『郵政民営化の詐術』が隠蔽したもの
投稿者: pyu_pyu_kitakaze 投稿日時: 2005/10/16 18:10 投稿番号: [174277 / 177456]
(要約,抜き書き)
〜民主主義国家の国民に対する最大の責務を一つだけに絞るとすれば、それはアカウンタビリティです。また、国家財政に関するアカウンタビリティを保証するのが「国会中心財政主義」の概念です。
(ドイツの例:省略)
最近、与党政府(小泉政権)が「郵政民営化法案」の国民一般への啓蒙の(支持を得る)ために「B層国民をターゲットとする戦略プロジェクト」という「日本国民の基本的人権」を蹂躙するような広報戦略に密かに取り組んでいたことが明るみに出たにもかかわらず、殆んどのマスメディアも国民も“そのコトの重大さ”(憲法違反の疑義があること)に殆んど気づいていないようです。この事例は、まさに日本政府と日本国民の双方が「憲法の授権規範性」を殆んど認識していないということを示す象徴的な出来事です。
〜ともかくも、このような、ある意味で呑気な「政府と国民の伝統的なもたれ合いの姿勢」の中から「巨大化した特別会計」という財政のモンスターが誕生したのです。
(特別会計の法的根拠と歴史:省略)
今、ごく一部の専門家の中から“「郵政民営化」が「膨大な財政赤字拡大」の責任逃れのための一種の擬装工作ではなかったのか?”、また“その真の狙いは民営化に名を借りた国家財政リスクの国民への転嫁ではなかったのか?”という疑念の声が出始めています。周知のとおり、2001年4月から「財投改革」と呼ばれる政策が既に実施されています。これは、「郵便・年金の預託義務」がいったん財務省・資金運用部に預託されて、財政投融資の資金に流す仕組みを廃止するための「財政投融資改革」のことです。しかし、国の信用をバックにして発行される財投債は名前を変えた新種の国債に他なりません。「財政融資資金特別会計」から借り入れをした特殊法人等に損失が発生した場合に、最終的にその償還財源を租税に依存せざるを得ないのであれば、財投債は国債と何も変わりはないのです。
むしろ、このように中途半端な国家財政の仕組みを新しく作ったため、既に1,000兆円を超えた日本の国家的な財政赤字は、更にその上に大きな赤字を積み上げてゆく恐れがあります。
(近代史に見る責任転嫁と問題の先送り:省略)
〜このように見てくると、いわば日本の“先進諸国並み”の「財政民主主義への道程」は二度(明治維新期(西南戦争直後)、太平洋戦争期)殺されたようなものですが、今や『コイズミ・郵政民営化』の目眩まし戦術、つまり『小泉劇場』によって国家財政と日本国民の資産は三度目の死を迎えつつあるのかも知れません。
〜松浦武志著『特別会計への道案内-387兆円のカラクリ-』から平成12年度の数字を再録すると以下(●)のとおりです。この観点から見ると、日本の本当の国家予算は260.3兆円(84.9+175.4)であり、実際の予算規模は公表されている「一般会計予算」の約3.1倍もあることになります。これで、どうして日本は憲法が存在する「国会中心財政主義」の民主国家だなどと胸を張って言えるのでしょうか?
