本当の男らしさとは何か
投稿者: crohnhuman 投稿日時: 2001/09/22 15:04 投稿番号: [64579 / 177456]
4年前、知り合いが交通事故でなくなった。彼の奥さんの悲しみようは限りなく、もし目の前に犯人が現れたら奥さんは彼を殺していたかもしれない。
あれから4年経った。今でも、奥さんの心の傷は消えはしない。しかし、あの時犯人を殺していたら社会正義は達成されなかっただろう。
オーム真理教がテロを起こしたとき、誰もが(最初は)麻原の死を願った。しかし、麻原が暗殺されるなどということはなく、結局彼は裁判にかけられ(もう6年にもなるけれども)いずれ死刑になるだろう。その死は社会で許容された死である。もしあの時彼を殺していたら我々は満足しただろうか。
もちろん、満足する人もいただろう。しかし、あれから6年経ってみると、あの時「オーム殲滅」などと叫ぶ人に従わなくて良かったことが分かる。裁判がいつまでも終わらないことにいらつくことはあっても、少なくとも社会正義は守られているという実感がある。あの時の2000人にも及ぶ死傷者と遺族の方々には本当につらいこととは思う。その傷は今でも癒えていないだろう。しかし、そのために社会の秩序まで変えてはいけないと思う。
今回、大規模なテロが起こった。死傷者は万を超えるだろう。しかし、私は量は質の転換を意味しないと思うのだ。
報復したいと思うから報復したのでは社会は成り立たない。今回オサマ・ビン・ラディン氏がアメリカに殺されて、それが正義だと認められたとしよう。それならば、4年前に私の知り合いを殺した人を、奥さんが、あるいは、私が殺すことも正義である。
テロリストは「社会」の外にいるから、社会が壊れようとなんとも思わないし、だから社会を壊そうとするのだけれど、なぜ社会の内側にいる我々が社会を壊さなければならないか。オームの時と同じように彼らを社会の中に取り込むか、そうでなければ、社会をそこまで広げるのが正しい。テロリストが社会に取り込まれたら、彼らはテロリストではあり得なくなる。日本赤軍がそうであるように。
もし、今回の首謀者がオサマ・ビン・ラディン氏がであるならば、彼に死を。しかし、裁判の上で。
これは メッセージ 64557 (bito626 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/bpjfa4lla5fa5m_1/64579.html