Re: 反論します
投稿者: jptmd2004 投稿日時: 2006/03/31 18:31 投稿番号: [111280 / 196466]
>ああ知らないね。
ところでお前の提示したリンクは何なんだ?
<<<
お前さんは、知らなさすぎたうえ、理解力もなさ過ぎる。
日本というより琉球政府が始めての主張だよ。
【[文書名] 尖閣列島に関する琉球立法院決議および琉球政府声明
[年月日] 1970年8月31日
[出典] 日本外交主要文書・年表(2),984−987頁.琉球立法院事務局「会議録」.「季刊沖縄」第56号,180−2頁.
[備考] 琉球政府声明は1970年9月17日
】
【
[文書名] 尖閣列島に関する中国外交部声明
[場所]
[年月日] 1971年12月30日
[出典] 日本外交主要文書・年表(3),521−522頁.北京周報,10巻1号,13頁.】
時間が読めんのか?
>その地図が作られたのは1970年。
戦争終結して何年経ってると思ってんだ?<<<
【日本人の中には、中国で出版された地図にも「尖閣列島」が使用され、「釣魚島」と表記されてないことを理由に、日本の領有権を主張する人がいる。中国のこれまでの地図では、清代に釣魚島が「釣魚台」と表記され、現在でも台湾で引き続き用いられている。日本軍の占領時代に出版された地図の上では、釣魚島は「尖閣列島」への改名を迫られたか、はっきりと表記されていないかである。例えば、当時の上海『申報』が出版した中国『新地図』がこのとおりである。戦後および中華人民共和国成立後の一時期に印刷された中国地図も、一部で引き続き「尖閣列島」の表記が使われるなどの影響を受けている。『中国分省地図』の1956年の第1版と1962年の第2版には、最後に「抗戦時期または解放前の申報の地図を参考にした」との説明が添えられている。中国地図における釣魚島の表記不揃いになってしまったのは、上述の日本軍による中国占領という歴史的原因があったからこそである。これは近代中国が半植民地となった歴史の傷跡でこそあれ、釣魚島なの島に対する日本の領有権を証明しうるものでは決してない。
日本の地図や公文書ではかつて、島の中国名を正式に使用していたことがある。統計によると、1935年から1970年にかけて日本で出版された地図21種類および大百科事典の3分の2に「尖閣列島」の記載がなく、「魚釣島」と記載しているものもあった。日本では釣魚島に属する島々の呼び方は混乱している。日本が最初に呼ぶようになった「尖閣列島」は、沖縄師範学校の黒田岩恒教諭が1900年5月、イギリス人が呼んでいた「尖頭諸島」から名づけたという。日本政府は1921年7月25日、同島の「国有地」編入に際して、赤尾嶼を「大正島」と改称したが、日本政府はこの名称を長い間正式に使用しなかった。第2次世界大戦後に日本が連合国司令部に提出した、海上保安庁水路部の海図は、依然として中国が命名した黄尾嶼、赤尾嶼を使用している。米軍占領下の沖縄県が1969年に発した正式文書や掲示でも、黄尾嶼、赤尾嶼などの島名が使用されている。1969年5月に釣魚島海域に石油が埋蔵されているとの情報が流れると、沖縄県は石油会社から相次ぐ調査申請を受け、同県石垣市長の命令で釣魚島に目印となる杭を建設、黄尾嶼を「久場島」、赤尾嶼を「大正島」と再度改称した。
しかし、これら島々の名称は勅令による命名を経ていないため、1972年以前の日本政府は各島の島名を出して領有権を主張せず、漠然と「尖閣列島」または「尖閣群島」と呼んでいた。今日に至るまで、これらの島に中国名を使用している日本地図も依然存在しており、平凡社が1984年に出版した『世界大地図帳』には、はっきり漢字と日本語読みで「魚釣島(うおつりじま)」、「黄尾嶼(こうびしょ)」、「赤尾嶼(せきびしょ)」と表記されている。また、現在日本政府や沖縄県の正式文書でも黄尾嶼、赤尾嶼という呼称を使用している。防衛庁が1995年2月に衆議院予算委員会に提出した「防衛庁資料」でも、中国名の黄尾嶼、赤尾嶼が使用されている。(3)
】
しっかり勉強せね!
