Re: 支那でも倭でもどんどん使おう
投稿者: sintyou5 投稿日時: 2007/03/11 16:35 投稿番号: [133422 / 196466]
こやつ、別トビで、勝手に他人の批判をこっそりしていたよ。
まとめて殲滅しておこう。
自分で拾ってたH.Nより。アホみたい。
高島氏=高島俊男氏
>話は変わるが、もう二〇年くらいになると思うが、日本のある全国紙の投書欄にだいたい次のような投書が載り、意見が交わされた。イギリスの有名な辞書にJAPという言葉が載っていたので、これは蔑称だから訂正して欲しいと手紙を書いた。すると、返事が来て、これは蔑称ではないので訂正しない、という回答があった。けしからん。というものだった。今や多くの日本人が、おそらく、(英語はできなくても)この言葉を蔑称と考えていることだろう。しかし語の構成や語源から考えると、JAPには元来侮蔑的意味合いはないといえるだろう。JAPANESEの単なる略称にしか過ぎない。しからばチャンコロはどうだろう。これが蔑称でなくなんだろう。しかしこの言葉も、もともと清国*であった(清国人との説もある)。そうであるならどちらにせよ蔑称ではなかろう。チャンコロというカタカナを、日本語のできない中国人に、「清国人」と書いて示しても、だれも何も感じないだろう。つまり、清国人とチャンコロは、原型は同じでももはや違う言葉である、あるいはその後違う言葉として機能しているといっていいだろう。英語のチャイナと「支那」の関係はそれに似ている。
また「「支那」に反対する人はよく「中国人がきらう」と言うが、中華人民共和国の圧倒的大多数の人々が「支那」という言葉を知らないのは確実である。(中略)たとえば日本でイギリスを「イギリス」と言っていることを知っているイギリス人はほとんどないだろう」(同書)と高島氏は書く。しからばパールハーバーが攻撃された時、一般の日本人はJAPという言葉を知っていただろうか。答えは否である。アメリカでそれ以前から始まっっていた日本人排斥運動に直面した人たちは、当然知っていただろう。その言葉に感情がこもることにより、言葉の意味は次第に変化した。一般の日本人がこの言葉の正体を知るのはだいぶたった戦後のことである。英語教育の影響もあろう。その反動として、私の記憶では東京オリンピックの前後あたりに、選手の所属国名表記の略称をJAPから、JANに変更してもらうよう働きかけが行われた。日本社会がその言葉の真の使われ方を知り、それを適当でないと感じたからだ。
確かにかなりの中国人は依然として「支那」という言葉を知らない。しかし中国の有名な辞書に「支那」が蔑称であると書いていないことを示して、これが中国では蔑称でないというのなら、今になって何でこんな大きな問題として中国側から提起されるのか。もっと考えてみるべきだ。私は高島氏等の認識不足であると思う。
試みに高島氏への反論材料となりうる「中国古今名号尋源釈意」(遼寧古籍出版社)という本を読んでみるといい。この言葉に関する問題が整理されている。ちゃんと蔑称であることは中国でも充分意識されているのだ。「書いていない」本だけ紹介して、「書いてある」本を紹介しないのは不公平だろう。要するにいろいろな知識レベルの人間がここにはいるということだ。ここまで理解してもJAPは蔑称であり、支那はそうでないと言い切れる日本人がそんなに多数いるんだろうか。
要するに、その言葉の語源がどうであれ、文字や言葉は時代によってその意味や、使われ方が変化する。「貴様」や「おまえ」でも同じだろう。それに生きた言語はその使い手だけでなく、受け手の心理を付度しなければ、摩擦が生じる。まして自分の名前を自分が気に入らないのに、他人から「これがおまえには適当な名前」といわれ強制されたって、すんなり受け入れられるものではない。それが歴史認識の欠如といわれる所以なのだろう。
言語は科学である前に、実用である。もはや「汚されてしまった」言葉を何を好きこのんで今でも使わなければならないのか。またその汚された時期がいつなのか、それが問われているのだ。一九一〇年代になってから、支那という名称が次第に中国人にいやがられるようになった(「どう考えるか、中国古今」昭和五一年。二玄社)といわれる。その時代がどんな時代であったのか、多くの人は知っている。
「汚れた」ものは洗濯しようよ。そうでないと臭ってくるし、病気の原因にもなるよ。>>
自分で、この文章を拾って来ておきながら、反論らしきものはせず、別トビで知らぬ顔で自説を主張する。
取りあえず、この文への反論を、皆で見てみよう。
