対米全面テロ

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原爆

投稿者: kjljlkjlkjlkj 投稿日時: 2001/09/22 21:54 投稿番号: [65316 / 177456]
「肉がねえ、ぶくぶくに焼けただれちゃってねえ。うじがわくんですね」「背中の方はですね、ジャガイモの皮をむいたように皮膚が垂れ下がって」爆風で崩れ落ちた家々の下には死者たちが横たわっていた。

朝ごはんを食べていた子、兄弟で絵本を読んでいた子。夏休みもなく勤労動員で働いていた中学生たち。ピカッ。その一瞬、原爆は巨大な火の玉となって爆心地を包んだのです。爆心地近くの石段に腰掛けていた人は、影だけを残して消えました。爆心から少し離れた場所にいた人々も、着物や服はおろか、熱線で肉を焼かれ、髪の毛を焼かれ、皮膚はジャガイモの皮のようにずるりとむけてしまいました。たちまち音をたてて燃え上がる火。

人間が人間でなくなり、子どもも裸で逃げまどい、助けを呼び、泣きわめき、それは地獄でした。地獄としかいいようがありませんでした。「水をください、水を」と叫んで川へ飛び込んだ人たちの声が、その呻きが、わたしにも聞こえてきます。瞬間的な熱線とともに、普通の爆弾では考えられないものすごい爆風が起こりました。家も学校も病院も何もかも押しつぶし、なぎ倒していきました。長崎の小学校のある先生はこう書き残しています。「運動場は一面、人間をまいてあるみたいだった。土の見えないくらい倒れていた。たいてい死んでしまって、動かなかった」爆風が通り過ぎた後は、もう変わり果てた死の街だったのです。熱戦と爆風。それにもう一つ加えて原爆の恐ろしさは、目に見えない放射能でした。舞い上がった死の灰。突然降りだした黒い雨。いたるところ、強い放射能でいっぱいだったのです。あの日、運よくけが一つせずに元気だった人々も、しばらくしてからバタバタと倒れ、高熱にうなされ、不気味な死斑が体に現われ、あるいは血を吐いて、なぜそうなったのかわからないままに、次々と死んでいきました。放射能が体を蝕んだのです。

長崎の谷口澄輝さんは、自転車で電報配達をしていたとき、後ろからピカッときて地面へ叩きつけられました。当時16歳。肩、背中、尻、両腕などにひどいやけどを負い、1年9カ月間、うつぶせになったままでした。このため、胸は床ずれで肉が腐り、あまりの痛さと苦しさに、何べん叫んだかしれなかったそうです。「殺してくれ、殺してください」と。 かろうじて生きのびた人々も、苦しみながらさまよい、デルタ地帯の七つの川辺に折り重なって死んだ。人々は「ピカドン」と呼んだ、悪魔の火球であった。爆心地の外にいた人々が駆けつけてきた。しかし、救う手だてがなかった。体中の水分が熱線で奪い去られてしまった人々は幽鬼のように放心したまま命が尽きていった。通りすぎる者の足をつかんで、水を求めながら死ぬ人も多かった。

今でもアメリカのスミソニア博物館の記念碑にこう書かれています。

「やつらにはこれこそがふさわしかった」
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