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関東軍の「満州統治」の方法

投稿者: nemuronosannma 投稿日時: 2011/07/08 15:25 投稿番号: [18441 / 28555]
  関東軍は、満州国を実質的に統治するうえで採った方法が、まさ「内面指導」である。以前も出したが、これは・・・

1933年8月の閣議決定の「満州国指導方針要綱」
  「満州国に対する指導は現制における関東軍司令官兼在満帝国大使の内面的統轄の下に主として日系官吏を通じて実質的にこれを行わしむるものとす」
  に示されている通りの処である。

  また、それ以前の1932年3月、政府の「満蒙問題処理方針要綱」では、
  前略・・・
四、満蒙ノ地ヲ以テ帝国ノ対露対支国防ノ第一線トシ外部ヨリノ撹乱ハ之ヲ許サス・・・
  とし、
六、以上各般ノ施措実行ニ当リテハ努メテ国際法乃至国際条約抵触ヲ避ケ就中満蒙政権問題ニ関スル施措ハ九国条約等ノ関係上出来得ル限リ新国家側ノ自主的発意ニ基クカ如キ形式ニ依ルヲ可トス

  と記されているが、「出来得ル限リ新国家側ノ自主的発意ニ基クカ如キ形式ニ依ルヲ可トス」とは正に傀儡国家の創出を宣言したに等しい。

  さて、実際の「統治方法」であるが、
「国制度上に在りては同国指導事項を司掌する機関存在せず」と言っている以上は、軍や政府が日本人だけの特別な機関を作ったり、強力な権限の顧問を置くような事はせずに、満州国の行政組織の中で「内面指導」を行うと言う事だ。

  例えば1936年満州国中央機構に5000人近い官吏が働いていたが、その48%が日本人であたった。その内容だが、外形上中国人統治に見せかけなければならなかったので、各部の大臣は中国人、次官は日本人と言う形式をとっていた。それでは、満州の中央機構では、中国人の大臣の基、中国人と日本人が協力して行政を担っていたかと言えば、そうではなかった。それが、総務庁中心主義と言われる行政形態である。

  総務庁とは国務総理大臣の下にあって、国家の人事・主計・企画等を一手に掌握していた。当時、総務庁を統括していた国務院の日系人比率は80%を超えており、総務庁の中心的人事案件に関東軍が介入していた事は言うまでもない。この日系人主体の総務庁が、満州国を動かしていたわけだ。

  満州国は、石原莞爾・板垣征四郎の描いた「理想国家」と看做す向きも有るが、満州国を日満の堅固な協和関係に於いて名実ともに独立国家としようとする考えが石原には当初有った様であるが。その石原が関東軍を去って、所謂「満蒙独立論」を唱えていた人間が少なくなると、軍中央は、関東軍に満州に於ける、更に大きな権能を与える。これが、関東軍司令官への外交官として地位である満州派遣匿名全権大使と、租借地の長である関東長官たる地位の付与である。更に司令官は大将級に、参謀長は中将級に格上げされた。これこそ、関東軍の満州統治能力の嵩上げ他ならない。

>此の中で「特命全権大使は外務大臣の指揮監督を受く」と期定されています。つまり関東軍は外務大臣の指揮監督下に在ると言うことですね。もっとまともな歴史の資料のお勉強をしましょうね。
 
  などと言う珍説を披露しつつも、その実例を挙げることも出来ず。

  拓務省の関東軍への指揮監督の実例を問えば、「産業調査資料に関する件」などという的外れな書類を送ってくるし…

  もう少しがんばって下さい。
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