中国新総書記の背後霊・・・
投稿者: yumeneko2000 投稿日時: 2003/04/13 17:04 投稿番号: [155641 / 177456]
Voice 5月号
深田
裕介(作家)から
周知のごとく中国の指導部が一新されたが、日本のマスコミは
総じて「好意的」といってよかろう。
総書記の胡錦濤(中国名フー・チンタオ)だが、江沢民に至るまでの
指導者たちの着用した中山服の残像の強い反動で、背広を着て
ネクタイを締めているという事実だけで好感を抱かれイメージが増幅、
「堅実な超エリート」などと書くのだから、日本は能天気な国だ。
一見、米国でMBAを取りウォール街を闊歩する男たちと変わらないものだから、
日本人も米国人も西欧流の良識人登場という印象を抱いたのは事実だろう。
しかし若干でも中国事情に通じている人間は、彼の経歴を注視すると
黒雲のごとき疑惑が群れ立ってくるのは抑えようがない。
しかもその殆んどが事実なのだ。
実情を知ってか知らずか、新聞によっては今度の胡の総書記就任は
「ラサ鎮圧をステップに」とはっきり書いているところもある。
つまり、ラサ鎮圧とは、1988年チベット自治区で、チベット独立をめざす
デモが相次いで起こり、チベット自治区には戒厳令が敷かれ、
鎮圧部隊が出動、武力で抑え込んだ。
これは海外、特に米国では激しい批判を浴び、チベット独立と
それに対する武力鎮圧を描いた映画が何本も作られた。
そもそも中国によるチベット迫害と併合の歴史は惨澹たるもので、
血のにおいに満ちている。
戦後の1947年、毛沢東は一度はチベット独立を口にするが、
その後チベット領有に方針を変える。
このチベット侵略は周到に準備されたもので、
中国人民軍の若手兵士にまず高地訓練を施した。
チベットは国の平均高度が4000メートルという高地国家で、
空気が希薄、酸素ボトル必携の土地柄だから、高地訓練を経ていないと
殆んど運動能力を失ってしまう。そこで、高度1000メートル、
2000メートルと次第に高度を上げて兵士の運動能力を養成、
高地での戦闘可能な状態に達したところでいきなりチベット侵略を開始した。
一方チベット民族は高地適応力を備えているものの、
そもそもラマ教に対する帰依の念が強く「人と争う」ことなど
思いもよらず、戦闘、格闘に類する能力を殆んどもたないし、
育てる気持ちもなかった。
アジアのバチカンというあたりがいちばん適切な形容になるのではなかろうか。
この侵略によりチベットは約120万人の犠牲者を出した。
1988年3月5日、カンデン僧院の僧侶5人が、大僧院ツクラカンの
大祈祷法令の最終日、先頭を切って、寺院の高台に上り
「チベットに自由を!中国人は中国に帰れ!ダライ・ラマに長寿を」
と叫び直ちに捕縛され、デモの群衆は電気棒と催涙弾で蹴散らされる。
この1988年の大民主化独立運動が北京中央政府にショックを与え、
急遽チベットに派遣されたのが、フーチンタオつまり胡錦騰濤なのだ。
事実、チベット着任後の胡は独立運動参加者やラマ教信者に対する取締りを強化、
終身刑などの刑罰を厳しくし、ろくに食料も与えず飢餓状態に置き、
取り調べでは殴られ討たれたりしたという。
またパンチェン・ラマの死に関与した、という噂ももっぱらだ。
(チベット政府のあるダラムサラに逃れた僧侶の証言)
亡命チベット人の証言によって浮かび上がってくるタイプは、
決して温厚なMBA取得者ではない。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1006701&tid=a3na3ea3c&sid=1006701&mid=14694
周知のごとく中国の指導部が一新されたが、日本のマスコミは
総じて「好意的」といってよかろう。
総書記の胡錦濤(中国名フー・チンタオ)だが、江沢民に至るまでの
指導者たちの着用した中山服の残像の強い反動で、背広を着て
ネクタイを締めているという事実だけで好感を抱かれイメージが増幅、
「堅実な超エリート」などと書くのだから、日本は能天気な国だ。
一見、米国でMBAを取りウォール街を闊歩する男たちと変わらないものだから、
日本人も米国人も西欧流の良識人登場という印象を抱いたのは事実だろう。
しかし若干でも中国事情に通じている人間は、彼の経歴を注視すると
黒雲のごとき疑惑が群れ立ってくるのは抑えようがない。
しかもその殆んどが事実なのだ。
実情を知ってか知らずか、新聞によっては今度の胡の総書記就任は
「ラサ鎮圧をステップに」とはっきり書いているところもある。
つまり、ラサ鎮圧とは、1988年チベット自治区で、チベット独立をめざす
デモが相次いで起こり、チベット自治区には戒厳令が敷かれ、
鎮圧部隊が出動、武力で抑え込んだ。
これは海外、特に米国では激しい批判を浴び、チベット独立と
それに対する武力鎮圧を描いた映画が何本も作られた。
そもそも中国によるチベット迫害と併合の歴史は惨澹たるもので、
血のにおいに満ちている。
戦後の1947年、毛沢東は一度はチベット独立を口にするが、
その後チベット領有に方針を変える。
このチベット侵略は周到に準備されたもので、
中国人民軍の若手兵士にまず高地訓練を施した。
チベットは国の平均高度が4000メートルという高地国家で、
空気が希薄、酸素ボトル必携の土地柄だから、高地訓練を経ていないと
殆んど運動能力を失ってしまう。そこで、高度1000メートル、
2000メートルと次第に高度を上げて兵士の運動能力を養成、
高地での戦闘可能な状態に達したところでいきなりチベット侵略を開始した。
一方チベット民族は高地適応力を備えているものの、
そもそもラマ教に対する帰依の念が強く「人と争う」ことなど
思いもよらず、戦闘、格闘に類する能力を殆んどもたないし、
育てる気持ちもなかった。
アジアのバチカンというあたりがいちばん適切な形容になるのではなかろうか。
この侵略によりチベットは約120万人の犠牲者を出した。
1988年3月5日、カンデン僧院の僧侶5人が、大僧院ツクラカンの
大祈祷法令の最終日、先頭を切って、寺院の高台に上り
「チベットに自由を!中国人は中国に帰れ!ダライ・ラマに長寿を」
と叫び直ちに捕縛され、デモの群衆は電気棒と催涙弾で蹴散らされる。
この1988年の大民主化独立運動が北京中央政府にショックを与え、
急遽チベットに派遣されたのが、フーチンタオつまり胡錦騰濤なのだ。
事実、チベット着任後の胡は独立運動参加者やラマ教信者に対する取締りを強化、
終身刑などの刑罰を厳しくし、ろくに食料も与えず飢餓状態に置き、
取り調べでは殴られ討たれたりしたという。
またパンチェン・ラマの死に関与した、という噂ももっぱらだ。
(チベット政府のあるダラムサラに逃れた僧侶の証言)
亡命チベット人の証言によって浮かび上がってくるタイプは、
決して温厚なMBA取得者ではない。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1006701&tid=a3na3ea3c&sid=1006701&mid=14694
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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