中国の問題

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 共産党は

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/07/30 15:31 投稿番号: [4668 / 28555]
2)、「徳田要請事件」=「日本共産党の在外同胞引揚妨害問題」



  1950年3月4日、高砂丸で、1587人の「日の丸梯団」が舞鶴に帰還した。彼らのうち、373人は、国会に『徳田球一日本共産党書記長がわれわれの帰国を妨害した』と訴え、国会はそれを正式に取り上げた。保守派が国会の問題とした背景には、1949年1月総選挙で、共産党が4議席から35議席へと一挙に躍進したことと、「日の丸梯団」の真相究明要求が共産党をたたく絶好の好機と保守派に映ったことがある。



  その事実関係は以下である。1949年9月15日、カラガンダ捕虜収容所第9分所での出来事である。2つのデータを載せる。

  (1)、抑留者の国会証言内容(管季治遺書HPの解説)、「前年の9月15日、カラカンダ捕虜収容所第9所にて政治部将校エルマーラフ上級中尉は抑留者にこう語ったという。『いつ諸君が帰れるかは、諸君自身が真正の民主主義者となった時に、諸君は帰れるのである。日本共産党書記長トクダは、諸君がよい民主主義者となった後に帰国するように要請している』『反動は一切帰国させないで、ソ連強化の為に使ってくれ』と要請した」」。



  (2)、管季治の国会証言内容(『はるかなるシベリア―戦後50年の証言』北海道新聞社、1995年、P.70)、「収容所長の訓示に続き、抑留者の一人が『われわれはいつ帰国できるのか』と質問した。軍政治部将校のエルマーラエフ上級中尉が答え、菅が通訳した。のちに国会に呼ばれた彼は、問題の言葉を次のように訳した、と証言した。『いつ諸君が帰れるか、それは諸君自身にかかっている。諸君はここで良心的に労働し、真正の民主主義者となる時、諸君は帰れるのである。日本共産党書記長徳田は、諸君が反動分子としてではなく、よく準備された民主主義者として帰国することを期待している』」



  この問題は、当時大きな関心と論議を呼yq@。日本共産党は、「徳田書簡」も「徳田要請」も一切ない、と全面否認した。ソ連機密資料でも、現時点で、その存否は不明である。KGB『野坂ファイル』のように、『徳田ファイル』が発見されれば別であるが。



  ただ、類似の状況証拠が3つある。1)、御田『シベリア抑留』(P.302)は、『徳田氏が、ソ連当局に書簡を送り、「立派な民主主義者として帰国させてほしい」といった内容の要請をしたことが日本新聞で取り上げられ、シベリア民主運動が激化する要因の一つとなったことは事実である』と明記した。



  2)、高杉『極光のかげに』(P.241)は、『一九四八年晩夏のある夕方、作業から帰ってくると、そこに一枚の軍事停虜用郵便が貼り出してあった。差出人は、日本共産党書記長徳田球一で、一般大隊の反ファシスト民主委員のひとりが出した葉書に対する返事らしい。「よき民主主義者となって帰られる日をお待ちしている」旨の簡単な文面である』と書いている。



  3)、若槻『シベリア捕虜収容所』(P.254)は、1949年「赤旗梯団」の“代々木参り”を記している。代々木での「集団入党式」には、徳田球一書記長、野坂参三政治局員、伊藤律政治局員も参加し、熱烈歓迎した。『引揚者の“代々木参り”を出迎えた徳田書記長は、「党は諸君が日本の民主革命を達成するために力を蓄積してきたこと、諸君が反動を破る力を示されていることに対し、おおいに感謝している。……諸君のつかんだマルクス・レーニン主義で日本の実情をよくとらえ、実際の活動をしてもらいたい」と演説した』。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)