米国教科書の韓国史
投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2005/11/12 10:10 投稿番号: [6 / 503]
李王朝は儒教思想を学んだ学者の中から宮廷官吏を選抜するために科挙制度を採用した。朝鮮
は科挙制度を始め様々な中国の文化を取り入れ、中国文化を取り入れることに専念した。だが彼らは、1440年独自の表音文字(ハングル)を作り出した。中国が朝鮮を軍事的に援助していた1592年から1598年にかけて日本人が侵略してきたが、中国の助けを借りて朝鮮は日本軍に抵抗した。この戦争では朝鮮
人の英雄、李舜臣提督が世界最初の鉄甲船を作った。彼らはこの船を使用し日本艦隊の木造船を撃退する事に成功した。
朝鮮 人は日本との戦いで疲弊した。その結果、1630年代新たな侵略者、満州族が朝鮮半島全土を瞬く間に征服した。その後、満州族は中国の支配権を握る事となる。当時の李王朝の統治者は権力は維持したものの、満州族の政府に服属する事となる。朝鮮は中国の指導の下に鎖国政策を取った、難破して朝鮮に漂着したヨーロッパの航海士は監獄に収監されるのが一般的だったが1669年、拘留されていた8名の航海士が12年ぶりに朝鮮からの脱出に成功した。その中の一人であるヘンドリック・ハーメルはオランダに戻りその体験を本にまとめた。この本は西洋世界で初めて朝鮮について記述した書物となった。
1860年以降、西洋諸国と日本は、開港して通商せよと朝鮮に対して圧力を加えたが、朝鮮はこれに抵抗した。同時期に朝鮮半島をめぐる中国と日本の争いが激化していった。両国は鉱物、木材などの朝鮮に存在する豊富な資源を手に入れようとした。1876年、朝鮮政府は日本の圧力に屈し通商条約を結んだ、その結果、幾つかの港が開港する事となる。間も無くアメリカ、イギリス、ロシアが朝鮮との条約を結んだ。この内、日本と同様に朝鮮の隣国だったロシアは朝鮮に存在する海に特別の関心を持っていた。
中国の満州族政府は日本の影響が朝鮮半島で強まる事を望んではいなかった為、李王朝に対する統制を一層強固な物にしようとしていた。1894年、中国と日本の衝突は戦争にまで発展し、結果、中国は敗北する事となる。戦争終結後、日本は中国に対して朝鮮の独立を認めさせた。こうして日本は満州族の朝鮮支配を終焉させたのである。
中国を退けた後、日本は李氏政権を改革する事業に取り掛かった。ロシアは日本に抵抗する朝鮮の勢力を支援していた。ロシアは朝鮮を自らの影響下に置こうとし、日本はロシアを朝鮮から排除しようとした。二つの列強は、1904年の戦争で全面衝突した。驚くべき事に日本は、陸と海での戦争でロシアに勝利する事に成功した。1910年、日本は国際的承認のもと韓国を合併して李王朝を終わらせた。朝鮮は日本帝国の最も大きな海外領土となった。
日本の統治は朝鮮 人にとっては過酷だった。日本皇帝の代理人である総督が朝鮮を統治し。最初の10年間、朝鮮 人は言論と出版の自由を始めとする諸権利を持つ事が出来なかった。学校では日本の文化と言語を教え、朝鮮フ歴史は無視された。日本は朝鮮半島を食料供給用の米の生産とした。日本人の商取引は奨励されたが、朝鮮 人はこうした取引からは疎外される傾向にあった。日本は他のアジアの地域を征服する為に朝鮮に幾つかの軍事基地を作る事となった。
日本の統治は朝鮮に恩恵を与えた側面もあった。朝鮮の通信、輸送システムは飛躍的に発展し、日本人によって導入された近代的な産業技術は朝鮮の経済成長を促した。また高等教育システムは、多くの朝鮮 人指導者を輩出した。朝鮮は第二次世界大戦で日本帝国が敗れる1945年まで独立出来なかった。現在も朝鮮は中国、日本、アメリカのような大国の影響下から抜け出せずにいる。
朝鮮 人は日本との戦いで疲弊した。その結果、1630年代新たな侵略者、満州族が朝鮮半島全土を瞬く間に征服した。その後、満州族は中国の支配権を握る事となる。当時の李王朝の統治者は権力は維持したものの、満州族の政府に服属する事となる。朝鮮は中国の指導の下に鎖国政策を取った、難破して朝鮮に漂着したヨーロッパの航海士は監獄に収監されるのが一般的だったが1669年、拘留されていた8名の航海士が12年ぶりに朝鮮からの脱出に成功した。その中の一人であるヘンドリック・ハーメルはオランダに戻りその体験を本にまとめた。この本は西洋世界で初めて朝鮮について記述した書物となった。
1860年以降、西洋諸国と日本は、開港して通商せよと朝鮮に対して圧力を加えたが、朝鮮はこれに抵抗した。同時期に朝鮮半島をめぐる中国と日本の争いが激化していった。両国は鉱物、木材などの朝鮮に存在する豊富な資源を手に入れようとした。1876年、朝鮮政府は日本の圧力に屈し通商条約を結んだ、その結果、幾つかの港が開港する事となる。間も無くアメリカ、イギリス、ロシアが朝鮮との条約を結んだ。この内、日本と同様に朝鮮の隣国だったロシアは朝鮮に存在する海に特別の関心を持っていた。
中国の満州族政府は日本の影響が朝鮮半島で強まる事を望んではいなかった為、李王朝に対する統制を一層強固な物にしようとしていた。1894年、中国と日本の衝突は戦争にまで発展し、結果、中国は敗北する事となる。戦争終結後、日本は中国に対して朝鮮の独立を認めさせた。こうして日本は満州族の朝鮮支配を終焉させたのである。
中国を退けた後、日本は李氏政権を改革する事業に取り掛かった。ロシアは日本に抵抗する朝鮮の勢力を支援していた。ロシアは朝鮮を自らの影響下に置こうとし、日本はロシアを朝鮮から排除しようとした。二つの列強は、1904年の戦争で全面衝突した。驚くべき事に日本は、陸と海での戦争でロシアに勝利する事に成功した。1910年、日本は国際的承認のもと韓国を合併して李王朝を終わらせた。朝鮮は日本帝国の最も大きな海外領土となった。
日本の統治は朝鮮 人にとっては過酷だった。日本皇帝の代理人である総督が朝鮮を統治し。最初の10年間、朝鮮 人は言論と出版の自由を始めとする諸権利を持つ事が出来なかった。学校では日本の文化と言語を教え、朝鮮フ歴史は無視された。日本は朝鮮半島を食料供給用の米の生産とした。日本人の商取引は奨励されたが、朝鮮 人はこうした取引からは疎外される傾向にあった。日本は他のアジアの地域を征服する為に朝鮮に幾つかの軍事基地を作る事となった。
日本の統治は朝鮮に恩恵を与えた側面もあった。朝鮮の通信、輸送システムは飛躍的に発展し、日本人によって導入された近代的な産業技術は朝鮮の経済成長を促した。また高等教育システムは、多くの朝鮮 人指導者を輩出した。朝鮮は第二次世界大戦で日本帝国が敗れる1945年まで独立出来なかった。現在も朝鮮は中国、日本、アメリカのような大国の影響下から抜け出せずにいる。
これは メッセージ 1 (akanbei_21c さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffc4zjbb9ga4o9gka1a4c0a4ca4bf_1/6.html