中国の問題

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中国の天安門事件②

投稿者: neonanashinogonbei 投稿日時: 2011/08/14 19:56 投稿番号: [19445 / 28555]
5月5日の人民日報には趙紫陽総書記の「学生たちは我々の根本的な制度に反対しているのではない」という談話が一面に掲載された。学生たちは党のトップが支持してくれていると看做し、運動はさらに盛り上がることとなった。5月中旬には中国全土から集まった学生や労働者の数は50万人近くに上り、天安門広場は自由に意見を発表できる場へと変貌していった。

  5月15日にソ連のゴルバチョフ書記長が訪中すると、学生たちは世界のマスコミの注目が集まる好機と捉えた。ゴルバチョフを「改革派の一員」「民主主義の大使」として歓迎する一幕が外国メディアに報道され、さらに一連の民主化運動が世界中に大きく報道されることとなった。5月17日には天安門広場に100万人とも言われる人々が集まって民主化を求め、中には訒小平の退陣を要求するものも現れた。全国各地で一千万人が街頭に出たとも言われている。

  5月17日にゴルバチョフが帰国すると、中国共産党は政治局常務委員会を開催し、戒厳令布告について協議した。趙紫陽以外の全てのメンバーが賛成したという。19日午前4時45分、趙紫陽は天安門広場に現れ、ハンドマイクを持って学生たちに話しかけた。「我々はここに来るのが遅すぎた。すまなく思う」という有名な言葉を残し、「冷静に今後のことを考え、ハンストを早くやめてほしい」と主張した。これ以降趙紫陽が公の場に姿を現すことはなかった。翌20日、戒厳令が布告され、21日には趙紫陽が全ての役職を解かれ、自宅軟禁下に置かれた。趙紫陽に対する自宅軟禁は2005年1月に彼が死去するまで続いた。

  だが事態は沈静化に向わず、23日には北京市内で戒厳令に抗議する100万人規模のデモ行進が行われた。さらに学生たちは市内各地にバリケードを築くなどして抵抗した。5月29日には北京美術学院の学生によって作られた高さ10メートルの「民主の女神」像が天安門広場に運び込まれた。

  6月4日午前4時半、ついに人民解放軍が武力弾圧を開始した。兵士が群集へ無差別射撃を開始し、若者たちが次々と倒れていった。戦車が若者たちを次々と踏み潰していった。事態は一方的な市街戦の様相を呈し、人民解放軍は市街地で民衆を次から次へと虐殺して言ったのである。この天安門大虐殺事件による死者数は中国共産党による隠蔽のため定かではないが、数百人という説から二千人、四千人という説まである。

  この虐殺の様子は外国のマスコミによって世界中に報道された。動かしがたい物的証拠が残っているにも関わらず、中国共産党はこの事件を反動派による動乱事件として事実を捏造している。1996年に訪米して遅浩田国防相は、「天安門広場では一人の死者も出ていない」などと発言しているほか、中国共産党は「虐殺は存在しない」「死者は数人」などといった破廉恥な宣伝を繰り返している。

  虐殺事件後も、中国共産党はデモの参加者を次々と逮捕した。密告が奨励され、中国では友人も親族も信用できない恐怖社会がしばらく続いた。民主化への希望は完全に打ち砕かれ、それ以来中国人は政治について語るのを極度に恐れるようになってしまったのである。
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