Re: qoraboyさん、いつになったらまとまる
投稿者: qoraboy 投稿日時: 2005/10/31 01:37 投稿番号: [101835 / 196466]
2000時を超えたので、追加内容として、
>目印に利用した資料でなく、実際に中国が調査などした記録は無いのですか?
日本にはあるが、それは貪欲によったものでもある。
「一八九五年の閣議決定は公表されなかったし、釣魚諸島を日本領に編入するという公示が出されたわけでもなかったし、標杭が建てられたわけでもなかったし、講和条約の議題として日本が持ち出したわけでもなかった。日本から台湾と遼東半島の割譲や巨額の賠償金の支払いを要求されていた清国が、自分の知らないところで秘密裏に行われた釣魚諸島強奪に抗議することなど、できるはずがなかったのである。
天皇制日本帝国主義は、降伏後の領土問題について「カイロ宣言の条項は実行される」と明記したポツダム宣言を受け入れて無条件降伏した。カイロ宣言は、満州、台湾、澎湖諸島など、日本が中国から奪ったすべての地域を返還すると規定している。
たとえ日本の敗戦後、中国領である釣魚諸島を琉球列島とともにアメリカ帝国主義が軍事占領し、五一年のサンフランシスコ講和条約締結後も軍事占領を継続し、四九年に勝利した中国革命に敵対するための射爆場として使用し続けたとしても、釣魚諸島が返還されるべき中国領である事実にはいささかも変わりはない。また、サンフランシスコ講和会議には中国代表は招請されてさえおらず、したがって講和条約は中国を拘束せず、中国と日本の領土問題はその後も積み残されたのである。
秘密裏に盗み取ったため、釣魚諸島がいつから沖縄県の管轄になったのかも不明のままである。日本側は一八九五年の閣議決定を経て、翌年四月一日の勅令第十三号で日本領となったと主張している。
しかしこれもデタラメである。沖縄県の編成について記されたその勅令には、久米島や慶良間諸島や鳥島や大東島や宮古諸島や八重山諸島については書かれていても、「魚釣島(釣魚島の日本名)」も「久場島(黄尾嶼の日本名)」も出てこないし、もちろん「尖閣列島」などという名も出てこない。そもそも「尖閣列島」なる英語から直訳された名が付けられたのが一九〇〇年なのだから、書かれているはずもないのだ。
釣魚諸島が中国の領土であるということは、歴史的にも国際法的にも動かしがたい事実なのである。」
>目印に利用した資料でなく、実際に中国が調査などした記録は無いのですか?
日本にはあるが、それは貪欲によったものでもある。
「一八九五年の閣議決定は公表されなかったし、釣魚諸島を日本領に編入するという公示が出されたわけでもなかったし、標杭が建てられたわけでもなかったし、講和条約の議題として日本が持ち出したわけでもなかった。日本から台湾と遼東半島の割譲や巨額の賠償金の支払いを要求されていた清国が、自分の知らないところで秘密裏に行われた釣魚諸島強奪に抗議することなど、できるはずがなかったのである。
天皇制日本帝国主義は、降伏後の領土問題について「カイロ宣言の条項は実行される」と明記したポツダム宣言を受け入れて無条件降伏した。カイロ宣言は、満州、台湾、澎湖諸島など、日本が中国から奪ったすべての地域を返還すると規定している。
たとえ日本の敗戦後、中国領である釣魚諸島を琉球列島とともにアメリカ帝国主義が軍事占領し、五一年のサンフランシスコ講和条約締結後も軍事占領を継続し、四九年に勝利した中国革命に敵対するための射爆場として使用し続けたとしても、釣魚諸島が返還されるべき中国領である事実にはいささかも変わりはない。また、サンフランシスコ講和会議には中国代表は招請されてさえおらず、したがって講和条約は中国を拘束せず、中国と日本の領土問題はその後も積み残されたのである。
秘密裏に盗み取ったため、釣魚諸島がいつから沖縄県の管轄になったのかも不明のままである。日本側は一八九五年の閣議決定を経て、翌年四月一日の勅令第十三号で日本領となったと主張している。
しかしこれもデタラメである。沖縄県の編成について記されたその勅令には、久米島や慶良間諸島や鳥島や大東島や宮古諸島や八重山諸島については書かれていても、「魚釣島(釣魚島の日本名)」も「久場島(黄尾嶼の日本名)」も出てこないし、もちろん「尖閣列島」などという名も出てこない。そもそも「尖閣列島」なる英語から直訳された名が付けられたのが一九〇〇年なのだから、書かれているはずもないのだ。
釣魚諸島が中国の領土であるということは、歴史的にも国際法的にも動かしがたい事実なのである。」
これは メッセージ 101834 (qoraboy さん)への返信です.
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