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reイラクでは一般市民10万人は死んだ

投稿者: as_is_as_is 投稿日時: 2001/10/10 23:41 投稿番号: [89451 / 177456]
オスマントルコの時代、クエートのサバーハ家は、イラクのバスラ州知事の下で、族長の地位にありました。石油が出る前のクエート人は、毎日、海で取った魚を入れたカゴをラクダの背に結わえ付け、バスラへ売りに行って貧しい生計をたてていたと言います。その後、サバーハ家はオスマントルコを破って進出して来たイギリスと条約を結んで、その保護下に入りました。

中東で最初の油田が発見されたのが1931年のバーレン、ついで1938年3月のサウジアラビア・ダンマン油田、4月のクエート・ブルガン油田と続きます。わずか幅70マイル、長さ80マイルの小国クエートの砂漠の下は石油の海だったのです。結局イギリスはクエートとイラクでの石油権益を守るため、両国を保護領としたのです。

イラクが独立したのは1932年、クエートの独立はそれから約30年後の1961年でした。こうした歴史的・民族的いきさつがあったため、1958年7月14日のイスラム革命で共和制となったイラクは、初代大統領のカシムの時代から、最近のサダム・フセインの湾岸戦争まで、一貫してクエートの領有権を主張し続けてきたのです。湾岸戦争の勃発にはこうした長い歴史の伏線があったのです。

更に話をややこしくしたのは、イ・イ戦争では完全にイラクを支援して、サダムに武器を売り込んだアメリカ、イギリス、フランス三国の存在です。サダムを増長させたのは、レーガンであり、サッチャーであり、またシラクだったのです。94年、アランフリードマンはその実態を、「だれがサダムを育てたか」(NHK出版)の中で次々と暴露しています。                    なんといっても湾岸戦争は、米国による・米国のための戦争でした(サダム・フセインが、ではない)。日本を含め中東における石油権益を確保しようとする西側先進国もこぞって参加しましたが、実際の軍事行為のほとんどを担ったのは米国でした。映像の検閲をはじめ、軍当局の取材コントロールがあったとはいえ、かぎりなく一次的に近いソースは、米国以外のメディアには握り得なかったでしょう。
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