サダム・フセインが雇った外国人
投稿者: arisugawahiro_0 投稿日時: 2003/05/16 23:19 投稿番号: [156901 / 177456]
ワシントンタイムズより
サダム・フセインはイラクの指導者として、残虐であったと記録されてはいるが、同政権は、特に国際社会の制裁に関係するホットボタン・イシュー(激論を引き起こす恐れのある問題)で、好意的な海外メディアの取材を獲得することにしばしば成功している。一日一日と日を経るに従って、イラク政府がいかに海外のメディアや政治家をプロパガンダの手段として利用したかを示す多くの情報が表に出てきている。最も広く公にされた話は、ジョージ・ギャロウェーの件で、ロンドン・デーリー・テレグラフ紙によって先週、イラク外務省で発見された手紙によると、この人物は、イラク側に立ってプロパガンダを行うために1000万ドル以上受け取っていた左翼の英国の下院議員であった。これは、サダム政権がいかに同政権のメッセージを欧州やアラブ世界に行き渡らせるのに成功していたかを物語る一例にすぎない。
欧州やアラブ世界の政治家や記者がサダムの誘惑に弱かったということは、経験豊富なオブザーバーにとっては、別に大した驚きではない。外国の政権からカネを受け取ることは、ことわざで言う死の接吻(せっぷん)に等しいものになる米国の報道関係者と違って、海外のメディア関係者は、長年、金銭のやり取りが続いている間は、喜んで見て見ぬふりをしてきている。それでも、サダムが疑いの余地なく、海外の世論を操作していたことが暴露され続けたら、大抵の人が真実を知るようになるだろう。
1979年に政権を掌握するや否や、サダムはその政権を支えるために、ジャーナリスト、実業家、政治家、そして、外交官に対して、猛烈なわいろ作戦を開始した。1980−88年のイラン・イラク戦争の間中、サダムは支援と引き換えにアラブの指導者らに惜しみなく贈り物をした。1990年8月のサダムによるクウェート侵攻の直前、サダムはエジプトやヨルダンのトップレベルの編集者らに向けて、100台のメルセデスの新車を船で送った。1991年の湾岸戦争後も、このやり方は、続いた。サダムは、国際社会の制裁を緩める努力を続けたからである。戦後の支払いの一部は、「ずばり現金で、しかも、多くの場合米ドルで、アラブ諸国の首都にあるイラク大使館から手渡された」と、スティーブン・F・ヘイズ氏は週刊スタンダードに書いている。「ほかの取引は−のどから手が出るほど欲しい輸出許可証を政治家の親族に与える、第三者を通じて石油取引のキックバックをする、手の込んだ『奨学金』制度を利用するなど−秘密裏に行われたり、あるいは、用心して複雑になったりした」と同氏は言う。
サダムのカネは、また、うまく米国にも入りおおせたかもしれないと、ヘイズ氏は報告する。独裁者の1人の著名な米国人の友人は、デトロイト出身のイラク系米国人実業家のシャキル・アルカファジ氏で、バグダッドで2年ごとに開かれていたイラク政府後援の「国外在住者会議」の会長をしていた。2000年会議の説明書によると、アルカファジ氏と、当時のタリク・アジズ外相は、制裁について毒舌を吐いたという。公的な会議のウェブ・サイトは、米国はイラクで「テロとジェノサイド(集団殺害)」を行っていると非難した。イラク政府は、国外にいる人々に会議に出席させるために、旅費に補助金を支給した。(過去10年間にサダムと7000万ドル近くの取引をした南アフリカで設立された貿易会社を経営している)アルカファジ氏は、査察の過程で米政府が果たした役割を激しく非難する映画を製作する費用として、元兵器査察官のスコット・リッター氏に40万ドル渡し、昨年は、対イラク制裁に批判的なジム・マクダマット下院議員と他に2人の民主党下院議員を連れて行った。米国に戻るや否や、マクダマット氏は、ブッシュ大統領は、この国をイラク戦争に突入させるために「米国民にうそをつく」だろうと、断言した。その中傷的言葉を吐いてから、1カ月とたたないうちに、マクダマット氏は、自分の法的弁護資金としてアルカファジ氏から5000ドル受け取った。
サダムの権力の座からの失脚に引き続いて、私たちは、この国の誰が彼からカネをもらい、イラク政府が見返りに何を期待していたかということをますます多く知ることになる可能性がある。イラク政府からのカネに関する情報がより多く出てくるにつれて、西側諸国の多くの人間が、多くの眠れぬ夜の苦しみを味わうであろう。
(5月2日付)
