行き行きて神軍のような
投稿者: arisugawahiro_0 投稿日時: 2003/03/02 00:30 投稿番号: [153200 / 177456]
http://go.jp.msn.com/journal.asp?g=52024609&t=journal.msn.co.jp/articles/nartist2.asp%3Fw=253376
辛口映画評】第六十回「ボウリング・フォー・コロンバイン」マイケル・ムーア監督の巻
2003年1月31日
小林 千枝子
映画は芸術であると同時に、社会や文化の「現在」を映す鏡でもあります。「辛口映画評」では、映画ライターであり翻訳家でもある小林千枝子さんに、歯に衣着せぬ、「斬り捨て御免」の論評を展開していただき、社会と映画のつながりについて考えていきたいと思います。もちろん映画の見方は100人いれば100様あるもの。小林さんやMSNジャーナル編集部と違う意見もあって当然です。百家争鳴、読者の意見も大歓迎。活発な討論の場にもしていきたいと思います。
ハロウィーンの夜、「フリーズ!」という言葉が理解できなかった日本人留学生がアメリカで射殺された。
日本人にはただでさえショックな事件だったのに、もっと心が打ちのめされたのは、留学生の命を奪った人間が裁判で無罪になったとき、周辺住民が「アメリカの正義は守られた」とばかり、子供のようにはしゃいで喜んでいる姿を見たときだった
そんなの、ありか? 外国人には、とうてい受け入れがたい光景だ。
いや、アメリカ人にも「どっかヘンだぞ、この銃社会」と思う人間が、少なくとも1人いる。故郷の町の自動車メーカー(GM)が工場閉鎖した際に、ストーカーのように社長を追いかけ回し、それを『ロジャー・アンド・ミー』という映画にしてしまったマイケル・ムーアだ。
『ボウリング・フォー・コロンバイン』は、13人の死者と多数の負傷者を出したコロラド州コロンバイン高校の乱射事件をきっかけに、ムーアが製作したドキュメンタリー。
犯人の高校生2人が事件を起こす朝にボウリングをしていたことから、こんなタイトルになっている。
『ロジャー…』と同じく、ここでもムーアの武器は笑いだ。
ジャンクフードでできあがったような体型の汚いおじさんのムーアは、銃社会に疑問さえもたない人々から滑稽としかいいようのない言葉を引き出し、私たちを引きつり笑いさせる。
この国にはなぜ、銃犯罪が多いのか?
ムーアは武器メーカー、連邦政府ビル爆破事件の関係者、一般人など、さまざまな人々への取材によってこの問題を解こうとする。
暴力を誘発するといわれる過激な映画やロック、コミック、ゲームは外国にもある。血塗られた歴史(つまり国民の残虐性)なら、ドイツや日本などがやった戦争を見ればいい。
要するに答えはシンプル、約2・3億丁もの銃が氾濫して簡単に手に入るからじゃないか。
ところが、これがちょっとちがう。
実はカナダのほうが、アメリカよりも銃の保有率が高いのに、年間の銃による犠牲者は10分の1以下なのだ。
一体なぜか、とカナダに出かけたムーアが目にしたのは、銃があってものんびりした社会。
外出するときに家のカギをかけないと言う人が多く、いくらなんでも大都市ではそれはないだろうと思ったムーアは、トロントで住宅のドアのノブを次々に回していく。なんと、次々に開くのだ。ある家からは「アイ・ラブ・ニューヨーク」のTシャツを着たおやじが出てきて、「おう、なんだい?」。
「すみません。ぼくを撃たなくてありがとうございます」とムーア。
こんな笑いの場面を数多くちりばめながら、ムーアは、アメリカの銃社会は恐怖・敵意が生み出したものと鮮やかに結論する。
「やられるんじゃないか」という異常なほどの恐怖心だ。
これは、何かというと他国に介入し、結果として独裁者やサダム・フセイン、ウサマ・ビンラディンをつくり出してしまったアメリカの歴史に重なる。
しかも、恐怖は消費としっかり結びついている。
これを見事に言葉にしたのは、意外にもグロテスクなパフォーマンスで知られるマリリン・マンソンだ(コロンバイン高校の事件では、犯人たちがファンだったことから激しく非難された)。
いわく「メディアは恐怖をあおりたて、消費に走らせる。
口が臭いと女の子とやれないぞと脅して、口臭防止剤を売りつける。
人を銃に向かわせるのも、こうした恐怖だ」。
また、乱射後に自殺した犯人たちがもし生きていたら、言いたいことはあるかと聞かれると、「何も言わない。彼らの言うことに耳を傾ける。
誰も彼らにしなかったことだ」とも言う。死や暴力を歌うマンソンが、この映画の登場人物のなかで最も高いレベルの知性と教養の持ち主と思わせるこのシーンは、なんとも皮肉だ。
