盧溝橋事件と日中戦争②
投稿者: yousunwai 投稿日時: 2006/05/23 20:02 投稿番号: [115938 / 196466]
蒋介石が、戦争の決意をしても、日本側は、それでも全面戦争の命令は出していなかった。ところが、7月25日国民党軍の攻撃が突如起こった。(郎坊事件)
ここでも、まず、攻撃は、国民党の方からだった。加えて、
7月26日、広安門事件、日本軍が攻撃を受ける。
7月28日、日本軍が華北への攻撃を開始。
7月29日、通州事件。日本人居留民約260名が虐殺される。
しかしながら、日本は、不拡大の方針は、まだ、それなりにあった。そこで、和平会談のくだりとなったのではないのか?しかし、
8月9日、和平会談の予定だったが、海軍陸戦隊の大山中尉が惨殺される。
この銃撃戦が、起きた理由については、日華双方の主張は、食い違っているようだが、以下の内容は、共同調査の結果である。尚、犬山は、丸腰であったという話もある。
「日中共同の公式調査によれば、中国保安隊員は背中から小銃弾2発を打ち込まれて即死した。大山は全身に30発以上の銃弾を打ち込まれた後、頭部・腹部などに刃物・鈍器によると見られる損傷が見られた。また彼の靴、札入れ、時計などの貴重品が奪われたという。」
1.和平会談の最中に起きた銃撃戦という驚くべき事実の他に、
2.大山は全身に30発以上の銃弾を打ち込まれた後、
3.頭部・腹部などに刃物・鈍器によると見られる損傷が見られた。
4.また彼の靴、札入れ、時計などの貴重品が奪われたという。
シナ側の強盗行為と無残な殺され方に、日本側はシナ人に対する怒りを募らせたに違いない。しかし、それでも、日本側は、全面戦争の継続だけは避けたかったようだ。
8月10日 領事団会議の結果を重視して、海軍の長谷川清中将は国際租界内の海軍司令部に対し、平静を保つように命令した。またこの日、海軍陸戦隊を上陸させなかった。
8月11日 上海市長が日本領事に電話をかけ、「自分は無力で何もできない」と通報。ここで、日本海軍陸戦隊を1支隊を予備上陸させた。
8月12〜13日 上海を包囲した国民党軍は国際租界の日本海軍陸戦隊と交戦を開始した。陸戦隊は戦闘区域が国際区域に拡大しないよう、防衛的戦術に限定した。
13日の午後から国民党軍による空からの攻撃が開始された。
戦争を拡大させたかった国民党軍の姿が、良くわかる。その後、日中戦争は、泥沼化して行くことになる。
ここでも、まず、攻撃は、国民党の方からだった。加えて、
7月26日、広安門事件、日本軍が攻撃を受ける。
7月28日、日本軍が華北への攻撃を開始。
7月29日、通州事件。日本人居留民約260名が虐殺される。
しかしながら、日本は、不拡大の方針は、まだ、それなりにあった。そこで、和平会談のくだりとなったのではないのか?しかし、
8月9日、和平会談の予定だったが、海軍陸戦隊の大山中尉が惨殺される。
この銃撃戦が、起きた理由については、日華双方の主張は、食い違っているようだが、以下の内容は、共同調査の結果である。尚、犬山は、丸腰であったという話もある。
「日中共同の公式調査によれば、中国保安隊員は背中から小銃弾2発を打ち込まれて即死した。大山は全身に30発以上の銃弾を打ち込まれた後、頭部・腹部などに刃物・鈍器によると見られる損傷が見られた。また彼の靴、札入れ、時計などの貴重品が奪われたという。」
1.和平会談の最中に起きた銃撃戦という驚くべき事実の他に、
2.大山は全身に30発以上の銃弾を打ち込まれた後、
3.頭部・腹部などに刃物・鈍器によると見られる損傷が見られた。
4.また彼の靴、札入れ、時計などの貴重品が奪われたという。
シナ側の強盗行為と無残な殺され方に、日本側はシナ人に対する怒りを募らせたに違いない。しかし、それでも、日本側は、全面戦争の継続だけは避けたかったようだ。
8月10日 領事団会議の結果を重視して、海軍の長谷川清中将は国際租界内の海軍司令部に対し、平静を保つように命令した。またこの日、海軍陸戦隊を上陸させなかった。
8月11日 上海市長が日本領事に電話をかけ、「自分は無力で何もできない」と通報。ここで、日本海軍陸戦隊を1支隊を予備上陸させた。
8月12〜13日 上海を包囲した国民党軍は国際租界の日本海軍陸戦隊と交戦を開始した。陸戦隊は戦闘区域が国際区域に拡大しないよう、防衛的戦術に限定した。
13日の午後から国民党軍による空からの攻撃が開始された。
戦争を拡大させたかった国民党軍の姿が、良くわかる。その後、日中戦争は、泥沼化して行くことになる。
これは メッセージ 115845 (jptmd2004 さん)への返信です.
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