サダム・フセインはイラクの指導者として、残虐であったと記録されてはいるが、同政権は、特に国際社会の制裁に関係するホットボタン・イシュー(激論を引き起こす恐れのある問題)で、好意的な海外メディアの取材を獲得することにしばしば成功している。一日一日と日を経るに従って、イラク政府がいかに海外のメディアや政治家をプロパガンダの手段として利用したかを示す多くの情報が表に出てきている。最も広く公にされた話は、ジョージ・ギャロウェーの件で、ロンドン・デーリー・テレグラフ紙によって先週、イラク外務省で発見された手紙によると、この人物は、イラク側に立ってプロパガンダを行うために1000万ドル以上受け取っていた左翼の英国の下院議員であった。これは、サダム政権がいかに同政権のメッセージを欧州やアラブ世界に行き渡らせるのに成功していたかを物語る一例にすぎない。
欧州やアラブ世界の政治家や記者がサダムの誘惑に弱かったということは、経験豊富なオブザーバーにとっては、別に大した驚きではない。外国の政権からカネを受け取ることは、ことわざで言う死の接吻(せっぷん)に等しいものになる米国の報道関係者と違って、海外のメディア関係者は、長年、金銭のやり取りが続いている間は、喜んで見て見ぬふりをしてきている。それでも、サダムが疑いの余地なく、海外の世論を操作していたことが暴露され続けたら、大抵の人が真実を知るようになるだろう。
1979年に政権を掌握するや否や、サダムはその政権を支えるために、ジャーナリスト、実業家、政治家、そして、外交官に対して、猛烈なわいろ作戦を開始した。1980−88年のイラン・イラク戦争の間中、サダムは支援と引き換えにアラブの指導者らに惜しみなく贈り物をした。1990年8月のサダムによるクウェート侵攻の直前、サダムはエジプトやヨルダンのトップレベルの編集者らに向けて、100台のメルセデスの新車を船で送った。1991年の湾岸戦争後も、このやり方は、続いた。サダムは、国際社会の制裁を緩める努力を続けたからである。戦後の支払いの一部は、「ずばり現金で、しかも、多くの場合米ドルで、アラブ諸国の首都にあるイラク大使館から手渡された」と、スティーブン・F・ヘイズ氏は週刊スタンダードに書いている。「ほかの取引は−のどから手が出るほど欲しい輸出許可証を政治家の親族に与える、第三者を通じて石油取引のキックバックをする、手の込んだ『奨学金』制度を利用するなど−秘密裏に行われたり、あるいは、用心して複雑になったりした」と同氏は言う。
サダムのカネは、また、うまく米国にも入りおおせたかもしれないと、ヘイズ氏は報告する。独裁者の1人の著名な米国人の友人は、デトロイト出身のイラク系米国人実業家のシャキル・アルカファジ氏で、バグダッドで2年ごとに開かれていたイラク政府後援の「国外在住者会議」の会長をしていた。2000年会議の説明書によると、アルカファジ氏と、当時のタリク・アジズ外相は、制裁について毒舌を吐いたという。公的な会議のウェブ・サイトは、米国はイラクで「テロとジェノサイド(集団殺害)」を行っていると非難した。イラク政府は、国外にいる人々に会議に出席させるために、旅費に補助金を支給した。(過去10年間にサダムと7000万ドル近くの取引をした南アフリカで設立された貿易会社を経営している)アルカファジ氏は、査察の過程で米政府が果たした役割を激しく非難する映画を製作する費用として、元兵器査察官のスコット・リッター氏に40万ドル渡し、昨年は、対イラク制裁に批判的なジム・マクダマット下院議員と他に2人の民主党下院議員を連れて行った。米国に戻るや否や、マクダマット氏は、ブッシュ大統領は、この国をイラク戦争に突入させるために「米国民にうそをつく」だろうと、断言した。その中傷的言葉を吐いてから、1カ月とたたないうちに、マクダマット氏は、自分の法的弁護資金としてアルカファジ氏から5000ドル受け取った。
サダムの権力の座からの失脚に引き続いて、私たちは、この国の誰が彼からカネをもらい、イラク政府が見返りに何を期待していたかということをますます多く知ることになる可能性がある。イラク政府からのカネに関する情報がより多く出てくるにつれて、西側諸国の多くの人間が、多くの眠れぬ夜の苦しみを味わうであろう。
(5月2日付)
これは メッセージ 156900 (arisugawahiro_0 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/bpjfa4lla5fa5m_1/156901.html