湯田やの王とえるされむ教団
投稿者: x_file_molder 投稿日時: 2001/09/22 03:30 投稿番号: [63653 / 177456]
別スレでも書きましたが、信者ではない私の個人的見解。
一般のクリスチャンの方はたわごとと思って聞き流してください。
イエスは多分ユダヤ人だったと思います。ソロモン王とダビデの血筋ですので。
パリサイ派と激しく対立したのは事実らしいです。
一般に云われているように「12使徒と原始キリスト教を説いて回った」のではなく
ユダヤ教の宗教改革者で、死ぬまで熱心なユダヤ教徒だった。と云うのが最近の歴史的な見方のようです。この辺はこちらにも。http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/texts/textA2F3/a2f1000.html
>実際はイエスははりつけになっても死んでおらず
ローマンカトリックにとってはイエスは「神の子」。三位一体ですから。
それは認められないでしょうね、絶対に。
でも、それどころか「マグダラのマリア」と結婚していて子供もいた。と云う説までありますから。
当時イエスはパリサイ派と対抗する勢力、エッセネ派のクムラン宗団に属していたと云われています。
クムランと云えば、そう「死海文書」。
今世紀になって発見された20世紀最大の発見と言われているあの「死海文書」を書き記した宗派です。
クムランは基本的に子孫を残すため妻帯が義務付けられているらしい。イエスが結婚していたとしても不思議ではない。そして後に異端とされ聖書から排除された「ピリポの福音書」にマグダラのマリアについての記述が大変重要なものとして記されています。
ちなみに、聖書と云うものが今の形に編纂されたのがイエスが死んでから
失礼、十字架に架かってから、約300年後。
325年のニケイア公会議において。ここで神とキリストと精霊の三位一体論が協議として成立します。当然、主流派と反主流派があって激しく揉めました。
その後、テオドシウス帝の時代
キリスト教がローマの国教になり政治と密接な関係を持たざるを得なくなり
381年にコンスタンティノープル公会議で三位一体の協議は「確立」し反主流派のアリウス派が異端とされます。
395年にはローマ帝国が東西に分裂。カトリックと東方正教会に分裂の遠因となる。
451年カルケドン公会議にて、ネストリウス派、コプト教会、ヤコブ協会、アルメニア協会など少数派が離脱。教皇権が確立し、これまでの護教的な性格から「弾圧者」としての性格を持つに至るのでした。聖書の中からも彼らの教えと沿わないものがいくつか「異端の書物」として排除され。
実に政治絡みな話です。
ところで↑のHPに
『実は、一連のユダヤ戦争が起こる直前に、イエスの密命を帯びた大量のイエス派ユダヤ人集団(エルサレム教団)が、パレスチナを脱出して、ある地域へ向かって旅立っていたと言われている』
と云う部分がありますが、この「エルサレム教団」は果たして何処に行ってしまったのだろう。
と云うのが20世紀「死海文書」や「ナグハマディ文書」の発見と共に大きくクローズアップされ
研究の対象になったのでした。なにしろそれまでの「聖書」よりも最古の本物の文書が出て来たからです。
そこには、イエスの直筆とまではいかないけど、それにかなり近いとされる文書が書かれていたからです。
ちなみに新約聖書とはイエスが直接書いたものでも、話す言葉をリアルタイムでメモったものでもありません。
彼の死後何十年も経ってから「確かこう云うことを言われたと記憶している」と何人もの人の手を経て書かれたものです。
つまり何がオリジナルなのかはっきりしないのが聖書(特に新約)と云うもの。
なんか眠くなってきたのでこの辺でやめますね。と云うよりタブーもありトピズレの感もあり打ちきった方が良いかな。って感じですね。
最後に一言、こっそり。そのエルサレム教団こそが自分たちの基礎である、とこっそり「自称」している秘密な結社さんとかがあるらしいです。不利目ーそんとかいるみなティーとか。これ以上はちょっと。えしゅろんも怖いし、そろそろ引退しよっかな。ではさようなら
