Re: 「★★人」と「★★国民」
投稿者: palmereldritch608 投稿日時: 2007/05/23 02:03 投稿番号: [137340 / 196466]
失礼します。横からごめんね。
ご存知の人も多いだろうが、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は、三男のアリョーシャが、父親殺しの冤罪で、シベリアに流刑になった長兄のドミトリーを脱獄させようと決心するところで終わっている。このアリョーシャとは無垢の人であり、ドストエフスキーの創造した現代のイエスなのだ。そのイエスが脱獄の手助け!?読後、私は言いようのない奇異な感覚を覚えた。
しかし、考えてみれば、ロシアは世界一広大な国だ。逃げるところは何処にでもある。広大な土地に生きている大陸に民にとっては、逃げるという選択はごく当たり前のことなのだろう。たしかに毛沢東の長征もその実態はただ逃げ回っていただけだった。
残念と言うべきか、四方を海に囲まれた島国の民である日本人にこのような精神の図太さはない。
だが、反面、日本やイギリスといった島国の民には、決して逃げずに自らの責任を果たそうという気風が生まれる。両国に共通する強い職業意識や倫理性その賜物だ。
また、もし過去の日本人が高額の給料につられて容易に国を捨てるような国民であったら、今の日本は実現していない。優秀な人材が、貧しかったこの国にとどまったからこそ、現代のこの国の繁栄はあるのだ。国を捨てず、あえて貧しさに耐えた先人の恩恵を浴びるほど受け取っている我々が、その倫理観をあざ笑うなどもっての外だ。先人のご威光を頼り、先人にすがり付いて甘えているだけでは飽き足らず、先人をあざ笑うなど、卑劣極まりない恥知らずの技と言えよう。
都合が悪くなれば逃げればいい、とという気風が身に染み付いているからこそ、支那人は下水からラードを作って売り飛ばし、毒入り食品や薬を輸出するのではなかったか?我々の先人がそんな民ではなかったからこそ、今の日本の繁栄が実現したのではなかったか?
勿論、これらは本質的には民族性の問題であり、一概に是非を問える問題ではない。日本人は支那人を薄汚い了見の持ち主と軽蔑するだろうし、支那人は日本人を細かいことをい言う小心者と、軽蔑するだろう。それで良い。
支那人は世界中にいる。朝鮮人もいる。彼らにとって国籍など書類上の問題に過ぎないのだろう。確かに、平和な時代においてはその通りだ。平時において国家とは行政装置に過ぎず、国籍も書面上の問題に過ぎないかに見える。
しかし、何度も言うが、国家とは群れなのだ。群れとは天敵と戦うための装置なのだ。国家がその本質を顕わにするのは、平時ではなく、天敵と直面する戦争や天災といった例外状況においてこそなのだ。この時、国籍は書面上の問題などではない。○国籍はそのまま○国人と一致し、国籍は命賭けの選択の問題になる。支那人とて例外ではない。
平時からのみ国家を考察することは、全く無意味なのだ。国際人を自称する者の正体は、じつは国際社会どころか、その前提であるはずの国家すら理解できぬ愚か者に過ぎない。かつて、かつてイラクで拉致され恥をさらした若者たちと何ら変わるところはないのである。
ご存知の人も多いだろうが、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は、三男のアリョーシャが、父親殺しの冤罪で、シベリアに流刑になった長兄のドミトリーを脱獄させようと決心するところで終わっている。このアリョーシャとは無垢の人であり、ドストエフスキーの創造した現代のイエスなのだ。そのイエスが脱獄の手助け!?読後、私は言いようのない奇異な感覚を覚えた。
しかし、考えてみれば、ロシアは世界一広大な国だ。逃げるところは何処にでもある。広大な土地に生きている大陸に民にとっては、逃げるという選択はごく当たり前のことなのだろう。たしかに毛沢東の長征もその実態はただ逃げ回っていただけだった。
残念と言うべきか、四方を海に囲まれた島国の民である日本人にこのような精神の図太さはない。
だが、反面、日本やイギリスといった島国の民には、決して逃げずに自らの責任を果たそうという気風が生まれる。両国に共通する強い職業意識や倫理性その賜物だ。
また、もし過去の日本人が高額の給料につられて容易に国を捨てるような国民であったら、今の日本は実現していない。優秀な人材が、貧しかったこの国にとどまったからこそ、現代のこの国の繁栄はあるのだ。国を捨てず、あえて貧しさに耐えた先人の恩恵を浴びるほど受け取っている我々が、その倫理観をあざ笑うなどもっての外だ。先人のご威光を頼り、先人にすがり付いて甘えているだけでは飽き足らず、先人をあざ笑うなど、卑劣極まりない恥知らずの技と言えよう。
都合が悪くなれば逃げればいい、とという気風が身に染み付いているからこそ、支那人は下水からラードを作って売り飛ばし、毒入り食品や薬を輸出するのではなかったか?我々の先人がそんな民ではなかったからこそ、今の日本の繁栄が実現したのではなかったか?
勿論、これらは本質的には民族性の問題であり、一概に是非を問える問題ではない。日本人は支那人を薄汚い了見の持ち主と軽蔑するだろうし、支那人は日本人を細かいことをい言う小心者と、軽蔑するだろう。それで良い。
支那人は世界中にいる。朝鮮人もいる。彼らにとって国籍など書類上の問題に過ぎないのだろう。確かに、平和な時代においてはその通りだ。平時において国家とは行政装置に過ぎず、国籍も書面上の問題に過ぎないかに見える。
しかし、何度も言うが、国家とは群れなのだ。群れとは天敵と戦うための装置なのだ。国家がその本質を顕わにするのは、平時ではなく、天敵と直面する戦争や天災といった例外状況においてこそなのだ。この時、国籍は書面上の問題などではない。○国籍はそのまま○国人と一致し、国籍は命賭けの選択の問題になる。支那人とて例外ではない。
平時からのみ国家を考察することは、全く無意味なのだ。国際人を自称する者の正体は、じつは国際社会どころか、その前提であるはずの国家すら理解できぬ愚か者に過ぎない。かつて、かつてイラクで拉致され恥をさらした若者たちと何ら変わるところはないのである。
これは メッセージ 137327 (nihao_aq_jp さん)への返信です.
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