日中関係

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Re: 従軍慰安婦

投稿者: palmereldritch608 投稿日時: 2007/04/12 00:59 投稿番号: [135008 / 196466]
かつてサルトルは人間存在のの三つの契機として、対自存在、対他存在、即自存在を挙げたが、読んで字のごとく、対自とは自分から見た自分である。対他とは他人から見られていることを意識した自分だ。さらに、他者からあたかも物在のように見られている自分が即自である。
雑に言うなら、鏡で見る自分の顔が対自であり、写真見る自分の顔は即自だ。また、その即自性を意識するのが対他だ。このあたり、サルトルは存在をあまりに自意識に引き付けすぎているように思えるが、そもそも、フロイトの無意識を、生涯認めなかった彼であれば、当然といえば当然だろう。

  対自的には人間はナルシスティックだ。確かに、鏡で見る自分の顔は写真で見る自分の顔より美しいのが普通である。しかし、写真で見る自分の顔は残酷で冷厳な事実としての自分であり、時として、我々は写真の中の自分を憎み、鏡の中の自分とのギャップに戦いてみたりする。特に女はこの傾向が強い。自分は写真写りがいいほうだ、などと言う女に私は一度も出会った事がない。
  しかし、この戦きは年齢を重ねるにつれ薄れていくのが普通だ。社会性とは、鏡の中の自分が極めて限定的な存在であることを知り、呵責のない眼差しで自分を見る他者を意識することに他ならない。つまり対他性こそ、人間の社会性の表れだ。

したがって、この対他性を欠いた人間とは、極めて傲慢な人間であるよりより他ない。その目に映っているのは、ナルシスティックな対自(サルトルによれば、対自は無だ)の夢である。俗に言うなら、彼女は他人からどう見られているかなどいさいかまわず、自分を世界一の美女だと思い込んでいる女である。
  彼女にとって最大の敵は事実としての写真であり、美女としての自分の自意識を破壊しかねない自分より美しい女の存在である。彼女は、そんな女の顔に泥を塗りこう言いたがるに決まっている。「ほれ見ろ。この女は私より醜いではないか」と。

さて、日本人だが、がんらいこの対他性は強い。我々は、他社の人間に対しては、自社の上司や部下を、役職や敬称抜きで呼び捨てにするのを慣わしとしている。他社の人間にとっては、自社の序列や階級など無意味であることを知っているからこそ、我々はそうするのだ。
  支那ではどうだろうか?おそらく呼び捨てにはしていないだろう。同じ儒教文化圏である韓国では、わが社長様にあらせられましたは、などと言うのが普通だからだ。社長を呼び捨てにした、などという事実が発覚しようものなら、たちまちクビだそうである。しかし、この様に対他性を欠いた人間の形作る歴史とは、いったいどれほど信用に値うのだろうか?

歴史はいわば国家の自己認識だ。ここでも自我と同様、対自と対他のバランス、折り合いはついていなければならない。しかし、彼らが対他性を欠いているという事実は、先ほど言った女のように、極端に自己を美化し、そのためには隣の美女の顔に泥を塗ることも厭わないということを我々は熟知するべきだろう。
  また、この程度の人間的洞察も備えていないような人物の語る“歴史”も先の対他性を欠いた歴史と同じく、極めて怪しいのだ。他者を洞察するとは結局自分を洞察することと同じであり、他者を正しく洞察できない人間に、自分が正しく洞察できるはずはない、結局は、はなはだしい妄想に堕ちるしかないのである。

対他性がないのは、我々ではない。支那人や朝鮮人のほうである。
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