ところでお前の提示したリンクは何なんだ?
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お前さんは、知らなさすぎたうえ、理解力もなさ過ぎる。
日本というより琉球政府が始めての主張だよ。
【[文書名] 尖閣列島に関する琉球立法院決議および琉球政府声明
[年月日] 1970年8月31日
[出典] 日本外交主要文書・年表(2),984−987頁.琉球立法院事務局「会議録」.「季刊沖縄」第56号,180−2頁.
[備考] 琉球政府声明は1970年9月17日
】
【
[文書名] 尖閣列島に関する中国外交部声明
[場所]
[年月日] 1971年12月30日
[出典] 日本外交主要文書・年表(3),521−522頁.北京周報,10巻1号,13頁.】
時間が読めんのか?
>その地図が作られたのは1970年。
戦争終結して何年経ってると思ってんだ?<<<
【日本人の中には、中国で出版された地図にも「尖閣列島」が使用され、「釣魚島」と表記されてないことを理由に、日本の領有権を主張する人がいる。中国のこれまでの地図では、清代に釣魚島が「釣魚台」と表記され、現在でも台湾で引き続き用いられている。日本軍の占領時代に出版された地図の上では、釣魚島は「尖閣列島」への改名を迫られたか、はっきりと表記されていないかである。例えば、当時の上海『申報』が出版した中国『新地図』がこのとおりである。戦後および中華人民共和国成立後の一時期に印刷された中国地図も、一部で引き続き「尖閣列島」の表記が使われるなどの影響を受けている。『中国分省地図』の1956年の第1版と1962年の第2版には、最後に「抗戦時期または解放前の申報の地図を参考にした」との説明が添えられている。中国地図における釣魚島の表記不揃いになってしまったのは、上述の日本軍による中国占領という歴史的原因があったからこそである。これは近代中国が半植民地となった歴史の傷跡でこそあれ、釣魚島なの島に対する日本の領有権を証明しうるものでは決してない。
日本の地図や公文書ではかつて、島の中国名を正式に使用していたことがある。統計によると、1935年から1970年にかけて日本で出版された地図21種類および大百科事典の3分の2に「尖閣列島」の記載がなく、「魚釣島」と記載しているものもあった。日本では釣魚島に属する島々の呼び方は混乱している。日本が最初に呼ぶようになった「尖閣列島」は、沖縄師範学校の黒田岩恒教諭が1900年5月、イギリス人が呼んでいた「尖頭諸島」から名づけたという。日本政府は1921年7月25日、同島の「国有地」編入に際して、赤尾嶼を「大正島」と改称したが、日本政府はこの名称を長い間正式に使用しなかった。第2次世界大戦後に日本が連合国司令部に提出した、海上保安庁水路部の海図は、依然として中国が命名した黄尾嶼、赤尾嶼を使用している。米軍占領下の沖縄県が1969年に発した正式文書や掲示でも、黄尾嶼、赤尾嶼などの島名が使用されている。1969年5月に釣魚島海域に石油が埋蔵されているとの情報が流れると、沖縄県は石油会社から相次ぐ調査申請を受け、同県石垣市長の命令で釣魚島に目印となる杭を建設、黄尾嶼を「久場島」、赤尾嶼を「大正島」と再度改称した。
しかし、これら島々の名称は勅令による命名を経ていないため、1972年以前の日本政府は各島の島名を出して領有権を主張せず、漠然と「尖閣列島」または「尖閣群島」と呼んでいた。今日に至るまで、これらの島に中国名を使用している日本地図も依然存在しており、平凡社が1984年に出版した『世界大地図帳』には、はっきり漢字と日本語読みで「魚釣島(うおつりじま)」、「黄尾嶼(こうびしょ)」、「赤尾嶼(せきびしょ)」と表記されている。また、現在日本政府や沖縄県の正式文書でも黄尾嶼、赤尾嶼という呼称を使用している。防衛庁が1995年2月に衆議院予算委員会に提出した「防衛庁資料」でも、中国名の黄尾嶼、赤尾嶼が使用されている。(3)
】
しっかり勉強せね!
これは メッセージ 111257 (harmony06162000 さん)への返信です.
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