パピヨンのテーマ Ⅵ
投稿者: theme_from_papillon 投稿日時: 2003/06/17 00:46 投稿番号: [157571 / 177456]
>>>生物の世界が多様なのは、生命を残すための保険のようなものであると言われている。
多様な生物がいれば、環境が激変しても、どれかが生き残る確率が高いからだ。
>>>人類の文化が多様なのも、人類が滅びないための保険のようなもの。
多様な文化という財産を大切にしたいもの。
>>人類の文化はどうかな。
人類は、その多様性を楽しみながら消費していくという側面がある。
それを消費しつくした頃は別の楽しみが生まれているのだが。
>支配的な文化で画一化して、他の文化を完全に潰してしまうのは
良くないということを言いたいのだ。
>他の特色ある文化の、自由な発展も可能な限り保証してあげたいね。
その方が、人類の知と文化の内容が豊富になるし、びっくりするような
発見や発明につながるチャンスが拡がるのではないかと予想するのだが…。
そんなに、賛成の得られない考え方だろうかな…?
おんや?
当たり前のことを言ったつもりだったが、ああ言っても通じなかったということは・・・なるほど。
まず、事実を明らかにしよう。
君が言うように、「生物の種が多様なのは生物が滅びないための保険」という説は、否定はできないかもしれん。
ついでにこれについても触れておこう。
例えば、男女が交際するとき、趣味は同じである方がよいだろうが、自分と全く違うタイプの異性に惹かれる
傾向があるが、それは免疫機能など、自分が持っていないものを子孫に獲得させる意味もある。
自分と異なるタイプを好む側面は、血縁の濃いもの同士の間に生まれる子より、血が離れていた方が新しいもの
を獲得できる可能性が高いということもあろうし、有利な突然変異が起きやすく、進化を促すということからくる
ものかもしれない。もちろん、子孫のためだけのために相手を選ぶわけではないから、似たもの同士
のほうが人生楽しいという人もいるだろう。だが、生物学的には同じ部落の者より他の部落の者に異性を
感じるようにできている。これは個人のレベルで見れば多様性を求めているようにも見えるがその種全体としては
多様性が減少することを意味する。
しかし、以上は同じ種の中で言えることである。
特定の種の遺伝子に種の保存に有利になるような機能が組み込まれているのは間違いないだろう。
生物は異種間では食物連鎖の中に組み込まれているが、特定の種の遺伝子に、生物全体の保存のための
機能が組み込まれているというのは、一応、疑ってみる必要がある。
生物が異種間で激烈な生存競争を繰り広げている事実からして、生物が同種、異種を問わず、生物そのものの
保存のために種の多様性を要求するのであれば、その要求は全く異なる次元から発せられるものであろう。
生物の種の多様性は確かに拡大していく傾向があるようだ。これは、生物の多様性は生物の保存のため
であるという説を補強こそすれ、矛盾するものではないことは認めよう。
しかし、人類文化の多様性はどうか?
例えば、日本だけに限っても、昔は地方によって様々な文化の違いがあり、それに風情を感じたもの
だったが、今は方言にしろ、様々な地方の特色というものは薄れている。
世界には、まだまだ、多様な文化があるが、それらは確実に影響しあって、多様性は減少傾向にある。
多様性が好ましいのは誰にとっても、同じことだが、その好ましいと思う心理が多様性を減少させる。
例えば、異国情緒を求めて旅行をしすれば、土地の人はその人の文化の端くれみたいなものを感じ取る
だろうし、旅行者も国に帰れば、土産やら、向こうの文化を多少なりとも持ち帰るわけだ。
外国人を友人に持ったり、好きになって結婚すれば互いの文化は多少なりとも融けあうだろう。
言わば、我々は多様性を楽しみながら消費しているわけだ。
従って、多様性が種の保存のためならば、その多様性を減少させるというのは、明らかに矛盾なのである。
私だって多様性があるのは好きだ。日本の文化が外国文化に染まっていくのはあまり好ましいとは
思わない。
食い物でもそうだ。
さっき、ワシは新鮮な鰯を買ってきて、塩焼きにし、帰りがけに漬物屋で買ってきた緑の多い
白菜のおしんこと味噌汁で、炊き立てのごはんを食べた。これがウメーのなんのって、外国じゃ
何万円出しても食えんだろうと思う。
君は自分の理想が現実であるべきだという意識が強すぎるのではないか?
