記事を見つけました。3 ちょっと長いです
投稿者: nayasuda 投稿日時: 2001/09/22 01:20 投稿番号: [63332 / 177456]
カシミール地方でのオサマ・ビン・ラディン
ここでアフガニスタン・パキスタン・カシミール地域の主要勢力を紹介しよう。
・ジャマレット・イスラミ党 ・・・・・・・ 党首 カジ・フセイン・アーマッド
・ISI(パキスタン情報局) ・・・・・・・ ハーミッド・ガル将軍
・アル・カイダ ・・・・・・・ オサマ・ビン・ラディン
上記組織の支援を受けている下部組織として、
・ハルカット・ウル・アンサー(支援ムーブメント)
・ラシャカーエ・タイバ(神の軍隊)
・タリケ・ジハッド(聖戦ムーブメント)
・ヒズブ・ウル・ムジャヒディーン(ムジャヒディーン党)
これら組織は、カシミール地方の他の勢力、例えばJKLFのような、独立派民兵よりも、はるかに重武装され、高度なゲリラ訓練を受けている。JKLFはムジャヒディーンに対して、強い違和感を持つ一方、カシミール地方の住民から、心情的にはより支持を受けている。
他の地域のイスラム教徒がそうであるように、カシミール人もまた、彼ら自身が作り上げたイスラム教に対する接し方がある。
この地域では、スフィズムと呼ばれる、非常に長い伝統に基づいた概念を通して、イスラム教を実践している。スフィズムとは一種の神秘主義のようなもので、神の存在や、究極の真理は個人の霊的体験に負うところが大きいとする考え方だ。
このような点から、イスラム原理主義を強く主張するイスラミストである、オサマ・ビン・ラディンと彼の率いる勢力は、この地元の人々からは異教徒と見られているのだ。それ以上にイスラミストの侵入者達は、少数派であるヒンズー教徒を迫害してきた。 あらゆる村々で、ヒンズー教徒の住民を皆殺しにした。 彼らヒンズー教徒は、長年にわたり地元のイスラム教徒とは平和に暮らしてきていたのにである。実は、イスラム教徒カシミール人のほとんどが、このビン・ラディンのやり方を支持していないのだ。
一方、JKLFは常にヒンズー教徒とイスラム教徒の連帯を呼びかけてきていた。実際に、いくつかの地域では、一般のイスラム教徒が同じイスラム教徒である、ヒズブ・ウル・ムジャヒディーンと戦闘を交えたし、スリナガー地域では、イスラム教徒であるカシミール人ですら同じ宗教を信じるイスラミストの侵入者達に対して、インド政府の支援のもとに反撃に出たことすらあったのだ。特に1996−97年にかけては、この傾向が強かったが、1999年以降急速に減退した。
もし、インド側による支援さえあれば、パキスタンに支援された侵入民兵ゲリラは、ビン・ラディンによってもちこまれた原理主義よりもカシミール・イスラム教を信奉する地元の村人達によって、撃退されていたはずだった。つまり、領土権を主張するあまり、地元のカシミールのイスラム教徒達に芽生えた反イスラム原理主義の動きをインド側は利用することができなかったのである。
1980年代から90年代を通してアフガニスタンでは、ISIはアフガン紛争初期の段階に愛国的理由でソ連と戦ったアフガン義勇軍を、パキスタン国内で培養したイスラミスト達にとって変わらせていた。
ISIは、この同じ手法でカシミール地方の愛国的義勇軍JKLFを、より過激なイスラム原理主義集団であるイスラミストにとって変わらせようとしているのだ。
ここでアフガニスタン・パキスタン・カシミール地域の主要勢力を紹介しよう。
・ジャマレット・イスラミ党 ・・・・・・・ 党首 カジ・フセイン・アーマッド
・ISI(パキスタン情報局) ・・・・・・・ ハーミッド・ガル将軍
・アル・カイダ ・・・・・・・ オサマ・ビン・ラディン
上記組織の支援を受けている下部組織として、
・ハルカット・ウル・アンサー(支援ムーブメント)
・ラシャカーエ・タイバ(神の軍隊)
・タリケ・ジハッド(聖戦ムーブメント)
・ヒズブ・ウル・ムジャヒディーン(ムジャヒディーン党)
これら組織は、カシミール地方の他の勢力、例えばJKLFのような、独立派民兵よりも、はるかに重武装され、高度なゲリラ訓練を受けている。JKLFはムジャヒディーンに対して、強い違和感を持つ一方、カシミール地方の住民から、心情的にはより支持を受けている。
他の地域のイスラム教徒がそうであるように、カシミール人もまた、彼ら自身が作り上げたイスラム教に対する接し方がある。
この地域では、スフィズムと呼ばれる、非常に長い伝統に基づいた概念を通して、イスラム教を実践している。スフィズムとは一種の神秘主義のようなもので、神の存在や、究極の真理は個人の霊的体験に負うところが大きいとする考え方だ。
このような点から、イスラム原理主義を強く主張するイスラミストである、オサマ・ビン・ラディンと彼の率いる勢力は、この地元の人々からは異教徒と見られているのだ。それ以上にイスラミストの侵入者達は、少数派であるヒンズー教徒を迫害してきた。 あらゆる村々で、ヒンズー教徒の住民を皆殺しにした。 彼らヒンズー教徒は、長年にわたり地元のイスラム教徒とは平和に暮らしてきていたのにである。実は、イスラム教徒カシミール人のほとんどが、このビン・ラディンのやり方を支持していないのだ。
一方、JKLFは常にヒンズー教徒とイスラム教徒の連帯を呼びかけてきていた。実際に、いくつかの地域では、一般のイスラム教徒が同じイスラム教徒である、ヒズブ・ウル・ムジャヒディーンと戦闘を交えたし、スリナガー地域では、イスラム教徒であるカシミール人ですら同じ宗教を信じるイスラミストの侵入者達に対して、インド政府の支援のもとに反撃に出たことすらあったのだ。特に1996−97年にかけては、この傾向が強かったが、1999年以降急速に減退した。
もし、インド側による支援さえあれば、パキスタンに支援された侵入民兵ゲリラは、ビン・ラディンによってもちこまれた原理主義よりもカシミール・イスラム教を信奉する地元の村人達によって、撃退されていたはずだった。つまり、領土権を主張するあまり、地元のカシミールのイスラム教徒達に芽生えた反イスラム原理主義の動きをインド側は利用することができなかったのである。
1980年代から90年代を通してアフガニスタンでは、ISIはアフガン紛争初期の段階に愛国的理由でソ連と戦ったアフガン義勇軍を、パキスタン国内で培養したイスラミスト達にとって変わらせていた。
ISIは、この同じ手法でカシミール地方の愛国的義勇軍JKLFを、より過激なイスラム原理主義集団であるイスラミストにとって変わらせようとしているのだ。
これは メッセージ 63327 (poko_poko_777 さん)への返信です.
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