Re: ●もうやめませんか? ①
投稿者: jptmd2004 投稿日時: 2006/06/18 19:42 投稿番号: [118106 / 196466]
>で、清国軍は撤退したのかな?<<<
今度は、日本寄りのHPを提示してあげるか。
【日本は清国に対し、協同して朝鮮の内乱を鎮圧し内政改革をすすめようと申し込んだが清国はこれを拒絶した。宗属関係の強化を目指すことが清国の基本方針であったためである。甲申の変後朝鮮の改革派が壊滅状態になっていたため朝鮮側からの改革は事実上不可能であった。そうなると日本軍が朝鮮王宮、政府を抑えたのちに上から改革を指導する他なく、そのためには清国の宋主権の排除が避けられなくなった。英米ロ三国は、それぞれの立場から調停を斡旋しようとしたが清国は、日本の撤兵後でなければ何事の協議にも応じないという態度を固持したためいずれも失敗し、各国ともに傍観の立場をとるに至った。
7月12日 日本政府は第二次絶交書といわれる宣言を発し、戦争も辞さない決意を示した。7月19日には大島公使が朝鮮政府に清国軍の撤去要求を求める「最後通牒」を手交した。6月中旬以来武力をもって京城を抑えていた日本は、閔氏一族に代わるものとして隠棲中の大院君に出馬を促し改革に着手した。7月23日 大院君は日本兵に護られて王宮に入り閔氏一族を一掃して政権を握り、対日協力の態度を明らかにした。ここにおいて朝鮮における日本の立場は一挙に好転するとともに、清国との戦争はいよいよ避けがたいものとなったのである。】
日本は天津条約に違反して撤退しないと固辞して、朝鮮半島の内政である改革に対してまで手を出してしまった。
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-nissin1.html
ちなみに、【東学党は「逐滅倭夷」をスローガンに反乱を起こします。】
日本人が半島の人からその当時から嫌われていた。
いいか。仮に清国が撤兵しないで、日本に半島から追い出されたまでだったとしても、それから、日本は清国に半島の主権を認めさせる一方、自ら半島の主権を侵害しつつ敗戦まで占拠したのが、天津条約への違反だったよ。
お前さんは、頭が大丈夫か?大丈夫の?
>日本側礼法の準備>清側砲撃開始>日本側反撃
こういうこと。
<<<
何か、礼法だ。礼法があったら、準備する前に合図で交信することだよ。
交信しないで中国側が打ったのも礼砲だったりして、日本側は勘違いして実弾を打った。
戦争布告したのも日本だった。
>戦争が外交の一手段と考えてるだけだが?特に第二次大戦以前の頃はね。
では、なぜ現在でも戦争は起こってるんだ?
中国が起こした戦争も多数あるがね。
<<<
お前さんはどこまで、誤魔化すか。
戦争と外交とどちらも国益を叶う手段であるが、前者は武力的で、後者は平和的による交渉だよ。
そうか、誤魔化すんではなくて元々頭の悪い人だな。
芯から性質が悪いと、武力は平和の手段だのと強弁するのだ。
変わらないね、日本人は。
>当時の世界情勢が弱肉強食の世界だったんだから、食われたくなければ食う側に回るしかなかっただけだがね。
<<<
後世は前世に対して歴史の評価を下す。
最終的には日本は人を喰うところか、喰われたんだろう。
悪者だったんだろう。悪者との評価だったから、悪者のイメージを、これから拭き取ることだよ。
>で、中国は、残念ながら食われる側にしかなれなかった。
そう言う事だよ。
<<<
最後の敗者が日本で、喰われる立場にあったが、中国や飴公などの大陸から情けがかけられたんだろう。
恩知らずものだね。
>反日教育と中国国内の格差を何とかしたら?
大嫌いな日本に来てまで犯罪犯さなきゃ成らないほど、生活に困窮してるんなら、それを正せば、犯罪目的で日本に来る事はあるまい?
それに、中国人の反日思想によって、日本人には何をしてもOKっていう考えがあるだろ?
それを何とかしたらどうなんだ?
<<<
日本は豊かさになるまでまたは豊かさを求めて、世界のあっちこっちへ足を運んでいるが、気づかないの?
>戦時だからといって、絶対に武装を解いてはいけないわけではなかろ?
それとも、その飛行場一帯は戦場だったのかね?