私はこうあるべきだという話をしてるのではなく、現実はこうなのだと言ってるのだよ。
国際問題にしてもね。
多様な生物がいれば、環境が激変しても、どれかが生き残る確率が高いからだ。
>>>人類の文化が多様なのも、人類が滅びないための保険のようなもの。
多様な文化という財産を大切にしたいもの。
>>人類の文化はどうかな。
人類は、その多様性を楽しみながら消費していくという側面がある。
それを消費しつくした頃は別の楽しみが生まれているのだが。
>支配的な文化で画一化して、他の文化を完全に潰してしまうのは
良くないということを言いたいのだ。
>他の特色ある文化の、自由な発展も可能な限り保証してあげたいね。
その方が、人類の知と文化の内容が豊富になるし、びっくりするような
発見や発明につながるチャンスが拡がるのではないかと予想するのだが…。
そんなに、賛成の得られない考え方だろうかな…?
おんや?
当たり前のことを言ったつもりだったが、ああ言っても通じなかったということは・・・なるほど。
まず、事実を明らかにしよう。
君が言うように、「生物の種が多様なのは生物が滅びないための保険」という説は、否定はできないかもしれん。
ついでにこれについても触れておこう。
例えば、男女が交際するとき、趣味は同じである方がよいだろうが、自分と全く違うタイプの異性に惹かれる
傾向があるが、それは免疫機能など、自分が持っていないものを子孫に獲得させる意味もある。
自分と異なるタイプを好む側面は、血縁の濃いもの同士の間に生まれる子より、血が離れていた方が新しいもの
を獲得できる可能性が高いということもあろうし、有利な突然変異が起きやすく、進化を促すということからくる
ものかもしれない。もちろん、子孫のためだけのために相手を選ぶわけではないから、似たもの同士
のほうが人生楽しいという人もいるだろう。だが、生物学的には同じ部落の者より他の部落の者に異性を
感じるようにできている。これは個人のレベルで見れば多様性を求めているようにも見えるがその種全体としては
多様性が減少することを意味する。
しかし、以上は同じ種の中で言えることである。
特定の種の遺伝子に種の保存に有利になるような機能が組み込まれているのは間違いないだろう。
生物は異種間では食物連鎖の中に組み込まれているが、特定の種の遺伝子に、生物全体の保存のための
機能が組み込まれているというのは、一応、疑ってみる必要がある。
生物が異種間で激烈な生存競争を繰り広げている事実からして、生物が同種、異種を問わず、生物そのものの
保存のために種の多様性を要求するのであれば、その要求は全く異なる次元から発せられるものであろう。
生物の種の多様性は確かに拡大していく傾向があるようだ。これは、生物の多様性は生物の保存のため
であるという説を補強こそすれ、矛盾するものではないことは認めよう。
しかし、人類文化の多様性はどうか?
例えば、日本だけに限っても、昔は地方によって様々な文化の違いがあり、それに風情を感じたもの
だったが、今は方言にしろ、様々な地方の特色というものは薄れている。
世界には、まだまだ、多様な文化があるが、それらは確実に影響しあって、多様性は減少傾向にある。
多様性が好ましいのは誰にとっても、同じことだが、その好ましいと思う心理が多様性を減少させる。
例えば、異国情緒を求めて旅行をしすれば、土地の人はその人の文化の端くれみたいなものを感じ取る
だろうし、旅行者も国に帰れば、土産やら、向こうの文化を多少なりとも持ち帰るわけだ。
外国人を友人に持ったり、好きになって結婚すれば互いの文化は多少なりとも融けあうだろう。
言わば、我々は多様性を楽しみながら消費しているわけだ。
従って、多様性が種の保存のためならば、その多様性を減少させるというのは、明らかに矛盾なのである。
私だって多様性があるのは好きだ。日本の文化が外国文化に染まっていくのはあまり好ましいとは
思わない。
食い物でもそうだ。
さっき、ワシは新鮮な鰯を買ってきて、塩焼きにし、帰りがけに漬物屋で買ってきた緑の多い
白菜のおしんこと味噌汁で、炊き立てのごはんを食べた。これがウメーのなんのって、外国じゃ
何万円出しても食えんだろうと思う。
君は自分の理想が現実であるべきだという意識が強すぎるのではないか?
私はこうあるべきだという話をしてるのではなく、現実はこうなのだと言ってるのだよ。
国際問題にしてもね。
これは メッセージ 157514 (light_cavalryman さん)への返信です.
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