Re: 日中友好2
投稿者: attoko12345 投稿日時: 2006/04/09 14:09 投稿番号: [112115 / 196466]
>小麦の野生種は人類がアフリカからでてアジアに至るに従って一緒に移動してきた。ただ、当時農業がまだ始まっていなかった時期でも野生種の小麦が人類の知らない間に拡がってくるなどはあり得ること。今でも、外来種が知らない間に日本に拡がっているくらいだから。
この辺から誤解があるようですな。
アジアに民族となるとモンゴロイドの起源と言うことになるが、これは日本民族との関係で注目されていて、
北京原人をモンゴロイドの起源と考えると20万年以降だと考えられる。7万年頃始まったヴェルム氷河期に寒地に取り残されて北方モンゴロイドが誕生したといわれている。南方の原モンゴロイドも滅びたわけではなく、違う進化をたどったということだ。
日本人はこの2種類のモンゴロイドの混血で生じたというのが最近の定説だ。
(民族の世界史2 日本民族と日本文化 山川出版)
では、中国ではどうか?
日本の中国の歴史書はまず黄河文明ありきで、その起源を仰招文化,竜山文化以上逆上らない。いずれも新石器文化中期であるが(6000年位前)、旧石器文化を語らない。
50万年前の龍牙洞遺跡などがあるが、旧石器とともにクマ、トラ、などの骨が出土する。旧石器の遺跡は発展の様子を見せず、滅びてしまう。
1万年位前から3000年ほど空白の時代があり、遺跡が存在しない。
中国の旧石器は新石器に発展しなかった。
仰性文化に先立つ新石器早期遺跡は 滋山遺跡、裴李嵩遺跡くらいしかなく(7000年位前)、土器(彩陶ではない)とともに、石鎌が出てくる。滋山遺跡、裴李嵩遺跡も粟が検出され畑作がここまでさかのぼることを証明した。粟の原植物は中国大陸に広く分布しているエノコログサだといわれている。
粟はそのまま黄河文明に引き継がれるが、石鎌(小刀のような形状だと思えばよい)は引き継がれなかった。
なぜか? 石鎌は穂摘みされた粟の刈り取りには適さない。石鎌は木製の柄をつけて、株の根元から刈り取るもので麦作地帯の西域で考案されて農具である。時代が下って、麦が西域からわたって黄河流域で麦作になるのである。
黄河流域からさらに北方、遼寧招と内モンゴルの先あたりに紅山文化に属する牛河梁遺跡というものがあるが、6000年位前だ。新石器早期の遺跡だが、土器と共に女神像がでてくる。この像の目は青い石が.はめ込まれており、西域の影響が明らかだ。このあたりはシルクロードの北方に当たり、北方遊牧民の移動ルートステップロードと呼ばれている。
ヘロドトスの歴史書に極北人という記述があるのをご存知だろうか?
黒海沿岸からカスピ海の北をとおり、カザフスタン、モンゴル平原を通り、満州にいたる極東人だと言われている。
日本の歴史書も故意かどうか知らないが記載していないので知られていないだけ。
黄河の彩陶も4000年位前だが、イラン東北部のアウナ遺跡でも同様な彩陶が出てくる。アウナ遺跡3000年位前が最盛期だが、ここからも当然、石鎌が出てくる。アウナ遺跡は5000年くらいまでさかのぼれるのに(メソポタミアの伝播だから)中国人は彩陶の西域起源を否定する。
(古代中国と倭族 中公文庫)
中華思想そのものだと思いますがねえ。
中国人そのものが西域起源という学説があるくらいですわ。
中国語以外は日本からインドまで英語と逆語順ですよ。
この辺から誤解があるようですな。
アジアに民族となるとモンゴロイドの起源と言うことになるが、これは日本民族との関係で注目されていて、
北京原人をモンゴロイドの起源と考えると20万年以降だと考えられる。7万年頃始まったヴェルム氷河期に寒地に取り残されて北方モンゴロイドが誕生したといわれている。南方の原モンゴロイドも滅びたわけではなく、違う進化をたどったということだ。
日本人はこの2種類のモンゴロイドの混血で生じたというのが最近の定説だ。
(民族の世界史2 日本民族と日本文化 山川出版)
では、中国ではどうか?
日本の中国の歴史書はまず黄河文明ありきで、その起源を仰招文化,竜山文化以上逆上らない。いずれも新石器文化中期であるが(6000年位前)、旧石器文化を語らない。
50万年前の龍牙洞遺跡などがあるが、旧石器とともにクマ、トラ、などの骨が出土する。旧石器の遺跡は発展の様子を見せず、滅びてしまう。
1万年位前から3000年ほど空白の時代があり、遺跡が存在しない。
中国の旧石器は新石器に発展しなかった。
仰性文化に先立つ新石器早期遺跡は 滋山遺跡、裴李嵩遺跡くらいしかなく(7000年位前)、土器(彩陶ではない)とともに、石鎌が出てくる。滋山遺跡、裴李嵩遺跡も粟が検出され畑作がここまでさかのぼることを証明した。粟の原植物は中国大陸に広く分布しているエノコログサだといわれている。
粟はそのまま黄河文明に引き継がれるが、石鎌(小刀のような形状だと思えばよい)は引き継がれなかった。
なぜか? 石鎌は穂摘みされた粟の刈り取りには適さない。石鎌は木製の柄をつけて、株の根元から刈り取るもので麦作地帯の西域で考案されて農具である。時代が下って、麦が西域からわたって黄河流域で麦作になるのである。
黄河流域からさらに北方、遼寧招と内モンゴルの先あたりに紅山文化に属する牛河梁遺跡というものがあるが、6000年位前だ。新石器早期の遺跡だが、土器と共に女神像がでてくる。この像の目は青い石が.はめ込まれており、西域の影響が明らかだ。このあたりはシルクロードの北方に当たり、北方遊牧民の移動ルートステップロードと呼ばれている。
ヘロドトスの歴史書に極北人という記述があるのをご存知だろうか?
黒海沿岸からカスピ海の北をとおり、カザフスタン、モンゴル平原を通り、満州にいたる極東人だと言われている。
日本の歴史書も故意かどうか知らないが記載していないので知られていないだけ。
黄河の彩陶も4000年位前だが、イラン東北部のアウナ遺跡でも同様な彩陶が出てくる。アウナ遺跡3000年位前が最盛期だが、ここからも当然、石鎌が出てくる。アウナ遺跡は5000年くらいまでさかのぼれるのに(メソポタミアの伝播だから)中国人は彩陶の西域起源を否定する。
(古代中国と倭族 中公文庫)
中華思想そのものだと思いますがねえ。
中国人そのものが西域起源という学説があるくらいですわ。
中国語以外は日本からインドまで英語と逆語順ですよ。
これは メッセージ 112087 (tokagenoheso さん)への返信です.
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