。
まとめて殲滅しておこう。
自分で拾ってたH.Nより。アホみたい。
高島氏=高島俊男氏
>話は変わるが、もう二〇年くらいになると思うが、日本のある全国紙の投書欄にだいたい次のような投書が載り、意見が交わされた。イギリスの有名な辞書にJAPという言葉が載っていたので、これは蔑称だから訂正して欲しいと手紙を書いた。すると、返事が来て、これは蔑称ではないので訂正しない、という回答があった。けしからん。というものだった。今や多くの日本人が、おそらく、(英語はできなくても)この言葉を蔑称と考えていることだろう。しかし語の構成や語源から考えると、JAPには元来侮蔑的意味合いはないといえるだろう。JAPANESEの単なる略称にしか過ぎない。しからばチャンコロはどうだろう。これが蔑称でなくなんだろう。しかしこの言葉も、もともと清国*であった(清国人との説もある)。そうであるならどちらにせよ蔑称ではなかろう。チャンコロというカタカナを、日本語のできない中国人に、「清国人」と書いて示しても、だれも何も感じないだろう。つまり、清国人とチャンコロは、原型は同じでももはや違う言葉である、あるいはその後違う言葉として機能しているといっていいだろう。英語のチャイナと「支那」の関係はそれに似ている。
また「「支那」に反対する人はよく「中国人がきらう」と言うが、中華人民共和国の圧倒的大多数の人々が「支那」という言葉を知らないのは確実である。(中略)たとえば日本でイギリスを「イギリス」と言っていることを知っているイギリス人はほとんどないだろう」(同書)と高島氏は書く。しからばパールハーバーが攻撃された時、一般の日本人はJAPという言葉を知っていただろうか。答えは否である。アメリカでそれ以前から始まっっていた日本人排斥運動に直面した人たちは、当然知っていただろう。その言葉に感情がこもることにより、言葉の意味は次第に変化した。一般の日本人がこの言葉の正体を知るのはだいぶたった戦後のことである。英語教育の影響もあろう。その反動として、私の記憶では東京オリンピックの前後あたりに、選手の所属国名表記の略称をJAPから、JANに変更してもらうよう働きかけが行われた。日本社会がその言葉の真の使われ方を知り、それを適当でないと感じたからだ。
確かにかなりの中国人は依然として「支那」という言葉を知らない。しかし中国の有名な辞書に「支那」が蔑称であると書いていないことを示して、これが中国では蔑称でないというのなら、今になって何でこんな大きな問題として中国側から提起されるのか。もっと考えてみるべきだ。私は高島氏等の認識不足であると思う。
試みに高島氏への反論材料となりうる「中国古今名号尋源釈意」(遼寧古籍出版社)という本を読んでみるといい。この言葉に関する問題が整理されている。ちゃんと蔑称であることは中国でも充分意識されているのだ。「書いていない」本だけ紹介して、「書いてある」本を紹介しないのは不公平だろう。要するにいろいろな知識レベルの人間がここにはいるということだ。ここまで理解してもJAPは蔑称であり、支那はそうでないと言い切れる日本人がそんなに多数いるんだろうか。
要するに、その言葉の語源がどうであれ、文字や言葉は時代によってその意味や、使われ方が変化する。「貴様」や「おまえ」でも同じだろう。それに生きた言語はその使い手だけでなく、受け手の心理を付度しなければ、摩擦が生じる。まして自分の名前を自分が気に入らないのに、他人から「これがおまえには適当な名前」といわれ強制されたって、すんなり受け入れられるものではない。それが歴史認識の欠如といわれる所以なのだろう。
言語は科学である前に、実用である。もはや「汚されてしまった」言葉を何を好きこのんで今でも使わなければならないのか。またその汚された時期がいつなのか、それが問われているのだ。一九一〇年代になってから、支那という名称が次第に中国人にいやがられるようになった(「どう考えるか、中国古今」昭和五一年。二玄社)といわれる。その時代がどんな時代であったのか、多くの人は知っている。
「汚れた」ものは洗濯しようよ。そうでないと臭ってくるし、病気の原因にもなるよ。>>
自分で、この文章を拾って来ておきながら、反論らしきものはせず、別トビで知らぬ顔で自説を主張する。
取りあえず、この文への反論を、皆で見てみよう。
。
これは メッセージ 133363 (sinagakusya_sinologist さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/133422.html