辛口映画評】第六十回「ボウリング・フォー・コロンバイン」マイケル・ムーア監督の巻
2003年1月31日
小林 千枝子
映画は芸術であると同時に、社会や文化の「現在」を映す鏡でもあります。「辛口映画評」では、映画ライターであり翻訳家でもある小林千枝子さんに、歯に衣着せぬ、「斬り捨て御免」の論評を展開していただき、社会と映画のつながりについて考えていきたいと思います。もちろん映画の見方は100人いれば100様あるもの。小林さんやMSNジャーナル編集部と違う意見もあって当然です。百家争鳴、読者の意見も大歓迎。活発な討論の場にもしていきたいと思います。
ハロウィーンの夜、「フリーズ!」という言葉が理解できなかった日本人留学生がアメリカで射殺された。
日本人にはただでさえショックな事件だったのに、もっと心が打ちのめされたのは、留学生の命を奪った人間が裁判で無罪になったとき、周辺住民が「アメリカの正義は守られた」とばかり、子供のようにはしゃいで喜んでいる姿を見たときだった
そんなの、ありか? 外国人には、とうてい受け入れがたい光景だ。
いや、アメリカ人にも「どっかヘンだぞ、この銃社会」と思う人間が、少なくとも1人いる。故郷の町の自動車メーカー(GM)が工場閉鎖した際に、ストーカーのように社長を追いかけ回し、それを『ロジャー・アンド・ミー』という映画にしてしまったマイケル・ムーアだ。
『ボウリング・フォー・コロンバイン』は、13人の死者と多数の負傷者を出したコロラド州コロンバイン高校の乱射事件をきっかけに、ムーアが製作したドキュメンタリー。
犯人の高校生2人が事件を起こす朝にボウリングをしていたことから、こんなタイトルになっている。
『ロジャー…』と同じく、ここでもムーアの武器は笑いだ。
ジャンクフードでできあがったような体型の汚いおじさんのムーアは、銃社会に疑問さえもたない人々から滑稽としかいいようのない言葉を引き出し、私たちを引きつり笑いさせる。
この国にはなぜ、銃犯罪が多いのか?
ムーアは武器メーカー、連邦政府ビル爆破事件の関係者、一般人など、さまざまな人々への取材によってこの問題を解こうとする。
暴力を誘発するといわれる過激な映画やロック、コミック、ゲームは外国にもある。血塗られた歴史(つまり国民の残虐性)なら、ドイツや日本などがやった戦争を見ればいい。
要するに答えはシンプル、約2・3億丁もの銃が氾濫して簡単に手に入るからじゃないか。
ところが、これがちょっとちがう。
実はカナダのほうが、アメリカよりも銃の保有率が高いのに、年間の銃による犠牲者は10分の1以下なのだ。
一体なぜか、とカナダに出かけたムーアが目にしたのは、銃があってものんびりした社会。
外出するときに家のカギをかけないと言う人が多く、いくらなんでも大都市ではそれはないだろうと思ったムーアは、トロントで住宅のドアのノブを次々に回していく。なんと、次々に開くのだ。ある家からは「アイ・ラブ・ニューヨーク」のTシャツを着たおやじが出てきて、「おう、なんだい?」。
「すみません。ぼくを撃たなくてありがとうございます」とムーア。
こんな笑いの場面を数多くちりばめながら、ムーアは、アメリカの銃社会は恐怖・敵意が生み出したものと鮮やかに結論する。
「やられるんじゃないか」という異常なほどの恐怖心だ。
これは、何かというと他国に介入し、結果として独裁者やサダム・フセイン、ウサマ・ビンラディンをつくり出してしまったアメリカの歴史に重なる。
しかも、恐怖は消費としっかり結びついている。
これを見事に言葉にしたのは、意外にもグロテスクなパフォーマンスで知られるマリリン・マンソンだ(コロンバイン高校の事件では、犯人たちがファンだったことから激しく非難された)。
いわく「メディアは恐怖をあおりたて、消費に走らせる。
口が臭いと女の子とやれないぞと脅して、口臭防止剤を売りつける。
人を銃に向かわせるのも、こうした恐怖だ」。
また、乱射後に自殺した犯人たちがもし生きていたら、言いたいことはあるかと聞かれると、「何も言わない。彼らの言うことに耳を傾ける。
誰も彼らにしなかったことだ」とも言う。死や暴力を歌うマンソンが、この映画の登場人物のなかで最も高いレベルの知性と教養の持ち主と思わせるこのシーンは、なんとも皮肉だ。
これは メッセージ 153195 (arisugawahiro_0 さん)への返信です.
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