●一般会計(歳出)84.9兆円、特別会計(歳出)318.7兆円、特別会計(歳出)の重複143.3兆円、特別会計の純計(歳出)175.4兆円、
〜そこで考案されたのが、特別会計を減らす代わりに“特別会計と同様の機能を持ちながら法的根拠も曖昧な「特殊法人」と「認可法人」を創る”という手法でした。謂わば、これは政府と財務省(旧大蔵省)の合作による手品師のような手際だった訳です。
小泉カイカクでも同じ手法が使われました。それが「独立行政法人」化であり、これには「天下りポストの増加」というオマケまで付いていますから噴飯ものです。
〜ともかくも、「国会中心財政主義」を言い換えれば、それは本格的な「財政民主主義の実現」ということです。法制度的な側面から見れば主権在民の理念を議会制度で実現するのが民主主義の正しいあり方ということになりますが、「財政民主主義の実現」という観点からすれば、それは「民主的な財政基本構造」を確立するということです。しかし、残念ながら近代国家・日本は今まで見てきたとおりの有様で、現在に至っても未だに「民主的な財政基本構造」を完成させていません。
それどころか、小泉政権は『郵政民営化』によって、この本物の「財政民主主義の実現」へ向かう道を閉ざしてしまったのです。
toxandriaの日記
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051010
〜民主主義国家の国民に対する最大の責務を一つだけに絞るとすれば、それはアカウンタビリティです。また、国家財政に関するアカウンタビリティを保証するのが「国会中心財政主義」の概念です。
(ドイツの例:省略)
最近、与党政府(小泉政権)が「郵政民営化法案」の国民一般への啓蒙の(支持を得る)ために「B層国民をターゲットとする戦略プロジェクト」という「日本国民の基本的人権」を蹂躙するような広報戦略に密かに取り組んでいたことが明るみに出たにもかかわらず、殆んどのマスメディアも国民も“そのコトの重大さ”(憲法違反の疑義があること)に殆んど気づいていないようです。この事例は、まさに日本政府と日本国民の双方が「憲法の授権規範性」を殆んど認識していないということを示す象徴的な出来事です。
〜ともかくも、このような、ある意味で呑気な「政府と国民の伝統的なもたれ合いの姿勢」の中から「巨大化した特別会計」という財政のモンスターが誕生したのです。
(特別会計の法的根拠と歴史:省略)
今、ごく一部の専門家の中から“「郵政民営化」が「膨大な財政赤字拡大」の責任逃れのための一種の擬装工作ではなかったのか?”、また“その真の狙いは民営化に名を借りた国家財政リスクの国民への転嫁ではなかったのか?”という疑念の声が出始めています。周知のとおり、2001年4月から「財投改革」と呼ばれる政策が既に実施されています。これは、「郵便・年金の預託義務」がいったん財務省・資金運用部に預託されて、財政投融資の資金に流す仕組みを廃止するための「財政投融資改革」のことです。しかし、国の信用をバックにして発行される財投債は名前を変えた新種の国債に他なりません。「財政融資資金特別会計」から借り入れをした特殊法人等に損失が発生した場合に、最終的にその償還財源を租税に依存せざるを得ないのであれば、財投債は国債と何も変わりはないのです。
むしろ、このように中途半端な国家財政の仕組みを新しく作ったため、既に1,000兆円を超えた日本の国家的な財政赤字は、更にその上に大きな赤字を積み上げてゆく恐れがあります。
(近代史に見る責任転嫁と問題の先送り:省略)
〜このように見てくると、いわば日本の“先進諸国並み”の「財政民主主義への道程」は二度(明治維新期(西南戦争直後)、太平洋戦争期)殺されたようなものですが、今や『コイズミ・郵政民営化』の目眩まし戦術、つまり『小泉劇場』によって国家財政と日本国民の資産は三度目の死を迎えつつあるのかも知れません。
〜松浦武志著『特別会計への道案内-387兆円のカラクリ-』から平成12年度の数字を再録すると以下(●)のとおりです。この観点から見ると、日本の本当の国家予算は260.3兆円(84.9+175.4)であり、実際の予算規模は公表されている「一般会計予算」の約3.1倍もあることになります。これで、どうして日本は憲法が存在する「国会中心財政主義」の民主国家だなどと胸を張って言えるのでしょうか?
●一般会計(歳出)84.9兆円、特別会計(歳出)318.7兆円、特別会計(歳出)の重複143.3兆円、特別会計の純計(歳出)175.4兆円、
〜そこで考案されたのが、特別会計を減らす代わりに“特別会計と同様の機能を持ちながら法的根拠も曖昧な「特殊法人」と「認可法人」を創る”という手法でした。謂わば、これは政府と財務省(旧大蔵省)の合作による手品師のような手際だった訳です。
小泉カイカクでも同じ手法が使われました。それが「独立行政法人」化であり、これには「天下りポストの増加」というオマケまで付いていますから噴飯ものです。
〜ともかくも、「国会中心財政主義」を言い換えれば、それは本格的な「財政民主主義の実現」ということです。法制度的な側面から見れば主権在民の理念を議会制度で実現するのが民主主義の正しいあり方ということになりますが、「財政民主主義の実現」という観点からすれば、それは「民主的な財政基本構造」を確立するということです。しかし、残念ながら近代国家・日本は今まで見てきたとおりの有様で、現在に至っても未だに「民主的な財政基本構造」を完成させていません。
それどころか、小泉政権は『郵政民営化』によって、この本物の「財政民主主義の実現」へ向かう道を閉ざしてしまったのです。
toxandriaの日記
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051010
これは メッセージ 174276 (pyu_pyu_kitakaze さん)への返信です.
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