あと、斎藤水兵は大山中尉のお抱え運転手で護衛じゃないよ。
<<<<
百歩を譲って申し上げるが、
戦時だからこそ、保安官の命令に従って発砲しない、逃げないような挑発行為をしないことだよ。
自殺か殺されたからって、責任逃れできない。
>中国軍からの発砲によるという説もあるんですけど。<<<
大切な任務を背負って、命令に従わない挑発者をやったとしても、責務のうち。
何故、飛行場にいくか、事件の後でも日本から
今度は、日本寄りのHPを提示してあげるか。
【日本は清国に対し、協同して朝鮮の内乱を鎮圧し内政改革をすすめようと申し込んだが清国はこれを拒絶した。宗属関係の強化を目指すことが清国の基本方針であったためである。甲申の変後朝鮮の改革派が壊滅状態になっていたため朝鮮側からの改革は事実上不可能であった。そうなると日本軍が朝鮮王宮、政府を抑えたのちに上から改革を指導する他なく、そのためには清国の宋主権の排除が避けられなくなった。英米ロ三国は、それぞれの立場から調停を斡旋しようとしたが清国は、日本の撤兵後でなければ何事の協議にも応じないという態度を固持したためいずれも失敗し、各国ともに傍観の立場をとるに至った。
7月12日 日本政府は第二次絶交書といわれる宣言を発し、戦争も辞さない決意を示した。7月19日には大島公使が朝鮮政府に清国軍の撤去要求を求める「最後通牒」を手交した。6月中旬以来武力をもって京城を抑えていた日本は、閔氏一族に代わるものとして隠棲中の大院君に出馬を促し改革に着手した。7月23日 大院君は日本兵に護られて王宮に入り閔氏一族を一掃して政権を握り、対日協力の態度を明らかにした。ここにおいて朝鮮における日本の立場は一挙に好転するとともに、清国との戦争はいよいよ避けがたいものとなったのである。】
日本は天津条約に違反して撤退しないと固辞して、朝鮮半島の内政である改革に対してまで手を出してしまった。
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-nissin1.html
ちなみに、【東学党は「逐滅倭夷」をスローガンに反乱を起こします。】
日本人が半島の人からその当時から嫌われていた。
いいか。仮に清国が撤兵しないで、日本に半島から追い出されたまでだったとしても、それから、日本は清国に半島の主権を認めさせる一方、自ら半島の主権を侵害しつつ敗戦まで占拠したのが、天津条約への違反だったよ。
お前さんは、頭が大丈夫か?大丈夫の?
>日本側礼法の準備>清側砲撃開始>日本側反撃
こういうこと。
<<<
何か、礼法だ。礼法があったら、準備する前に合図で交信することだよ。
交信しないで中国側が打ったのも礼砲だったりして、日本側は勘違いして実弾を打った。
戦争布告したのも日本だった。
>戦争が外交の一手段と考えてるだけだが?特に第二次大戦以前の頃はね。
では、なぜ現在でも戦争は起こってるんだ?
中国が起こした戦争も多数あるがね。
<<<
お前さんはどこまで、誤魔化すか。
戦争と外交とどちらも国益を叶う手段であるが、前者は武力的で、後者は平和的による交渉だよ。
そうか、誤魔化すんではなくて元々頭の悪い人だな。
芯から性質が悪いと、武力は平和の手段だのと強弁するのだ。
変わらないね、日本人は。
>当時の世界情勢が弱肉強食の世界だったんだから、食われたくなければ食う側に回るしかなかっただけだがね。
<<<
後世は前世に対して歴史の評価を下す。
最終的には日本は人を喰うところか、喰われたんだろう。
悪者だったんだろう。悪者との評価だったから、悪者のイメージを、これから拭き取ることだよ。
>で、中国は、残念ながら食われる側にしかなれなかった。
そう言う事だよ。
<<<
最後の敗者が日本で、喰われる立場にあったが、中国や飴公などの大陸から情けがかけられたんだろう。
恩知らずものだね。
>反日教育と中国国内の格差を何とかしたら?
大嫌いな日本に来てまで犯罪犯さなきゃ成らないほど、生活に困窮してるんなら、それを正せば、犯罪目的で日本に来る事はあるまい?
それに、中国人の反日思想によって、日本人には何をしてもOKっていう考えがあるだろ?
それを何とかしたらどうなんだ?
<<<
日本は豊かさになるまでまたは豊かさを求めて、世界のあっちこっちへ足を運んでいるが、気づかないの?
>戦時だからといって、絶対に武装を解いてはいけないわけではなかろ?
それとも、その飛行場一帯は戦場だったのかね?
あと、斎藤水兵は大山中尉のお抱え運転手で護衛じゃないよ。
<<<<
百歩を譲って申し上げるが、
戦時だからこそ、保安官の命令に従って発砲しない、逃げないような挑発行為をしないことだよ。
自殺か殺されたからって、責任逃れできない。
>中国軍からの発砲によるという説もあるんですけど。<<<
大切な任務を背負って、命令に従わない挑発者をやったとしても、責務のうち。
何故、飛行場にいくか、事件の後でも日本から
これは メッセージ 118097 (asianrobo さん)への返信です.
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