一般のクリスチャンの方はたわごとと思って聞き流してください。
イエスは多分ユダヤ人だったと思います。ソロモン王とダビデの血筋ですので。
パリサイ派と激しく対立したのは事実らしいです。
一般に云われているように「12使徒と原始キリスト教を説いて回った」のではなく
ユダヤ教の宗教改革者で、死ぬまで熱心なユダヤ教徒だった。と云うのが最近の歴史的な見方のようです。この辺はこちらにも。http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/texts/textA2F3/a2f1000.html
>実際はイエスははりつけになっても死んでおらず
ローマンカトリックにとってはイエスは「神の子」。三位一体ですから。
それは認められないでしょうね、絶対に。
でも、それどころか「マグダラのマリア」と結婚していて子供もいた。と云う説までありますから。
当時イエスはパリサイ派と対抗する勢力、エッセネ派のクムラン宗団に属していたと云われています。
クムランと云えば、そう「死海文書」。
今世紀になって発見された20世紀最大の発見と言われているあの「死海文書」を書き記した宗派です。
クムランは基本的に子孫を残すため妻帯が義務付けられているらしい。イエスが結婚していたとしても不思議ではない。そして後に異端とされ聖書から排除された「ピリポの福音書」にマグダラのマリアについての記述が大変重要なものとして記されています。
ちなみに、聖書と云うものが今の形に編纂されたのがイエスが死んでから
失礼、十字架に架かってから、約300年後。
325年のニケイア公会議において。ここで神とキリストと精霊の三位一体論が協議として成立します。当然、主流派と反主流派があって激しく揉めました。
その後、テオドシウス帝の時代
キリスト教がローマの国教になり政治と密接な関係を持たざるを得なくなり
381年にコンスタンティノープル公会議で三位一体の協議は「確立」し反主流派のアリウス派が異端とされます。
395年にはローマ帝国が東西に分裂。カトリックと東方正教会に分裂の遠因となる。
451年カルケドン公会議にて、ネストリウス派、コプト教会、ヤコブ協会、アルメニア協会など少数派が離脱。教皇権が確立し、これまでの護教的な性格から「弾圧者」としての性格を持つに至るのでした。聖書の中からも彼らの教えと沿わないものがいくつか「異端の書物」として排除され。
実に政治絡みな話です。
ところで↑のHPに
『実は、一連のユダヤ戦争が起こる直前に、イエスの密命を帯びた大量のイエス派ユダヤ人集団(エルサレム教団)が、パレスチナを脱出して、ある地域へ向かって旅立っていたと言われている』
と云う部分がありますが、この「エルサレム教団」は果たして何処に行ってしまったのだろう。
と云うのが20世紀「死海文書」や「ナグハマディ文書」の発見と共に大きくクローズアップされ
研究の対象になったのでした。なにしろそれまでの「聖書」よりも最古の本物の文書が出て来たからです。
そこには、イエスの直筆とまではいかないけど、それにかなり近いとされる文書が書かれていたからです。
ちなみに新約聖書とはイエスが直接書いたものでも、話す言葉をリアルタイムでメモったものでもありません。
彼の死後何十年も経ってから「確かこう云うことを言われたと記憶している」と何人もの人の手を経て書かれたものです。
つまり何がオリジナルなのかはっきりしないのが聖書(特に新約)と云うもの。
なんか眠くなってきたのでこの辺でやめますね。と云うよりタブーもありトピズレの感もあり打ちきった方が良いかな。って感じですね。
最後に一言、こっそり。そのエルサレム教団こそが自分たちの基礎である、とこっそり「自称」している秘密な結社さんとかがあるらしいです。不利目ーそんとかいるみなティーとか。これ以上はちょっと。えしゅろんも怖いし、そろそろ引退しよっかな。ではさようなら
これは メッセージ 62908 (kenjixjw さん)への返信です.
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