「国賊」(承前)
投稿者: pyu_pyu_kitakaze 投稿日時: 2005/06/08 16:14 投稿番号: [173460 / 177456]
以前コピペした,
6月1日
昭和天皇こそ最大の米国追従者だった?
天木直人のホームページ
http://amaki.cc/
に書いてある昭和天皇の発言について,五十嵐仁氏がコメントしている。
(以下抜き書き)
やっぱりこういうことを言っていたんですね。昭和天皇は……。
新たな資料がアメリカで研究者の手によって発見され、ベールに包まれていた昭和天皇の発言の一部が明らかになりました。
これは『朝日新聞』のスクープでしょうか。一面に大きく「昭和天皇 日米重視の発言」「53−72年 公文書6点」「軍駐留 必要と確信」「平和へ 米国の力を」などの見出しの下、次のように書かれています。
昭和天皇が占領終結後から70年代にかけて、日米の外交官や米軍幹部に米軍の日本駐留継続を希望し、米国の日本への援助に謝意を表明するなどの発言をしていたことを示す米公文書が、米国で相次いで見つかった。53年から72年の計6点で、象徴天皇制下での天皇と政治とのかかわりを探る手がかりになりそうだ。
占領期の天皇が日米関係や安全保障にかかわる発言をしていたことは知られているが、その後も長く同様の発言を続けていたことになる。
(中略)
(問題点の第1〜第4まで,部分的に省略)
第1に、天皇と政治との距離の問題があります。もし、昭和天皇が単なる「象徴」ではなく、内政や外交において実質的な役割を演じていたということになれば、大きな問題になります。
第2に、昭和天皇は戦前の「絶対天皇制」と戦後の「象徴天皇制」の違いをどれだけ認識していたのかという問題があります。
第3は、昭和天皇が一貫して「日米同盟」を志向していたということです。 今日の「日米同盟」一辺倒による国連中心主義・国際協調主義からの乖離は日本の外交と安全を大きく歪めているからです。このような誤りのルーツは、昭和天皇にあったということになりましょうか。
第4は、このようなアメリカ志向に、昭和天皇は矛盾を感じなかったのかということです。天皇がマーフィー駐日大使夫妻に向かって「私は米軍の駐留が引き続き必要だと確信している」と述べたのは、1953年4月20日のことでした。
アメリカを敵とした太平洋戦争が終わってからまだ10年も経っていません。あれほど激しく戦い「鬼畜」とまで言っていた旧敵国のアメリカ大使に対するこの発言を、「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいった泉下の若者たちはどう聞くでしょうか。
この前年である1952年4月28日、サンフランシスコ条約の発効によって日本は主権を回復しますが、安保条約の発効によって米軍は居残ります。本来で あれば、「独立したのだから早く出ていって欲しい」と言うべきでしょう。それなのに「駐留が引き続き必要だ」と従米状態の継続を要望するとは何ということ でしょう。日本の敗北と占領を阻もうとして、命をかけて戦った若者たちに顔向けできるのでしょうか。
今回明らかにされた昭和天皇の発言を見ると、一方では、その変わり身の早さに驚きますが、他方では、「支配者」としての潜在意識が払拭されていないこともうかがえます。日本の敗戦に対して、昭和天皇は自らの責任をどう考えていたのかという疑問も湧いてきます。
もし敗北すれば日本が滅亡するかのような妄言を弄し、多くの若者を戦わせて命を奪った相手がアメリカです。10年も経たないうちにそのアメリカにすり寄り、米軍を頼りとし、駐留の継続を要望することに、昭和天皇は何の矛盾も痛痒も感じなかったのでしょうか。自らの言葉を信じ、天皇制を守るために死んで いった人々にすまないと、自らの罪に苦しみ身もだえることはなかったのでしょうか。
五十嵐仁の転成仁語
http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm
___________________
・・・要するに,自分の地位と権威を保証してくれる相手なら,
矛盾してようと破綻してようと,その相手にどんな思惑があろうと,何でもよかったわけだよ。
・・・こういう連中のことを日本語では一般に「売国の徒」とか「国賊」とか云うんだったよな。
6月1日
昭和天皇こそ最大の米国追従者だった?
