日韓併合は合法だった

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Re: 小泉の言う祖国の為に死んだ人とは誰だ

投稿者: bazzy17jp 投稿日時: 2005/12/15 13:43 投稿番号: [136 / 503]
慶尚南道陝川生まれ。朝鮮戦争中に陸軍士官学校に入学。同期には盧泰愚次期大統領らがいた。朴正煕(高木陸軍中尉として日本軍に従軍)がクーデターを起こすと、陸軍士官学校の生徒を率いて支持を表明。この功績が認められて最高会議議長秘書官に。その後ベトナム戦争に参加し、帰国後は特殊戦略司令部を経て1979年に保安司令官。

朴正煕が暗殺されると、暗殺を実行した金載圭を逮捕・処刑するなど暗殺事件の捜査を指揮する。12月12日に戒厳司令官鄭昇和大将を逮捕し、実権を掌握(粛軍クーデター)。1980年9月に大統領就任。1982年には長年続いた夜間外出禁止令を解除した。1984年、戦後の韓国元首として初めて来日、この時には韓国の記念切手にもなっている。

日米との連携を強め経済を活性化させるが、1983年にビルマのアウン・サン廟で全斗煥を狙ったラングーン爆弾テロ事件が発生。彼自身は一命を取り留めたものの、事件で多くの閣僚を失った。また1987年には大韓航空機爆破事件が起き、北朝鮮との関係は緊迫度を増した。

クーデター後に金大中を含む野党側の政治家を逮捕また軟禁し、非常戒厳令を全国に拡大させ、これに反発していた光州での民主化要求デモを針圧するため陸軍の精鋭部隊を送り、流血の惨事になった(光州事件)。金大中は軍法会議で死刑判決を受ける(後に無期懲役に減刑)ものの、1982年にアメリカに出国。1987年以降には改憲・反政府運動も活発化し、7月には政権移譲を表明。

退任後には自ら財団を設置し院政を狙うが、利権介入などが発覚し親族が逮捕されるに至って、1988年11月23日に私財の国庫への献納と隠遁を表明した。その後も光州事件や不正蓄財への追及が止まず、死刑判決を受けた(減刑の後、特赦)。2004年にも子息の不正貯蓄について検察から出頭を求められている。

全斗煥に対しては独裁者、虐殺者、在任中の汚職など否定的なイメージで見られることが多いが、その反面、経済発展やオリンピック誘致・スポーツ振興などの功績を評価すべきだという擁護論もある。

2005年のドラマ第5共和国では、全斗煥の集権過程から没落まで詳しく描かれているものの、功罪両面を描くと述べていた脚本家が「全斗煥美化批判」に押され、功績の面は全く描かなかったのは片手落ちといわねばなるまい
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