中国問題
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/11/21 13:58 投稿番号: [613 / 28555]
前後したが。
以下が国際的に発表されている、日本の戦史研究に於ける、支那事変及び太平洋戦争の基本的考えである。是は世界に受け入れれているものである。
=================================
平成19年度戦史研究国際フォーラム報告書より
『日本の戦争指導−3つの視点から−』からの抜粋
1 戦争目的の確立
上述したように、支那事変では、その戦争目的の確立までに1年以上の時間を要した。
その最大の原因は、事変が明確な開戦決意と計画によって開始されたのではなく、おそ
らくは偶発的な衝突がエスカレートして済し崩し的に日中間の本格的な武力紛争になっ
たという点に求められる。これに対して、大東亜戦争は明確な開戦決意と計画の下に開
始された。したがって、戦争目的は始めからしっかりと確立されていたはずであった。
しかし、実態は必ずしもそうではない。
この点で興味深い議論を提示しているのは森松俊夫氏である。森松氏によれば、日本
の戦争目的は、「自存自衛」と「大東亜新秩序(大東亜共栄圏)建設」の2つが掲げられ、
戦争指導者の間でも認識や解釈に異なるところがあり、不統一で透徹していなかった3。
例えば、開戦直前の1941 年11 月5 日御前会議決定「帝国国策遂行要領」では、「自存
自衛ヲ完フシ大東亜ノ新秩序ヲ建設スル為此ノ際対米英蘭戦争ヲ決意」する、とされて
いる4。ここでも、2つの目的が並置されていた。注目されるのは、来るべき戦争を「対
米英蘭戦争」と呼んでいることである。「大東亜新秩序」を戦争目的の1つとしながら、
それを戦争の呼称とするまでには至らなかったのは、それが第一義的な目的ではなく、
「自存自衛」に重点があったからであろう。
陸軍首脳部では、「自存自衛」のためには大東亜新秩序を建設しなければならないと考
えられ、したがって「大東亜新秩序建設」は従属的な戦争目的と位置づけられていたと
される。しかし他方、開戦前の陸軍の一部には、戦争目的を限定しておかないと、戦争
指導に動揺を来す、あるいは戦争終末の捕捉が難しくなる、という憂慮があったとも
いう5。
ここで仮に、戦争目的を「自存自衛」に限定すべきだとする主張を「自存自衛論」と
し、これに対して2つの戦争目的を並置しつつ「大東亜新秩序建設」を強調する立場を
「アジア解放論」とすると、陸軍はこの2つの主張に分裂し、海軍は「自存自衛論」に
ほぼ一本化されていたと見ることができる。例えば、11 月5 日の御前会議決定を受けて
出された陸海軍の開戦準備命令では、大海令が「自存自衛ノ為」と述べたのに対し、大
陸命は「自存自衛ヲ完ウシ大東亜ノ新秩序ヲ建設スル為」としていた6。東條英機首相兼
陸相をはじめ開戦時の政治指導者の多くは「アジア解放論」の立場であったと見られ
よう。
以下が国際的に発表されている、日本の戦史研究に於ける、支那事変及び太平洋戦争の基本的考えである。是は世界に受け入れれているものである。
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平成19年度戦史研究国際フォーラム報告書より
『日本の戦争指導−3つの視点から−』からの抜粋
1 戦争目的の確立
上述したように、支那事変では、その戦争目的の確立までに1年以上の時間を要した。
その最大の原因は、事変が明確な開戦決意と計画によって開始されたのではなく、おそ
らくは偶発的な衝突がエスカレートして済し崩し的に日中間の本格的な武力紛争になっ
たという点に求められる。これに対して、大東亜戦争は明確な開戦決意と計画の下に開
始された。したがって、戦争目的は始めからしっかりと確立されていたはずであった。
しかし、実態は必ずしもそうではない。
この点で興味深い議論を提示しているのは森松俊夫氏である。森松氏によれば、日本
の戦争目的は、「自存自衛」と「大東亜新秩序(大東亜共栄圏)建設」の2つが掲げられ、
戦争指導者の間でも認識や解釈に異なるところがあり、不統一で透徹していなかった3。
例えば、開戦直前の1941 年11 月5 日御前会議決定「帝国国策遂行要領」では、「自存
自衛ヲ完フシ大東亜ノ新秩序ヲ建設スル為此ノ際対米英蘭戦争ヲ決意」する、とされて
いる4。ここでも、2つの目的が並置されていた。注目されるのは、来るべき戦争を「対
米英蘭戦争」と呼んでいることである。「大東亜新秩序」を戦争目的の1つとしながら、
それを戦争の呼称とするまでには至らなかったのは、それが第一義的な目的ではなく、
「自存自衛」に重点があったからであろう。
陸軍首脳部では、「自存自衛」のためには大東亜新秩序を建設しなければならないと考
えられ、したがって「大東亜新秩序建設」は従属的な戦争目的と位置づけられていたと
される。しかし他方、開戦前の陸軍の一部には、戦争目的を限定しておかないと、戦争
指導に動揺を来す、あるいは戦争終末の捕捉が難しくなる、という憂慮があったとも
いう5。
ここで仮に、戦争目的を「自存自衛」に限定すべきだとする主張を「自存自衛論」と
し、これに対して2つの戦争目的を並置しつつ「大東亜新秩序建設」を強調する立場を
「アジア解放論」とすると、陸軍はこの2つの主張に分裂し、海軍は「自存自衛論」に
ほぼ一本化されていたと見ることができる。例えば、11 月5 日の御前会議決定を受けて
出された陸海軍の開戦準備命令では、大海令が「自存自衛ノ為」と述べたのに対し、大
陸命は「自存自衛ヲ完ウシ大東亜ノ新秩序ヲ建設スル為」としていた6。東條英機首相兼
陸相をはじめ開戦時の政治指導者の多くは「アジア解放論」の立場であったと見られ
よう。
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