袁世凱が決めた「春節」を祝う中共支那人
投稿者: chon_chonchon_chonchonchon_afo 投稿日時: 2009/01/28 00:36 投稿番号: [1283 / 28555]
「春節」をありがたがって使っている支那人。ゲラゲラ♪
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中国人も知らない? 春節=旧正月は袁世凱が決めた
1月27日22時18分配信 サーチナ
拡大写真
「春節」と言えば、中国人や全世界の華僑が盛大に祝う旧正月。一方、「元旦」は西暦による1月1日を指す。中華民国成立まで、中国では旧暦のみを使っていた。とすればそれ以前、「正月」を指す名称は何だったのか。中国人の間でもあまり知られていない、「春節」という言葉が一般に定着した、意外に新しい歴史をご紹介しよう。
「春節」と言えば、中国人や全世界の華僑が盛大に祝う旧正月。一方、「元旦」は西暦による1月1日を指す。中華民国成立まで、中国では旧暦のみを使っていた。とすればそれ以前、「正月」を指す名称は何だったのか。中国人の間でもあまり知られていない、「春節」という言葉が一般に定着した、意外に新しい歴史をご紹介しよう。
関連写真:そのほかの春節に関する写真
■旧暦の1月1日の「元旦」が「引越し」
まず「元旦」から。「元」は、頭部を強調した人体を表わす象形文字で、(1)主要な、(2)第一の、初めの、(3)もとの――といった字義がある。一方、「旦」は地平線から太陽が出るさまを表わし、夜明け、朝、穏やかに晴れわたった日の意だ。「元」の字義(2)と「旦」の組み合わせで、「元旦」は1年の最初の日、またはその朝となる。中国が西暦を採用する前、「元旦」は旧暦の1月1日を指した言葉だった。
一方、「春」は二十四節気の「立春」が旧暦の正月に近かったことから、「正月の代名詞」としても使われるようになった。日本語にも「新春」、「迎春」などの用法がある。「春節」の語は後漢書や南朝時代の詩にみられるが、「元旦」に比べれば使用例は少なかった。
中国では西暦1912年1月1日に、南京で中華民国が成立を宣言、孫中山(孫文)が臨時大統領に就任した。実は、中華民国の成立宣言は、それまでの旧暦では11月13日だった。孫文は臨時大総統就任の直後、「黄帝紀元4609年11月13日を中華民国元年元旦とさだめる」と、政府各部門に通達した。いわば、西暦の採用で「元旦」がそれまでの旧暦1月1日から西暦の1月1日に引っ越した格好だ。
西暦を採用した中国だが、長年にわたり旧暦にしたがっていた庶民に、暦法の完全な切り替えを求めるのは難しいと考えられた。そこで中華民国は、公務や外国とのつきないなどでは西暦を用いるが、日常生活では旧暦を認めるという、折衷方式を取った。
■袁世凱が、「旧正月=春節」を承認
1912年3月10日、袁世凱が中華民国第2代臨時大総統に就任。袁世凱は清朝の重臣で、最後の皇帝、宣統帝溥儀に退位させる代わりに、自分を中華民国大総統に就任させる密約が、孫文との間にあった。その後、袁世凱は独裁を強化し、1915年には皇帝即位を宣言したなどで、中国では「革命の裏切り者」との評価が一般的だが、袁世凱が率いる北京政府も、暦法の改革は続けられた。
1914年1月1日に、北京政府は旧暦の元旦を「春節」に、5月5日の端午節を「夏節」に、8月15日の中秋節を「秋節」に、冬至を「冬節」として、国民の休日とするように提案。袁世凱も了承した。このため、旧正月元旦を指す呼称としての「春節」が定着することになった。
■旧正月撤廃の試みは、すべて失敗
その後、中華民国は西暦の全面採用を目指し、春節を撤廃しようとしたが失敗。中華人民共和国が成立してからは、「旧習はすべて悪」とされた文化大革命期に春節を取りやめようとする動きがあったが、実現しなかった。
改革開放が本格化した1990年代以降は、経済発展に伴い自国文化に対する自信も高まり、「春節」は中華民族が世界に誇る伝統行事とする考え方が一般化した。
写真は北京市内にある中国北部を代表する道観(道教寺院)の白雲観に初詣に訪れた人々。春節当日の1月26日に撮影。(編集担当:如月隼人)