天木直人のホームページ
http://amaki.cc/
に書いてある昭和天皇の発言について,五十嵐仁氏がコメントしている。
(以下抜き書き)
やっぱりこういうことを言っていたんですね。昭和天皇は……。
新たな資料がアメリカで研究者の手によって発見され、ベールに包まれていた昭和天皇の発言の一部が明らかになりました。
これは『朝日新聞』のスクープでしょうか。一面に大きく「昭和天皇 日米重視の発言」「53−72年 公文書6点」「軍駐留 必要と確信」「平和へ 米国の力を」などの見出しの下、次のように書かれています。
昭和天皇が占領終結後から70年代にかけて、日米の外交官や米軍幹部に米軍の日本駐留継続を希望し、米国の日本への援助に謝意を表明するなどの発言をしていたことを示す米公文書が、米国で相次いで見つかった。53年から72年の計6点で、象徴天皇制下での天皇と政治とのかかわりを探る手がかりになりそうだ。
占領期の天皇が日米関係や安全保障にかかわる発言をしていたことは知られているが、その後も長く同様の発言を続けていたことになる。
(中略)
(問題点の第1〜第4まで,部分的に省略)
第1に、天皇と政治との距離の問題があります。もし、昭和天皇が単なる「象徴」ではなく、内政や外交において実質的な役割を演じていたということになれば、大きな問題になります。
第2に、昭和天皇は戦前の「絶対天皇制」と戦後の「象徴天皇制」の違いをどれだけ認識していたのかという問題があります。
第3は、昭和天皇が一貫して「日米同盟」を志向していたということです。 今日の「日米同盟」一辺倒による国連中心主義・国際協調主義からの乖離は日本の外交と安全を大きく歪めているからです。このような誤りのルーツは、昭和天皇にあったということになりましょうか。
第4は、このようなアメリカ志向に、昭和天皇は矛盾を感じなかったのかということです。天皇がマーフィー駐日大使夫妻に向かって「私は米軍の駐留が引き続き必要だと確信している」と述べたのは、1953年4月20日のことでした。
アメリカを敵とした太平洋戦争が終わってからまだ10年も経っていません。あれほど激しく戦い「鬼畜」とまで言っていた旧敵国のアメリカ大使に対するこの発言を、「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいった泉下の若者たちはどう聞くでしょうか。
この前年である1952年4月28日、サンフランシスコ条約の発効によって日本は主権を回復しますが、安保条約の発効によって米軍は居残ります。本来で あれば、「独立したのだから早く出ていって欲しい」と言うべきでしょう。それなのに「駐留が引き続き必要だ」と従米状態の継続を要望するとは何ということ でしょう。日本の敗北と占領を阻もうとして、命をかけて戦った若者たちに顔向けできるのでしょうか。
今回明らかにされた昭和天皇の発言を見ると、一方では、その変わり身の早さに驚きますが、他方では、「支配者」としての潜在意識が払拭されていないこともうかがえます。日本の敗戦に対して、昭和天皇は自らの責任をどう考えていたのかという疑問も湧いてきます。
もし敗北すれば日本が滅亡するかのような妄言を弄し、多くの若者を戦わせて命を奪った相手がアメリカです。10年も経たないうちにそのアメリカにすり寄り、米軍を頼りとし、駐留の継続を要望することに、昭和天皇は何の矛盾も痛痒も感じなかったのでしょうか。自らの言葉を信じ、天皇制を守るために死んで いった人々にすまないと、自らの罪に苦しみ身もだえることはなかったのでしょうか。
五十嵐仁の転成仁語
http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm
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・・・要するに,自分の地位と権威を保証してくれる相手なら,
矛盾してようと破綻してようと,その相手にどんな思惑があろうと,何でもよかったわけだよ。
・・・こういう連中のことを日本語では一般に「売国の徒」とか「国賊」とか云うんだったよな。
これは メッセージ 173433 (pyu_pyu_kitakaze さん)への返信です.
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