再掲:何でも“派閥”化に異を唱える(I)
投稿者: etranger3_01 投稿日時: 2004/03/04 10:45 投稿番号: [164385 / 177456]
タイトル コメント:afleed氏の問いかけへの答え
投稿者 etranger3_01 (29歳/男性/TOKYO)
日付 2002/ 6/10 16:10
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=bpjfa4lla5fa5m&sid=1143582&mid=143447
●指摘部分訳(全文はMSG#143436 )
また、米国は直接的にも間接的にも、イラク、パレスチナ自治領、アフガニスタン、スーダン、フィリピン、ボスニアおよびカシミールなどでも無数の人々の命を奪ってきたとし、「したがって我々には400万のアメリカ人の命を奪う権利がある。これは100万人の子供とその倍の数の大人を殺害し、数十万人を障害者にすることを意味する」と述べた。
「彼等(米国)がばら撒いた生物化学兵器によって異常な病気にもがき死んでいったムスリムのように彼等も苦しむよう、我々にも生物化学兵器を持って攻撃する権利がある」
●以下、コメント
たしかに、米国が生物化学兵器をこれらの国々でばら撒いたことが確かな事実なら、イスラム法の「目には目を」という考え(何故かアメリカでも自衛権行使の原則として受け入れられている)に基づいた報復は正当とされるべきだというロジックには納得がいく。
だが、彼らの敵であるアメリカをも虜にしているこの報復のロジックは、その考え方が正当であれ、結局は何も良い結果を残さない。むしろ報復の連鎖という悪循環を生み、また1つ終わりのない戦争を作り上げてしまっただけのように思える。どちらかが譲らなければ、報復の連鎖は止まらない。むろん、ここで難しいのは大国であるアメリカと、それに抵抗する集団であるテロリストたちの力関係で、どちらが譲るかだ。
テロリストたちの立場を理解しようと努める人々(敢えて「テロ擁護派」という蔑称は使わない)からすれば、テロは立場の弱い者が起こすのであるから、力の大きい方が譲るべきだという考えに落ち着くろう。対して、アメリカの正義に同調するのではなくテロで亡くなったアメリカの人々への同情からテロ組織の殲滅を是とする人々は(ここでも「親米派」だの「米追従派」だの「空爆賛成派」などの蔑称は使わない)、アメリカが仮にそうした悪行を各国で行っていたとしても、今回の報復作戦については別扱いにするべきだと考えるだろう。物事は単純ではなく、またそれぞれの人々の立場も単に2分割できるほど単純なものではないのだ。
ここで必要なのは第三者の目だろう。それは、どちらの立場にも立たなかったときに何が見えてくるかということだ。まだそこには到底到達していないが、俺自身の考え方としては、自国政府以外の勢力に対するテロを是とはせず、また他国の文民を無差別に殺戮する大量虐殺テロにも異を唱える。つまり、民族自決権の行使による政府転覆などは認めるべきであると思うが、他国に対する直接的な武力行使は認めないということ。そして、テロを起こさせるような原因(憎悪)を蓄積させた大国側の責任については、それを認識し、非を認め、改善策を実施しつつ、直接テロに加担した者やその関連組織などを殲滅するための軍事作戦に出る事は止むを得ないと考える。問題は、双方の偏りのだと思う。
テロリストの方の偏りは、大国にへつらう自国政府や腐敗した政財界の癒着を攻撃しないで(たしかにサウジ王家はずっとこうした攻撃にさらされてきたが、テロリストたちはその矛先は変えるべきでなかったと思う)、その癒着先の大国の一般市民を攻撃するところだ。的外れとしかいいようがない。
テロリストを掃討せんとする大国側の偏りは、なにもかもをテロと関連付けて、各国内における民族自決権をも否定し掌握せんとするような対テロ戦争の解釈の独善的な拡大を行っていることにある。
これが、双方の言い分とする「目には目を」の具体化した動きであるならば、滑稽であるとしかいいようがない。両者とも的外れなのではないか?よって、俺の考え方は「目には目を」の考えに則ったテロリストたちの考え方は正当であると考えるが、何も良い結果を生まない無策であるということだ。以上
