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張学良、北伐中の27年 既に国民党入党

投稿者: crngsuvt 投稿日時: 2006/04/17 10:36 投稿番号: [112987 / 196466]
今も昔も   節操が無い国だ。


》中国統一異聞   張学良、北伐中の27年7月   既に国民党入党

蒋介石日記で判明
  安事件(一九三六年十二月)の主役として中国現代史に名を残した張学良が、中国統一をめざす北伐(二六−二八年)当時の二七年七月、まだ敵対関係にあった蒋介石率いる中国国民党に対し、ひそかに忠誠を誓い、入党していたことが判明した。このほど米スタンフォード大学で公開された蒋介石日記から明らかになった。張学良には、同事件の直前に中国共産党への寝返りを図った疑惑も最近の研究で浮上するなど、その政治的な節操のあり方をめぐり「英雄」という人物像が書き改められる可能性も出てきた。(米カリフォルニア州パロアルト   山本秀也)
  張学良が国民党政権(国民政府)への合流を公然と示したのは、奉天軍閥の巨頭だった父、張作霖が爆殺されたのと同じ二八年(昭和三年)の十二月だった。生前の証言で、張学良は合流直前に国民政府と連絡があったことは認めていたが、今回の記述はこれより一年五カ月前の時点で、中国統一の布石が打たれていたことを示した。
  問題の記述は、北伐が一時停滞していた二七年七月二十日に南京で書かれた。
  「易寅村、彭君が来訪、武漢、北京よりの忠誠伝達について話す。武漢の共産党はまもなく崩壊する。張学良も忠誠を伝達し、入党してきた」
  仲介役とみられる易寅村とは、のちに故宮博物院長を務めた易培基(寅村は字(あざな))のことで、軍閥の迫害を避けて北京から上海に逃れていた。「入党」が、党内手続きを経て承認を得たのかは説明がない。
  当時、張学良は、父の配下で北伐軍の北上阻止に当たっていた。この時点での国民党内通は、張作霖ら軍閥勢力にとり重大な離反行為を意味する。
  張学良は中国統一後の三五−三六年、東北軍を率いて西安を拠点に共産党の軍事掃討作戦を指揮したが、この中で今度は共産党に入党を求めた疑惑も出ている。
  これは共産党中央文献研究室室務委員を務めた高文謙氏が、米コロンビア大学で二〇〇四年二月に述べた。高氏は、三五年末に陝西省にあった共産党中央がモスクワのコミンテルンに対し、張学良の入党申請を報告して、その可否の判断を求めた電文をみたと発言した。高氏はモスクワが却下したと述べたが、共産党が独断で入党させたとの異説もある。
  張学良は三六年、督戦のため西安を訪れた蒋介石を拘束し、抗日救国に向けた挙国体制を要求。この西安事件を経て第二次国共合作が実現したものの、張学良は中国大陸と台湾で半世紀あまり軟禁され、〇一年十月にハワイで死去した。
  蒋介石の日記は、遺族から原本を寄託されたスタンフォード大学が、三一年分までを公開した。
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