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中国人も知らない? 春節=旧正月は袁世凱が決めた
1月27日22時18分配信 サーチナ
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「春節」と言えば、中国人や全世界の華僑が盛大に祝う旧正月。一方、「元旦」は西暦による1月1日を指す。中華民国成立まで、中国では旧暦のみを使っていた。とすればそれ以前、「正月」を指す名称は何だったのか。中国人の間でもあまり知られていない、「春節」という言葉が一般に定着した、意外に新しい歴史をご紹介しよう。
「春節」と言えば、中国人や全世界の華僑が盛大に祝う旧正月。一方、「元旦」は西暦による1月1日を指す。中華民国成立まで、中国では旧暦のみを使っていた。とすればそれ以前、「正月」を指す名称は何だったのか。中国人の間でもあまり知られていない、「春節」という言葉が一般に定着した、意外に新しい歴史をご紹介しよう。
関連写真:そのほかの春節に関する写真
■旧暦の1月1日の「元旦」が「引越し」
まず「元旦」から。「元」は、頭部を強調した人体を表わす象形文字で、(1)主要な、(2)第一の、初めの、(3)もとの――といった字義がある。一方、「旦」は地平線から太陽が出るさまを表わし、夜明け、朝、穏やかに晴れわたった日の意だ。「元」の字義(2)と「旦」の組み合わせで、「元旦」は1年の最初の日、またはその朝となる。中国が西暦を採用する前、「元旦」は旧暦の1月1日を指した言葉だった。
一方、「春」は二十四節気の「立春」が旧暦の正月に近かったことから、「正月の代名詞」としても使われるようになった。日本語にも「新春」、「迎春」などの用法がある。「春節」の語は後漢書や南朝時代の詩にみられるが、「元旦」に比べれば使用例は少なかった。
中国では西暦1912年1月1日に、南京で中華民国が成立を宣言、孫中山(孫文)が臨時大統領に就任した。実は、中華民国の成立宣言は、それまでの旧暦では11月13日だった。孫文は臨時大総統就任の直後、「黄帝紀元4609年11月13日を中華民国元年元旦とさだめる」と、政府各部門に通達した。いわば、西暦の採用で「元旦」がそれまでの旧暦1月1日から西暦の1月1日に引っ越した格好だ。
西暦を採用した中国だが、長年にわたり旧暦にしたがっていた庶民に、暦法の完全な切り替えを求めるのは難しいと考えられた。そこで中華民国は、公務や外国とのつきないなどでは西暦を用いるが、日常生活では旧暦を認めるという、折衷方式を取った。
■袁世凱が、「旧正月=春節」を承認
1912年3月10日、袁世凱が中華民国第2代臨時大総統に就任。袁世凱は清朝の重臣で、最後の皇帝、宣統帝溥儀に退位させる代わりに、自分を中華民国大総統に就任させる密約が、孫文との間にあった。その後、袁世凱は独裁を強化し、1915年には皇帝即位を宣言したなどで、中国では「革命の裏切り者」との評価が一般的だが、袁世凱が率いる北京政府も、暦法の改革は続けられた。
1914年1月1日に、北京政府は旧暦の元旦を「春節」に、5月5日の端午節を「夏節」に、8月15日の中秋節を「秋節」に、冬至を「冬節」として、国民の休日とするように提案。袁世凱も了承した。このため、旧正月元旦を指す呼称としての「春節」が定着することになった。
■旧正月撤廃の試みは、すべて失敗
その後、中華民国は西暦の全面採用を目指し、春節を撤廃しようとしたが失敗。中華人民共和国が成立してからは、「旧習はすべて悪」とされた文化大革命期に春節を取りやめようとする動きがあったが、実現しなかった。
改革開放が本格化した1990年代以降は、経済発展に伴い自国文化に対する自信も高まり、「春節」は中華民族が世界に誇る伝統行事とする考え方が一般化した。
写真は北京市内にある中国北部を代表する道観(道教寺院)の白雲観に初詣に訪れた人々。春節当日の1月26日に撮影。(編集担当:如月隼人)
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