Re: まとめて?って言っているけど。。。①
投稿者: qoraboy 投稿日時: 2005/10/25 00:10 投稿番号: [101261 / 196466]
>これ資料ってのは、どれ?
1534年の明代第11次冊封使・陳侃の『使琉球録』、
「明の浙江提督である胡宗憲が1562年に編さんした書物『籌海図編』の「沿海山沙図」には、福建省の羅源県、寧徳県沿海の島々に「釣魚嶼」、「黄尾山」、「赤嶼」などの島が描かれており、明代には釣魚島が早くも中国の領土として、当時の防衛対象区域に組み込まれていたことがわかる。 」
1562年の冊封使・郭儒霖の『重編使琉球録』
1719年に琉球へ派遣された清朝・康熙帝時代(1661〜1722年)の冊封使・徐葆光の『中山傳信録』
「上述のとおり、明、清代の政府は一貫して釣魚島を中国の領土としてきた。甲午戦争(日清戦争)の1年前にあたる清代光緒19年(1893年)10月、慈禧太后(西太后)は、釣魚島を郵傳部尚書の盛宣懐に与え、薬剤の採取地とする詔書を発した。詔書には「盛宣懐が献上した丸薬は効果が非常に高い。上奏によると、薬の原料は台湾沖にある釣魚台小島のものである。この霊薬は海上で産出され、効能は本土のものよりも優れている。聞くところでは、汝の家系は薬局を開き、診察を行い、貧しい人や病気の人を助けてきた。これはとりわけ称賛に値することである。よって釣魚台、黄尾嶼、赤嶼の3島を薬剤採取に供するため、財産として盛宣懐にあたえる」と書かれている。」
日本で釣魚島が文書に始めて登場するのは、1785年に林子平が著した『三国通覧図説』に添付された「琉球三省と三十六島」の図である
「日本の地図や公文書ではかつて、島の中国名を正式に使用していたことがある。統計によると、1935年から1970年にかけて日本で出版された地図21種類および大百科事典の3分の2に「尖閣列島」の記載がなく、「魚釣島」と記載しているものもあった。日本では釣魚島に属する島々の呼び方は混乱している。日本が最初に呼ぶようになった「尖閣列島」は、沖縄師範学校の黒田岩恒教諭が1900年5月、イギリス人が呼んでいた「尖頭諸島」から名づけたという。日本政府は1921年7月25日、同島の「国有地」編入に際して、赤尾嶼を「大正島」と改称したが、日本政府はこの名称を長い間正式に使用しなかった。第2次世界大戦後に日本が連合国司令部に提出した、海上保安庁水路部の海図は、依然として中国が命名した黄尾嶼、赤尾嶼を使用している。米軍占領下の沖縄県が1969年に発した正式文書や掲示でも、黄尾嶼、赤尾嶼などの島名が使用されている。1969年5月に釣魚島海域に石油が埋蔵されているとの情報が流れると、沖縄県は石油会社から相次ぐ調査申請を受け、同県石垣市長の命令で釣魚島に目印となる杭を建設、黄尾嶼を「久場島」、赤尾嶼を「大正島」と再度改称した。 」
>したがって、私はまだ中国が世界に向かって尖閣の領有を宣言した証拠(宣言文)を見ていない、
早く、その宣言文を紹介してください。
日本のように盗み取り、国内で編入するだけで、歴史上、中国の固有領土で、宣言する必要もない。
1534年の明代第11次冊封使・陳侃の『使琉球録』、
「明の浙江提督である胡宗憲が1562年に編さんした書物『籌海図編』の「沿海山沙図」には、福建省の羅源県、寧徳県沿海の島々に「釣魚嶼」、「黄尾山」、「赤嶼」などの島が描かれており、明代には釣魚島が早くも中国の領土として、当時の防衛対象区域に組み込まれていたことがわかる。 」
1562年の冊封使・郭儒霖の『重編使琉球録』
1719年に琉球へ派遣された清朝・康熙帝時代(1661〜1722年)の冊封使・徐葆光の『中山傳信録』
「上述のとおり、明、清代の政府は一貫して釣魚島を中国の領土としてきた。甲午戦争(日清戦争)の1年前にあたる清代光緒19年(1893年)10月、慈禧太后(西太后)は、釣魚島を郵傳部尚書の盛宣懐に与え、薬剤の採取地とする詔書を発した。詔書には「盛宣懐が献上した丸薬は効果が非常に高い。上奏によると、薬の原料は台湾沖にある釣魚台小島のものである。この霊薬は海上で産出され、効能は本土のものよりも優れている。聞くところでは、汝の家系は薬局を開き、診察を行い、貧しい人や病気の人を助けてきた。これはとりわけ称賛に値することである。よって釣魚台、黄尾嶼、赤嶼の3島を薬剤採取に供するため、財産として盛宣懐にあたえる」と書かれている。」
日本で釣魚島が文書に始めて登場するのは、1785年に林子平が著した『三国通覧図説』に添付された「琉球三省と三十六島」の図である
「日本の地図や公文書ではかつて、島の中国名を正式に使用していたことがある。統計によると、1935年から1970年にかけて日本で出版された地図21種類および大百科事典の3分の2に「尖閣列島」の記載がなく、「魚釣島」と記載しているものもあった。日本では釣魚島に属する島々の呼び方は混乱している。日本が最初に呼ぶようになった「尖閣列島」は、沖縄師範学校の黒田岩恒教諭が1900年5月、イギリス人が呼んでいた「尖頭諸島」から名づけたという。日本政府は1921年7月25日、同島の「国有地」編入に際して、赤尾嶼を「大正島」と改称したが、日本政府はこの名称を長い間正式に使用しなかった。第2次世界大戦後に日本が連合国司令部に提出した、海上保安庁水路部の海図は、依然として中国が命名した黄尾嶼、赤尾嶼を使用している。米軍占領下の沖縄県が1969年に発した正式文書や掲示でも、黄尾嶼、赤尾嶼などの島名が使用されている。1969年5月に釣魚島海域に石油が埋蔵されているとの情報が流れると、沖縄県は石油会社から相次ぐ調査申請を受け、同県石垣市長の命令で釣魚島に目印となる杭を建設、黄尾嶼を「久場島」、赤尾嶼を「大正島」と再度改称した。 」
>したがって、私はまだ中国が世界に向かって尖閣の領有を宣言した証拠(宣言文)を見ていない、
早く、その宣言文を紹介してください。
日本のように盗み取り、国内で編入するだけで、歴史上、中国の固有領土で、宣言する必要もない。
これは メッセージ 101258 (cosokasokikiki さん)への返信です.
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