文字が共通でも言葉は共通ではない2
投稿者: sinagakusya_sinologist 投稿日時: 2007/03/01 00:46 投稿番号: [132591 / 196466]
支那で南朝鮮のソウルを長く「漢城(Hancheng)」と讀んでいたのは、漢字が共通だという幻想にとらわれて、漢字で書かれた詞だけを相手にしていたからです。
日本では「京城」もありましたが、假名で「ソウル」と書くようになったのは、日本語が支那語とは違って、歐洲語圈と同じく「地名の音を近似表記できる表音文字を持つ言語」だからです。
また、朝鮮からの要請に從って支那でやっと使い出した「首爾(Shou'er)」については、「何でも漢字で書く言葉は不便だ」というのが正直なところです。
また、シナ人が「支那」使用を批判するうちに、自分たちが固有名詞を尊重しているのでなく輕視していることを白状する結果になります。
シナ人が「小泉」を Xiaoquan などと讀んで平氣というのは、
Co^te d'Ivoire>「象牙海岸(Xiangya Hai'an)」や、
Iceland>「冰島(Bingdao)」のような「固有名詞の翻譯」です。
「象牙海岸」は日本でも使っていますが、それなら「中國」を「支那」に翻譯するのも日本側の立場だという結論になります。
シナ人は固有名詞をどんどん翻譯することでは、おそらく世界一かも知れません。
Soft Bankは「軟體銀行(Ruanti Yinhang)」、Micro Soft は「微軟(Wei Ruan)」になります。
逆に、シナでは Co^te d'Ivoire [ko:tdivwa:r] を音譯して「科特迪瓦(Ketediwa)」と言い始めています。
「『中國』という詞があるのに『支那』と言う理由がわからない」という人がいますが、「『象牙海岸』と言えばいいのに『コートジボワール』と言う詞を敢えて使う理由」は何でしょうか。
また「家庭内暴力」と言えばいいのに、敢えて「DV」などという音響機械のような略語を使うのも変ですし、どんな言葉でも同じことを表すのに人によって語彙が違うのは当然です。
これは メッセージ 132254 (sinagakusya_sinologist さん)への返信です.
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