なぜ
投稿者: rubegoshi2 投稿日時: 2001/10/06 22:44 投稿番号: [82264 / 177456]
aleis lcarsさん、ご提案ありがとうございます。
その前に、
なぜ私が今回のテロ事件に対して宗教者同士の宗教上の対話が必要だ、と言い続けるのか、その理由を申し上げます。
それは、第2次世界大戦後人類はとてつもない核兵器を手に入れてしまったこと、またその兵器と規模的・時間的・その深刻さで勝るとも劣らない影響力を持つ化学・生物兵器をも持ってしまったこと、最新兵器による地域限定戦争もやはり一般市民を巻き込みまたその後それがもたらした難民や飢餓問題を今も解決し切れていないこと、そして、さらに悲しむべきことは、それらすべては結局は人類に激しい憎悪と悲しみを残すだけにすぎない、ということなのです。
そんなことを言っていると、どなたかは「しょせん人間なんてそんなものさ」と言われそうです。でも、今世紀の戦争は一体どんなものになっていくのだろう、言い知れぬ不安は世界に存在する禍根をさらに増幅しかねない気がするのです。
あなたのおっしゃるとおり、「テロ抑止」は現在の最重要課題でしょう。米英をはじめ、NATO諸国、さらにイスラム穏健派諸国もテロに対して反対の声明を出しています。しかしながら、それぞれの国の態度には微妙に違う部分があり、すぐさま一致団結とはなってないようです。それぞれの国内にはそれに反対する勢力もあるし、その政治的・経済的思惑を無視し得ない状況にあります。
人間にとって生きる上で大切なものは幾つかありますね。資本主義社会ではそれはやはりお金でしょう。また、自分の経済基盤を確かなものにするためにはそれを確実なものにしてくれる政治団体も忘れてはなりませんでしょう。
資本主義社会では物質面でこれらはなくてはならないものです(もっとも日本では政治に対してはあまり関心がなくとも生きていけそうに見えますけど)。
しかし、お金や政治だけでは我々人間の精神的な充足感を満たさないことも良くあります。精神面での空虚感は我々の精神をすさんだものにすることもあります。それを満たしてくれるもののひとつに、宗教があるわけですよね。
人間が精神的な枯渇感を感じることは何も異常なことではありません。問題はそれをいかに充足するかですが、別に宗教じゃなくても、ある人にとってはそれは家族であったり、ある人にとってはそれはスポーツであったりする。でも、宗教以外にその精神的枯渇感を見出せない人もいるのでしょう。あるいは、地域的な問題もあると思います。とにかく世界の相当数の人たちはその宗教を心のよりどころにしているわけです。
いざ、今度はテロの首謀者たちに目を向けて見ましょう。
私は彼ら首謀者たちは、精神的な枯渇感を感じているのだと思います。彼らはもちろん熱心な宗教帰依者であるかもしれません。もちろん彼らにも家族がいて人間の命の大切さなどもわかっているのかもしれません。
しかしながら、それでも彼らは何か精神的な枯渇感にさいなまされているのではないか。何かそれを満たしてくれるものがあるのではないか。それを満たしてくれるものをきっと彼らは激しく求めているのではないか。そう思うのです。
彼らにとって現在その枯渇感を満たしてくれるものは、憎悪なのでしょう。憎悪。そう、これは人間の誰の心にも存在するものなのでしょう。しかし、その憎悪を持ち続ける限り、彼らはテロを止めないのではないのでしょうか。その憎悪に替わるものを彼らが手に入れない限り。。。
憎悪に替わるもの、それが何なのかを言うことは確かに難しいです。何が彼らに心の安らぎを与えてくれるかは、わかりません。しかしながら、少なくとも彼らが宗教帰依者ならば、その宗教の力にひれ伏す可能性は必ずあるはずです。
その前に、
なぜ私が今回のテロ事件に対して宗教者同士の宗教上の対話が必要だ、と言い続けるのか、その理由を申し上げます。
それは、第2次世界大戦後人類はとてつもない核兵器を手に入れてしまったこと、またその兵器と規模的・時間的・その深刻さで勝るとも劣らない影響力を持つ化学・生物兵器をも持ってしまったこと、最新兵器による地域限定戦争もやはり一般市民を巻き込みまたその後それがもたらした難民や飢餓問題を今も解決し切れていないこと、そして、さらに悲しむべきことは、それらすべては結局は人類に激しい憎悪と悲しみを残すだけにすぎない、ということなのです。
そんなことを言っていると、どなたかは「しょせん人間なんてそんなものさ」と言われそうです。でも、今世紀の戦争は一体どんなものになっていくのだろう、言い知れぬ不安は世界に存在する禍根をさらに増幅しかねない気がするのです。
あなたのおっしゃるとおり、「テロ抑止」は現在の最重要課題でしょう。米英をはじめ、NATO諸国、さらにイスラム穏健派諸国もテロに対して反対の声明を出しています。しかしながら、それぞれの国の態度には微妙に違う部分があり、すぐさま一致団結とはなってないようです。それぞれの国内にはそれに反対する勢力もあるし、その政治的・経済的思惑を無視し得ない状況にあります。
人間にとって生きる上で大切なものは幾つかありますね。資本主義社会ではそれはやはりお金でしょう。また、自分の経済基盤を確かなものにするためにはそれを確実なものにしてくれる政治団体も忘れてはなりませんでしょう。
資本主義社会では物質面でこれらはなくてはならないものです(もっとも日本では政治に対してはあまり関心がなくとも生きていけそうに見えますけど)。
しかし、お金や政治だけでは我々人間の精神的な充足感を満たさないことも良くあります。精神面での空虚感は我々の精神をすさんだものにすることもあります。それを満たしてくれるもののひとつに、宗教があるわけですよね。
人間が精神的な枯渇感を感じることは何も異常なことではありません。問題はそれをいかに充足するかですが、別に宗教じゃなくても、ある人にとってはそれは家族であったり、ある人にとってはそれはスポーツであったりする。でも、宗教以外にその精神的枯渇感を見出せない人もいるのでしょう。あるいは、地域的な問題もあると思います。とにかく世界の相当数の人たちはその宗教を心のよりどころにしているわけです。
いざ、今度はテロの首謀者たちに目を向けて見ましょう。
私は彼ら首謀者たちは、精神的な枯渇感を感じているのだと思います。彼らはもちろん熱心な宗教帰依者であるかもしれません。もちろん彼らにも家族がいて人間の命の大切さなどもわかっているのかもしれません。
しかしながら、それでも彼らは何か精神的な枯渇感にさいなまされているのではないか。何かそれを満たしてくれるものがあるのではないか。それを満たしてくれるものをきっと彼らは激しく求めているのではないか。そう思うのです。
彼らにとって現在その枯渇感を満たしてくれるものは、憎悪なのでしょう。憎悪。そう、これは人間の誰の心にも存在するものなのでしょう。しかし、その憎悪を持ち続ける限り、彼らはテロを止めないのではないのでしょうか。その憎悪に替わるものを彼らが手に入れない限り。。。
憎悪に替わるもの、それが何なのかを言うことは確かに難しいです。何が彼らに心の安らぎを与えてくれるかは、わかりません。しかしながら、少なくとも彼らが宗教帰依者ならば、その宗教の力にひれ伏す可能性は必ずあるはずです。
これは メッセージ 81902 (alexis_lcars さん)への返信です.
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