中国の問題

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中国の天安門事件①

投稿者: neonanashinogonbei 投稿日時: 2011/08/14 19:35 投稿番号: [19437 / 28555]
直接的なきっかけは1989年4月15日の胡耀邦前中共総書記の死去であった。翌日北京大学で民主化推進派の学生たちよって追悼集会が行われ、17日には北京市内で追悼集会が行われた。18日には1万人規模のデモ行進が北京市内で行われ、天安門広場で民主化を求める抗議の座りこみを始めた。19日にはその数が10万人に膨れ上がった。

  22日には人民大会堂で中国共産党主催による胡耀邦追悼集会が開かれたが、胡耀邦の功績についての再評価がなされなかったことから学生たちの怒りに火をつけ、23日には全国各地の大学で授業の無期限ボイコットという事態に陥った。

  なぜ胡耀邦の死がこのような民主化を求める大きなうねりにつながったのか。それは胡耀邦が言論の自由や政治的民主化を主張していた「開明的指導者」として中国人民からの指示を集めていたからだ。1986年12月に安徽省合肥で民主化を求める集会が開かれ、その運動が瞬く間に全国に広がると、胡耀邦は訒小平から「対応が生温い」と厳しく批判され、1987年1月に辞任に追い込まれてしまったのである。

  後任の趙紫陽総書記も訒小平の期待とは裏腹に、開明的な人物であった。今回の民主化運動に対して、趙紫陽も胡耀邦と同じく黙認の姿勢をとっていたことにより、党内保守派長老の猛反発を受けることになる。1989年4月23日に趙紫陽が北朝鮮訪問に出発すると、中国共産党は民主化運動の弾圧を決定。26日には人民日報が「動乱に反対しよう」という社説を掲げるに至った。

  『動乱』という表現学生たちは驚いた。彼らの要求はあくまでも社会主義体制下での民主化要求に過ぎなかったからである。翌4月27日には社説の撤回を要求して5万人がデモ行進を行った。5月4日には10万人によるデモ行進が行われ、この頃になると学生たちだけでなく広く市民の間にも民主化運動が広まっていた。
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