Re: 幼稚でないつもりのおバカ
投稿者: palmereldritch608 投稿日時: 2007/02/14 12:44 投稿番号: [131584 / 196466]
理解というからには、理において解しなければならない。なるほど、理は普遍的なのだ。数学が世界共通言語であることはけっして偶然ではない。
しかし「世の中理屈ではない」などと平然と嘯く御人の口から「理解」などという言葉が出るのは、それこそ「理解」しがたい妄言だろう。
国家間の相互理解というが、これは並大抵のことではない。私の知る限り、最も互いに理解しあっている二国間関係とは、イギリスとフランスのような関係だ。過去、この両国のいがみ合い、そしり合いは凄まじいもので、歴史上にこれほど、他愛もない理由で戦争を繰り返した二国を、私は他に知らない。近世に至るまで両国は、戦争してない時のほうが珍しいとすら言える状態であった。
さて、その二国が現在は友好国である。彼らは、お花畑の住人が言うように、互いに、胸のむかつく砂糖菓子のような「理解」に達したのだろうか?冗談ではない。私の知りえた限りでは、フランスはともかく、イギリス人は今でもフランスが大嫌いなのだ。日韓ワールドカップにおいて、フランスが予選敗退するやイギリス人は歓喜に沸いたのである。普段は分別くさいイギリス人の、そんな子供じみた一面を私は愛する。
それでも、両国が見かけ上は友好的であるとするなら、それは、互いの利害関係もあるにせよ、もはや互いに手の内を知り尽くし手も出せない、という、ある種の苦々しい諦観に基づく「理解」があるとしか思えぬが、しかし、これこそが国家間に成立しうる真の「理解」である。国家間に成立する理解とは、そのようなものであるしかないのだ。そして、真の「理解」とは、英仏両国のような、激しい文化的闘争の中にしか生まれ得ないはずである。
もし、ある人間が、他国との接触を持ち、無批判に他国の習俗に染まるのはまだしも、これまた無批判に「理屈ではない」とばかり、他国の利己的な主観や、政治的言説にまで染まり、その走狗と化すことを、人は「理解」と呼ぶだろうか?断じて否。そんなものは、単に当人の精神的、知的敗北に過ぎないことを、英仏両国関係はわれわれに教えている。
これは メッセージ 131564 (nihao_aq_jp さん)への返信です.
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