日中関係

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盧溝橋事件と日中戦争①

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2006/05/23 19:59 投稿番号: [115937 / 196466]
http://www.c20.jp/1937/07hahei.html

↑のURLは、大事な事件が抜けている。

まず、日本のシナ人に対する不信感は、昭和11年、12年になると、中国側からの挑発行為が行われるようになった。11年には各地で日本の水兵、船員、領事警察、在留邦人の殺害事件が相次ぎ、8月には毎日新聞と満鉄社員が群集に殴打惨殺される成都事件が起きている。日中戦争にこうした背景は、無視できない。

そこへ、1937年7月7日盧溝橋による誰だか分からない発砲が、日本軍に対してあった後、日華両軍は、全面衝突になった。

7月9日に、正式な停戦協議が始まる前に、暫定的な停戦協定が成立した。

その後、

7月10日

「国民党中央軍の北上」「現地情勢の緊迫」の報が伝えられたようだ。これによって、日本側が、国民党側に対して、さらに、不信感を増大させた可能性があるのではないのか?もはや、停戦協定など、有名無実化していた可能性は高い。

7月11日

18時24分:「北支派兵に関する政府声明」により、北支派兵を発表。

20時00分:「責任者の処分」「中国軍の盧溝橋城郭・竜王廟からの撤退」「抗日団体の取締」を骨子とす

る現地停戦協定が成立した(松井-秦徳純協定)。

つまり、日本政府は、シナ側に不信感を持っていたことと、その少し前に入ってきた「国民党中央軍の北上」「現地情勢の緊迫」の報により、万が一を考えて、停戦協定成立前に派遣を決定した。ただし、宣戦布告をしたわけではない。派兵を決定しただけである。

それに対し、国民党側の反応は、

7月17日   蒋介石がラジオで『生死関頭』演説を行い戦争の決意を表明

戦争をしたくないのなら、シナ側が、ここで、対話と戦争をする意思がないことを表明すべきだ。でも戦争やるぞ!と言った。ああ。やっぱりな。蒋介石は、最初からやる気だった。日本側がそういう理解をしても仕方がない。
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