帝国主義の時代
投稿者: jumo0008 投稿日時: 2005/12/08 17:29 投稿番号: [113 / 503]
■
日韓併合条約締結当時の世界情勢
ご存知の通り、この当時は欧米の帝国主義国家が世界に、植
民地を有していた時代です。ヨーロッパ諸国のアフリカの分割
状況は、当時の地図を見れば明らかです。このアフリカの情勢
は、我々にとってはあまりにも遠い地域のことですので、アジ
ア地域の情勢を見てみます。
当時、アジア諸国で独立国として、存在していたのは日本と
シャム(タイ)の2国であり、フィリッピン、インドネシア、
ベトナムは言うに及ばず、現在国連に加盟しているその他のア
ジアの国々は欧米諸国の植民地でした。
このようにアジア諸国が植民地化された背景は、アジア諸国
に国力なく、民族の力を結集できる体制なく、経済力と軍事力
を背景とする欧米諸国に、アジアの諸国が制圧されたことのよ
るものです。しかし、当時は、これを非難する国際世論の主柱
となる国際法の概念や国際的倫理も存在してはおりませんでし
た。ご存知の通り、国際法、国際的倫理は時代の情勢に応じて
変化するものです。その上、これらは主として、国際的に発言
力と影響力を有する強国間での調整を通じて合意が形成せれ、
この合意が、その他の国々にも波及して国際的な認識となり、
国際法や国際的倫理となって行くものなのです。冷徹ながら、
これが現実の姿です。
即ち、国際法、国際的倫理は慣習(法)であると考えるべき
です。初めて総力戦の様相を呈する第一次世界大戦までは、侵
略戦争を否定する国際倫理(法)はなく、フェビアン社会主義
的立場から初めて、帝国主義を多面的に批判した1902年出版の
J・A・ボブスンの「帝国主義論」においても、侵略の是非は
論じられていません。
■ 侵略戦争と植民地の否定は何時からか
第一次世界大戦が総力戦となり、武器が高度化したことから
ヨーロッパの戦禍は、これまでにない大規模・悲惨なものとな
り、各国での厭戦意識は非常に高いものとなっていました。
この様な時代の潮流の中で、1928年パリ不戦条約(ケロッ
グ・ブリアン条約)が締結され、「国際紛争を解決する手段と
しての戦争を放棄する」となりました。しかし、この条約でも
自衛戦争の権利は留保されています。この時代から、戦争が侵
略戦争と自衛戦争に区別されるようになったのです。
上記のパリ不戦条約を締結・批准する国が増加し、侵略戦争
を否定する慣習(国際法・国際的倫理)が形成されて来ました。
しかし、既存の植民地保持そのものが、否定されたわけではあ
りません。アジアには数多くの欧米列強の植民地、租借地があ
りました。 即ち、新たな植民地確保(侵略による)が否定さ
れたのみです。
植民地保持が否定され、民族自決の原則が国際的倫理となり、
国際法(国際的倫理)がこの方向を指向したのは、第二次大戦
後です。それでも、第二次大戦の日本占領下に独立したインド
ネシアには戦後オランダが再占領を試み、ベトナムに対しても
フランスが攻め入っています。今でこそ民族自決原則や植民地
の否定が国際的常識(国際法上、国際的倫理上も)となってい
ますが、これは、先の大戦後のことです。換言すれば、事後法
的観念で歴史をなぞらない歴史観が必要です。
ご存知の通り、この当時は欧米の帝国主義国家が世界に、植
民地を有していた時代です。ヨーロッパ諸国のアフリカの分割
状況は、当時の地図を見れば明らかです。このアフリカの情勢
は、我々にとってはあまりにも遠い地域のことですので、アジ
ア地域の情勢を見てみます。
当時、アジア諸国で独立国として、存在していたのは日本と
シャム(タイ)の2国であり、フィリッピン、インドネシア、
ベトナムは言うに及ばず、現在国連に加盟しているその他のア
ジアの国々は欧米諸国の植民地でした。
このようにアジア諸国が植民地化された背景は、アジア諸国
に国力なく、民族の力を結集できる体制なく、経済力と軍事力
を背景とする欧米諸国に、アジアの諸国が制圧されたことのよ
るものです。しかし、当時は、これを非難する国際世論の主柱
となる国際法の概念や国際的倫理も存在してはおりませんでし
た。ご存知の通り、国際法、国際的倫理は時代の情勢に応じて
変化するものです。その上、これらは主として、国際的に発言
力と影響力を有する強国間での調整を通じて合意が形成せれ、
この合意が、その他の国々にも波及して国際的な認識となり、
国際法や国際的倫理となって行くものなのです。冷徹ながら、
これが現実の姿です。
即ち、国際法、国際的倫理は慣習(法)であると考えるべき
です。初めて総力戦の様相を呈する第一次世界大戦までは、侵
略戦争を否定する国際倫理(法)はなく、フェビアン社会主義
的立場から初めて、帝国主義を多面的に批判した1902年出版の
J・A・ボブスンの「帝国主義論」においても、侵略の是非は
論じられていません。
■ 侵略戦争と植民地の否定は何時からか
第一次世界大戦が総力戦となり、武器が高度化したことから
ヨーロッパの戦禍は、これまでにない大規模・悲惨なものとな
り、各国での厭戦意識は非常に高いものとなっていました。
この様な時代の潮流の中で、1928年パリ不戦条約(ケロッ
グ・ブリアン条約)が締結され、「国際紛争を解決する手段と
しての戦争を放棄する」となりました。しかし、この条約でも
自衛戦争の権利は留保されています。この時代から、戦争が侵
略戦争と自衛戦争に区別されるようになったのです。
上記のパリ不戦条約を締結・批准する国が増加し、侵略戦争
を否定する慣習(国際法・国際的倫理)が形成されて来ました。
しかし、既存の植民地保持そのものが、否定されたわけではあ
りません。アジアには数多くの欧米列強の植民地、租借地があ
りました。 即ち、新たな植民地確保(侵略による)が否定さ
れたのみです。
植民地保持が否定され、民族自決の原則が国際的倫理となり、
国際法(国際的倫理)がこの方向を指向したのは、第二次大戦
後です。それでも、第二次大戦の日本占領下に独立したインド
ネシアには戦後オランダが再占領を試み、ベトナムに対しても
フランスが攻め入っています。今でこそ民族自決原則や植民地
の否定が国際的常識(国際法上、国際的倫理上も)となってい
ますが、これは、先の大戦後のことです。換言すれば、事後法
的観念で歴史をなぞらない歴史観が必要です。
これは メッセージ 1 (akanbei_21c さん)への返信です.
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