Re: 民度に関して
投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/06 06:55 投稿番号: [111828 / 196466]
■ 民度の比較 2朝鮮の場合
参考サイト「4人の外国人が見た韓国併合前の朝鮮」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/heigouji-chousen.html
イザベラ・バード著、時岡敬子訳『朝鮮紀行』講談社学術文庫1998年より
1894年(明治27)始めてソウルを訪れたバードはソウルについて次のように述べている。
・北京を見るまで私はソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし、紹興(しょうこう 浙江省にある町)へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだと考えていた。都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。礼節上2階建ての家は建てられず…
・商店も概してみすぼらしいのは同じである。在庫品全部買っても6ドル程度の店が沢山ある。ソウル市内は女1人で歩いていても危害を加えられることはまずないものの……店には文字通り記すに値するような特徴がない。何も特徴がないのが特徴である。……その他にある安価な灯油ランプ、手鏡、安物臭い花瓶などといった外国製の不要品から一番くだらない物ばかり選んできたような品々は、どれをとっても悪趣味の極みとしか言いようがない。
・朝鮮にいたとき、私は朝鮮人というのはくずのような民族で、その状態は望みなしと考えていた。ところが沿海州ではその考えを大いに修正しなければならなかった。自らを裕福な農民層に育て上げ、ロシア人警察官やロシア人入植者や軍人から、勤勉で品行方正だとすばらしい評価を受けている朝鮮人は、なにも例外的に勤勉家なのでも倹約家なのでもないのである。彼らは大半が飢饉から逃げ出してきた飢えた人々であった。そういった彼らの裕福さや品行の良さは、朝鮮本国においても真摯な行政と収入の保護さえあれば、人々は徐々にまっとうな人間となりうるのではないかという望みを私に抱かせる。
(※投稿者注:事実 日韓併合の後、朝鮮の生活や教育は極端に改善される)
F・A・マッケンジー著、渡辺学訳『朝鮮の悲劇』平凡社東洋文庫1973年より
マッケンジーはカナダ人、ロンドン・デーリーミラーの記者として1904年と1906年の2回韓国を訪れている。
この本は1908年(明治41年、韓国併合の2年前)に出版された
徴税請負制のもとでは、監司(かむさ)や守令は、なるべく巨額の税を徴収するための自由行動を認められていたので、彼はその徴収した中央政府要求分以上の余分の額を、自分自身の収益として保有することができたのである。繁盛して富裕になった一(農民のこと?)は、たちまちにして守令の執心の犠牲となった。守令は特に秋の収穫の豊であった農民の所へやってきて、金品の借用を申し出る。もしその人がこれを拒否すれば、郡守はただちに彼を投獄し、その申し出を承認するまで、半ば絶食同様にさせた上、日に1,2回の笞刑を加えるのであった。勿論善良な守令も悪徳な守令もいたが、総じて官衙はすべての勤労大衆にとって恐ろしいところであった。ある時ある朝鮮の農民に私は尋ねた。「なぜもっと多くの穀物を栽培し、もっと多くの土地を耕作しないのか?」と、彼は次のように答えた「なぜ私はそうしなければならないと言うのか。より多くの穀物収穫は為政者のよりひどい強奪を意味するだけなのに」
参考サイト「4人の外国人が見た韓国併合前の朝鮮」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/heigouji-chousen.html
イザベラ・バード著、時岡敬子訳『朝鮮紀行』講談社学術文庫1998年より
1894年(明治27)始めてソウルを訪れたバードはソウルについて次のように述べている。
・北京を見るまで私はソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし、紹興(しょうこう 浙江省にある町)へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだと考えていた。都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。礼節上2階建ての家は建てられず…
・商店も概してみすぼらしいのは同じである。在庫品全部買っても6ドル程度の店が沢山ある。ソウル市内は女1人で歩いていても危害を加えられることはまずないものの……店には文字通り記すに値するような特徴がない。何も特徴がないのが特徴である。……その他にある安価な灯油ランプ、手鏡、安物臭い花瓶などといった外国製の不要品から一番くだらない物ばかり選んできたような品々は、どれをとっても悪趣味の極みとしか言いようがない。
・朝鮮にいたとき、私は朝鮮人というのはくずのような民族で、その状態は望みなしと考えていた。ところが沿海州ではその考えを大いに修正しなければならなかった。自らを裕福な農民層に育て上げ、ロシア人警察官やロシア人入植者や軍人から、勤勉で品行方正だとすばらしい評価を受けている朝鮮人は、なにも例外的に勤勉家なのでも倹約家なのでもないのである。彼らは大半が飢饉から逃げ出してきた飢えた人々であった。そういった彼らの裕福さや品行の良さは、朝鮮本国においても真摯な行政と収入の保護さえあれば、人々は徐々にまっとうな人間となりうるのではないかという望みを私に抱かせる。
(※投稿者注:事実 日韓併合の後、朝鮮の生活や教育は極端に改善される)
F・A・マッケンジー著、渡辺学訳『朝鮮の悲劇』平凡社東洋文庫1973年より
マッケンジーはカナダ人、ロンドン・デーリーミラーの記者として1904年と1906年の2回韓国を訪れている。
この本は1908年(明治41年、韓国併合の2年前)に出版された
徴税請負制のもとでは、監司(かむさ)や守令は、なるべく巨額の税を徴収するための自由行動を認められていたので、彼はその徴収した中央政府要求分以上の余分の額を、自分自身の収益として保有することができたのである。繁盛して富裕になった一(農民のこと?)は、たちまちにして守令の執心の犠牲となった。守令は特に秋の収穫の豊であった農民の所へやってきて、金品の借用を申し出る。もしその人がこれを拒否すれば、郡守はただちに彼を投獄し、その申し出を承認するまで、半ば絶食同様にさせた上、日に1,2回の笞刑を加えるのであった。勿論善良な守令も悪徳な守令もいたが、総じて官衙はすべての勤労大衆にとって恐ろしいところであった。ある時ある朝鮮の農民に私は尋ねた。「なぜもっと多くの穀物を栽培し、もっと多くの土地を耕作しないのか?」と、彼は次のように答えた「なぜ私はそうしなければならないと言うのか。より多くの穀物収穫は為政者のよりひどい強奪を意味するだけなのに」
これは メッセージ 111827 (sada_goro さん)への返信です.
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