20世紀最大の元凶 コミンテルンと中国人7
投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/10/24 21:11 投稿番号: [125913 / 196466]
中国の政策と反日運動
America has no enemies in Asia!(ラルフ・タウンゼント)より
(抜粋・要約)
= = = = =
この数十年、中国では人口過剰や内乱、情け容赦ない役人による苦悩を外国人のせいにすることが流行っている。
アメリカの大学を出た者が多いにもかかわらず、宇が読めるものは、おそらく人口の5%に満たない。こうして大衆は無知だから、腐敗した政治家が排外政策を採るのも当然である。
米英が在留邦人救出のため南京を爆撃し上海の租界防衛の堅い決意を示すと、蒋介石一派は「反米、反英が割に合わない」ことに気づいた。そこでアメリカから援助をもぎ取ることに方針を変更した。権力抗争相手を倒す軍資金が欲しかったのである。アメリカ人の資産を焼き討ちし、多くのアメリカ人が殺された反米運動を止めた直後にもかかわらず、蒋介石はあっという間に、アメリカの援助を手に入れた。
英米の援助が確実となると、蒋介石は排外の刃を日本に向けた。日英同盟は既に破棄されていた〔1922年(大正11年)〕。アメリカでは共産勢の反日宣伝が結果を出していた。イタリアやドイツとの同盟の構想もなく孤立した日本は、排外を伝統とする中国の、米英よりも狙いやすい餌食になったのである。
中国が新たに反日政策を採ったのには、何ら正当性がないと思われる。何千人もの中国人実業家が日本で優遇されていたし、当時、日本は満州国を占領もしていなかった。
1922年(大正11年)、日本は第一次大戦でドイツから奪った山東省の鉄道の利権等を中国に自主的に返還した。これは誠に寛大な措置で、国際的に見ても史上稀なことであった。比較的貧しく、海外に資源を求める必要のある日本にとっては、誠に重大な意味を持つ措置であったのである。
なぜ返還したのか、私には分からない。当時の日本の新聞には、「山東省に執着するより、日支親善を優先し、交易することが重要である」とする記事があふれた。こうした論が主流であったと思われる。というのも、しばらく経過した1929年(昭和4年)、日本政府は「親善」客として中国人学生が日本で学ぶための奨学金として7200万円を配分したのであるから。また、日本で資金を調達し貧しい中国人のため中国に親善病院も開院したのである。
したがって、中国の反日運動は満州占領に端を発するものでないことは確実である.おそらく事変の数年前から進行していたものと思われる。
= = = = =
ここに書かれていることは,70年も80年もまえのことだけど,何か今の日中関係と勘違いしてしまう
つまり,中国は昔も今も変らない(駄目な)国だということだろう
政治の腐敗,内政の不満を反日でごまかす中国政府
それなのにせっせせっせと援助を惜しまない日本政府
挙句の果てには,親善のために国費で中国人留学生を招くなど全く現在進行形の出来事でその類似性にびっくりしてしまう
日本の政府も外務省も経験を生かすということが出来ないのだろうか
中國との付き合いなどほどほどにしておけば良いと思う
当時と違って,今では交通手段も通信手段も格段に進歩しているのだから,近いというだけで中国などと付き合う必要はない
また,お金だけふんだくられて世界の悪者の濡れ衣を着せられるだけだと思う
America has no enemies in Asia!(ラルフ・タウンゼント)より
(抜粋・要約)
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この数十年、中国では人口過剰や内乱、情け容赦ない役人による苦悩を外国人のせいにすることが流行っている。
アメリカの大学を出た者が多いにもかかわらず、宇が読めるものは、おそらく人口の5%に満たない。こうして大衆は無知だから、腐敗した政治家が排外政策を採るのも当然である。
米英が在留邦人救出のため南京を爆撃し上海の租界防衛の堅い決意を示すと、蒋介石一派は「反米、反英が割に合わない」ことに気づいた。そこでアメリカから援助をもぎ取ることに方針を変更した。権力抗争相手を倒す軍資金が欲しかったのである。アメリカ人の資産を焼き討ちし、多くのアメリカ人が殺された反米運動を止めた直後にもかかわらず、蒋介石はあっという間に、アメリカの援助を手に入れた。
英米の援助が確実となると、蒋介石は排外の刃を日本に向けた。日英同盟は既に破棄されていた〔1922年(大正11年)〕。アメリカでは共産勢の反日宣伝が結果を出していた。イタリアやドイツとの同盟の構想もなく孤立した日本は、排外を伝統とする中国の、米英よりも狙いやすい餌食になったのである。
中国が新たに反日政策を採ったのには、何ら正当性がないと思われる。何千人もの中国人実業家が日本で優遇されていたし、当時、日本は満州国を占領もしていなかった。
1922年(大正11年)、日本は第一次大戦でドイツから奪った山東省の鉄道の利権等を中国に自主的に返還した。これは誠に寛大な措置で、国際的に見ても史上稀なことであった。比較的貧しく、海外に資源を求める必要のある日本にとっては、誠に重大な意味を持つ措置であったのである。
なぜ返還したのか、私には分からない。当時の日本の新聞には、「山東省に執着するより、日支親善を優先し、交易することが重要である」とする記事があふれた。こうした論が主流であったと思われる。というのも、しばらく経過した1929年(昭和4年)、日本政府は「親善」客として中国人学生が日本で学ぶための奨学金として7200万円を配分したのであるから。また、日本で資金を調達し貧しい中国人のため中国に親善病院も開院したのである。
したがって、中国の反日運動は満州占領に端を発するものでないことは確実である.おそらく事変の数年前から進行していたものと思われる。
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ここに書かれていることは,70年も80年もまえのことだけど,何か今の日中関係と勘違いしてしまう
つまり,中国は昔も今も変らない(駄目な)国だということだろう
政治の腐敗,内政の不満を反日でごまかす中国政府
それなのにせっせせっせと援助を惜しまない日本政府
挙句の果てには,親善のために国費で中国人留学生を招くなど全く現在進行形の出来事でその類似性にびっくりしてしまう
日本の政府も外務省も経験を生かすということが出来ないのだろうか
中國との付き合いなどほどほどにしておけば良いと思う
当時と違って,今では交通手段も通信手段も格段に進歩しているのだから,近いというだけで中国などと付き合う必要はない
また,お金だけふんだくられて世界の悪者の濡れ衣を着せられるだけだと思う
これは メッセージ 125909 (sada_goro さん)への返信です.
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