_a_n さん)への返信です.
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