投稿者 etranger3_01 (29歳/男性/TOKYO)
日付 2002/ 6/10 16:10
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=bpjfa4lla5fa5m&sid=1143582&mid=143447
●指摘部分訳(全文はMSG#143436 )
また、米国は直接的にも間接的にも、イラク、パレスチナ自治領、アフガニスタン、スーダン、フィリピン、ボスニアおよびカシミールなどでも無数の人々の命を奪ってきたとし、「したがって我々には400万のアメリカ人の命を奪う権利がある。これは100万人の子供とその倍の数の大人を殺害し、数十万人を障害者にすることを意味する」と述べた。
「彼等(米国)がばら撒いた生物化学兵器によって異常な病気にもがき死んでいったムスリムのように彼等も苦しむよう、我々にも生物化学兵器を持って攻撃する権利がある」
●以下、コメント
たしかに、米国が生物化学兵器をこれらの国々でばら撒いたことが確かな事実なら、イスラム法の「目には目を」という考え(何故かアメリカでも自衛権行使の原則として受け入れられている)に基づいた報復は正当とされるべきだというロジックには納得がいく。
だが、彼らの敵であるアメリカをも虜にしているこの報復のロジックは、その考え方が正当であれ、結局は何も良い結果を残さない。むしろ報復の連鎖という悪循環を生み、また1つ終わりのない戦争を作り上げてしまっただけのように思える。どちらかが譲らなければ、報復の連鎖は止まらない。むろん、ここで難しいのは大国であるアメリカと、それに抵抗する集団であるテロリストたちの力関係で、どちらが譲るかだ。
テロリストたちの立場を理解しようと努める人々(敢えて「テロ擁護派」という蔑称は使わない)からすれば、テロは立場の弱い者が起こすのであるから、力の大きい方が譲るべきだという考えに落ち着くろう。対して、アメリカの正義に同調するのではなくテロで亡くなったアメリカの人々への同情からテロ組織の殲滅を是とする人々は(ここでも「親米派」だの「米追従派」だの「空爆賛成派」などの蔑称は使わない)、アメリカが仮にそうした悪行を各国で行っていたとしても、今回の報復作戦については別扱いにするべきだと考えるだろう。物事は単純ではなく、またそれぞれの人々の立場も単に2分割できるほど単純なものではないのだ。
ここで必要なのは第三者の目だろう。それは、どちらの立場にも立たなかったときに何が見えてくるかということだ。まだそこには到底到達していないが、俺自身の考え方としては、自国政府以外の勢力に対するテロを是とはせず、また他国の文民を無差別に殺戮する大量虐殺テロにも異を唱える。つまり、民族自決権の行使による政府転覆などは認めるべきであると思うが、他国に対する直接的な武力行使は認めないということ。そして、テロを起こさせるような原因(憎悪)を蓄積させた大国側の責任については、それを認識し、非を認め、改善策を実施しつつ、直接テロに加担した者やその関連組織などを殲滅するための軍事作戦に出る事は止むを得ないと考える。問題は、双方の偏りのだと思う。
テロリストの方の偏りは、大国にへつらう自国政府や腐敗した政財界の癒着を攻撃しないで(たしかにサウジ王家はずっとこうした攻撃にさらされてきたが、テロリストたちはその矛先は変えるべきでなかったと思う)、その癒着先の大国の一般市民を攻撃するところだ。的外れとしかいいようがない。
テロリストを掃討せんとする大国側の偏りは、なにもかもをテロと関連付けて、各国内における民族自決権をも否定し掌握せんとするような対テロ戦争の解釈の独善的な拡大を行っていることにある。
これが、双方の言い分とする「目には目を」の具体化した動きであるならば、滑稽であるとしかいいようがない。両者とも的外れなのではないか?よって、俺の考え方は「目には目を」の考えに則ったテロリストたちの考え方は正当であると考えるが、何も良い結果を生まない無策であるということだ。以上
これは メッセージ 164384 (etranger3_01 さん)への返信です.
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