生と死 善と悪
投稿者: bau 投稿日時: 2001/09/16 04:59 投稿番号: [38976 / 177456]
形あるものいつかは無に還元される。
それにおびえ人は神の存在を信じた。ただひたすらに。
その虚無の自然界に設け位置付けた一つの座標が狂っていたら?
そもそも神など存在しない。思想でしかない。誰も神に会ったことはない。
しかし奇跡は起こる。偶然の螺旋上に。
それを神の仕業だと勘違いした人間は神を形にし崇拝することで幸せを熱望した。
困った事に唯一無二の神がいくつも出現した。人種という枠によって。
人々は混乱し、神は一つ
それ以外は「悪」と決めつけ争うようになった。
確かに私も「死」は恐い。今回のテロや災害、疫病、事故など「死」への階段はいくらでもある。
しかしそれらの殆どは人間が自ら創り出したものだ。
その犠牲になるものも必ず出てくる。
古代文明においても繁栄と引き換えの生贄はつきものである。
しかしいつからか人間は生贄を捧げなくなり、自らの幸せと繁栄だけを願うようになった。
やはり欲深いのは罪なのか?
座標に誤差を生じさせたのは、繁栄が生み出した「欲」ではないだろうか。
考えれば考える程解らなくなる。
私は仏教徒だが聞きたい。
救世主
弥勒に。
五十六億7千万年後にこの世に出でて人々を救うという。
なぜこの愚かな人類を導かないのか。
末世はもう来ているのではないか。
なぜ出番までじっと待っているのか。
少しは出てきて説法でも対策でも示して欲しいが。
(すべて私見です)
これは メッセージ 38833 (seelenmesse さん)への返信です.
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