朝鮮併合は先に朝鮮一進会から言い出した!
投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2005/11/15 15:15 投稿番号: [12 / 503]
朝鮮併合は先に朝鮮一進会から言い出した!
当時ロシア支配を恐れた李完用率いる一進会(公証会員100万人)と日本政府が手を結び日韓併合条約を結ぶわけですが、補足するならば日韓併合時日本が朝鮮に期待したことは、大陸への橋頭堡と清、ロシアに対する防波堤の役割が主だったと思われます。当時西欧列強各国は植民地支配による権益拡張にこぞって競うように参加し、それらの植民地では一次産品輸出のためのインフラ(鉄道、道路)こそ整備されたものの、愚民か政策が取られ教育制度と施設、司法制度、各行政府の設立、などは整備されませんでした。勿論領日本も領土拡大の意図は明白ですが、日本がそれらの制度を朝鮮に導入したのは一言で言うならば日本レベルまで生活、文化水準、防衛能力を押し上げ、清、ロシアの勢力に対抗出来る緩衝地域を作りたかった訳です。勿論それらのインフラ整備には莫大な資金と労力が必要になり、得る物より失う物の方がはるかに大きかった為、当時の朝鮮を知る伊藤博文などは併合に強固に反対でしたが、軍部の強い要望の下、併合に至ります。当時朝鮮半島では李氏朝の500年政治が続き一部の貴族、両班が多くの民、農民を搾取し農作物の不作のときは、多くの農民が食料を手に入れる為、娘や家財道具、農具さえ手放したとされます。当時朝鮮を訪れた外国の宣教師、漫遊詩人、特派員、外交団などの書いた手記や記事、論調などで当時の朝鮮を知ることが出来ます。
「アメリカ人の朝鮮外交顧問 ドーハム・スティーブンソン」
朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、、頑迷な朋党は、人民の財を略奪して
いる.その上、人民はあまりにも愚昧(おろかである。これでは国家独立の資格はなく、
進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。
伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。
「マリ・ニコル・アントン主教」
朝鮮の両班は、まるで支配者か、暴君のごとくふるまっている。両班は、金がな
くなると、使者を送って商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金を出せば
釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行され投獄され、食物も与えられず、
両班が要求する額を支払うまでムチ打たれる。両班の中で最も正直な者たちも、
多かれ少なかれ、自発的な借用のの形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺か
れる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、
いまだかって、ないからである。彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの
場合支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止する守令は一人も
いない。
「朝鮮事情」フランス人宣教師シャルル・ダレ
1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲い、国土は荒廃した。
あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に一人当たり米一升で
売るものもいた。北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮人は、
惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの食料買入れを許すよりも、
むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。[1,p64]
『朝鮮独立運動の血史』 『チャイナプレス』のナサニェル・ペファー特派員
「当時の朝鮮(李氏朝鮮末期)は庶民の貧窮は甚だしく、その支配は極度に腐敗し、
寄生的で、没落の運命は火を見るより明らかだった」
その他にも外国人西洋人達が綴るった本で李氏朝時代が如何に民衆にとって過酷な生活を強いられたかが記録された本が多数存在しますので、興味のある方はお読みになられたら良いと思います。
当方参考著書
1、「朝鮮亡滅亡」 ホーマー・アルバート
2、「アメリカの鏡・日本」 ヘレン・ミア ーズ 著
3、 宣教師 ラッド博士
4、 李氏朝末期 アーソン・グレブスト
5、 「三十年前の朝鮮」1910年 イギリスの女性旅行家 イザベラ・ルーシー・ビショップ
当時ロシア支配を恐れた李完用率いる一進会(公証会員100万人)と日本政府が手を結び日韓併合条約を結ぶわけですが、補足するならば日韓併合時日本が朝鮮に期待したことは、大陸への橋頭堡と清、ロシアに対する防波堤の役割が主だったと思われます。当時西欧列強各国は植民地支配による権益拡張にこぞって競うように参加し、それらの植民地では一次産品輸出のためのインフラ(鉄道、道路)こそ整備されたものの、愚民か政策が取られ教育制度と施設、司法制度、各行政府の設立、などは整備されませんでした。勿論領日本も領土拡大の意図は明白ですが、日本がそれらの制度を朝鮮に導入したのは一言で言うならば日本レベルまで生活、文化水準、防衛能力を押し上げ、清、ロシアの勢力に対抗出来る緩衝地域を作りたかった訳です。勿論それらのインフラ整備には莫大な資金と労力が必要になり、得る物より失う物の方がはるかに大きかった為、当時の朝鮮を知る伊藤博文などは併合に強固に反対でしたが、軍部の強い要望の下、併合に至ります。当時朝鮮半島では李氏朝の500年政治が続き一部の貴族、両班が多くの民、農民を搾取し農作物の不作のときは、多くの農民が食料を手に入れる為、娘や家財道具、農具さえ手放したとされます。当時朝鮮を訪れた外国の宣教師、漫遊詩人、特派員、外交団などの書いた手記や記事、論調などで当時の朝鮮を知ることが出来ます。
「アメリカ人の朝鮮外交顧問 ドーハム・スティーブンソン」
朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、、頑迷な朋党は、人民の財を略奪して
いる.その上、人民はあまりにも愚昧(おろかである。これでは国家独立の資格はなく、
進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。
伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。
「マリ・ニコル・アントン主教」
朝鮮の両班は、まるで支配者か、暴君のごとくふるまっている。両班は、金がな
くなると、使者を送って商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金を出せば
釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行され投獄され、食物も与えられず、
両班が要求する額を支払うまでムチ打たれる。両班の中で最も正直な者たちも、
多かれ少なかれ、自発的な借用のの形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺か
れる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、
いまだかって、ないからである。彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの
場合支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止する守令は一人も
いない。
「朝鮮事情」フランス人宣教師シャルル・ダレ
1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲い、国土は荒廃した。
あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に一人当たり米一升で
売るものもいた。北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮人は、
惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの食料買入れを許すよりも、
むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。[1,p64]
『朝鮮独立運動の血史』 『チャイナプレス』のナサニェル・ペファー特派員
「当時の朝鮮(李氏朝鮮末期)は庶民の貧窮は甚だしく、その支配は極度に腐敗し、
寄生的で、没落の運命は火を見るより明らかだった」
その他にも外国人西洋人達が綴るった本で李氏朝時代が如何に民衆にとって過酷な生活を強いられたかが記録された本が多数存在しますので、興味のある方はお読みになられたら良いと思います。
当方参考著書
1、「朝鮮亡滅亡」 ホーマー・アルバート
2、「アメリカの鏡・日本」 ヘレン・ミア ーズ 著
3、 宣教師 ラッド博士
4、 李氏朝末期 アーソン・グレブスト
5、 「三十年前の朝鮮」1910年 イギリスの女性旅行家 イザベラ・ルーシー・ビショップ
これは メッセージ 1 (akanbei_21c さん)への返信です.
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