■イラク現地報告...5
投稿者: chottomato3 投稿日時: 2003/02/12 21:57 投稿番号: [152315 / 177456]
【
徹底した非暴力の文化を創ろう
】
――私たちに何ができるのでしょうか。
★私たちの側が「徹底した非暴力の文化」をはぐくんでいくことだと思う。私も20歳そこらではないわけで、学内で殴り合いをやったりとか、そういう内ゲバの現実を見てきてしまった。そうしたことの蓄積の結果、政治というものは暴力であると人々が思ってしまっている。だから「怖い」となる。
平和という言葉と、暴力反対という言葉がこんなに乖離している国は、多分ないと思います。「平和はいいですね」とは言っても、暴力反対とは絶対に言わない人たちがいます。でもそれでは、日本で広範な反戦運動を再建することは難しいし、反テロ法であれ有事法制であれ戦争に向けた流れを阻むことはできないでしょう。いまこそ私たちは大きな声で「非暴力」と言わなければならない。
とりわけ中東の問題に関しては、あまりにも歪んだことが公然と語られています。「相次ぐ自爆テロ。やむにやまれぬ決起」なんて主張する人々もいます。やむにやまれぬことだったら、何をしてもいいんですか。ニューヨークで9・11をやった連中だって、自分の命を投げ出しているんだから、やむにやまれぬ気持ちでやったんだと思いますよ。でもその結果、多くの一般市民が殺されてしまった。やむにやまれぬ決起だから9・11を「良い」と言うのか。口では戦争反対と言いながら、未だにそんなことを主張している人たちがいるんです。
人殺しが最大の暴力だとすれば、私はそれを世界中でいっぱい見てきました。もうたくさんです。「やむにやまれぬ自爆テロ」なんて冗談じゃありません。いっぱい市民が死んでいるんですよ。ところが「武装闘争」だとかなんとか、自分たちの過去があるために自爆テロも否定できない。否定すると自分たちの存在意義がなくなると誤解している。かつてそうだったとしてもマイナス面は反省すればいいだけの話ではないですか。
ところで「非暴力」というと中には勘違いする人もいる。非暴力というと「何もしないこと」だと勘違いする。非暴力というのは非暴力直接行動のことです。直接行動というのは、集会やデモをしたりするだけではありません。ブッシュや小泉に手紙やメールを送っている人たちもいます。一日に100万通ずつメールが来たら、彼らとしても聞かざるをえないだろう。
直接、戦場に出かけていって戦争をやめさせようという運動もあり、非暴力国際平和隊という組織もあります。本当に戦争になるんだというとき、例えば今イラクのバグダッドに日本人が2000人いたら米軍も爆弾を落とすのはためらうでしょう。
実際イスラエル軍占領下のパレスチナでは、日本からも女性が参加して、「人間の盾」となって戦争をやめさせようとした人たちがいました。少なくともその人たちは目の前の子供たちを殺させませんでした。おそらく長い時間がかかっても、非暴力によってしか問題は解決しないと思います。非暴力で、「撃つな」と兵士たちに声をからして訴えている人たちは、未来を紡ごうとしているんじゃないでしょうか。非暴力の「小さな流れ」はやがて大きな奔流になっていくに違いない。
――私たちに何ができるのでしょうか。
★私たちの側が「徹底した非暴力の文化」をはぐくんでいくことだと思う。私も20歳そこらではないわけで、学内で殴り合いをやったりとか、そういう内ゲバの現実を見てきてしまった。そうしたことの蓄積の結果、政治というものは暴力であると人々が思ってしまっている。だから「怖い」となる。
平和という言葉と、暴力反対という言葉がこんなに乖離している国は、多分ないと思います。「平和はいいですね」とは言っても、暴力反対とは絶対に言わない人たちがいます。でもそれでは、日本で広範な反戦運動を再建することは難しいし、反テロ法であれ有事法制であれ戦争に向けた流れを阻むことはできないでしょう。いまこそ私たちは大きな声で「非暴力」と言わなければならない。
とりわけ中東の問題に関しては、あまりにも歪んだことが公然と語られています。「相次ぐ自爆テロ。やむにやまれぬ決起」なんて主張する人々もいます。やむにやまれぬことだったら、何をしてもいいんですか。ニューヨークで9・11をやった連中だって、自分の命を投げ出しているんだから、やむにやまれぬ気持ちでやったんだと思いますよ。でもその結果、多くの一般市民が殺されてしまった。やむにやまれぬ決起だから9・11を「良い」と言うのか。口では戦争反対と言いながら、未だにそんなことを主張している人たちがいるんです。
人殺しが最大の暴力だとすれば、私はそれを世界中でいっぱい見てきました。もうたくさんです。「やむにやまれぬ自爆テロ」なんて冗談じゃありません。いっぱい市民が死んでいるんですよ。ところが「武装闘争」だとかなんとか、自分たちの過去があるために自爆テロも否定できない。否定すると自分たちの存在意義がなくなると誤解している。かつてそうだったとしてもマイナス面は反省すればいいだけの話ではないですか。
ところで「非暴力」というと中には勘違いする人もいる。非暴力というと「何もしないこと」だと勘違いする。非暴力というのは非暴力直接行動のことです。直接行動というのは、集会やデモをしたりするだけではありません。ブッシュや小泉に手紙やメールを送っている人たちもいます。一日に100万通ずつメールが来たら、彼らとしても聞かざるをえないだろう。
直接、戦場に出かけていって戦争をやめさせようという運動もあり、非暴力国際平和隊という組織もあります。本当に戦争になるんだというとき、例えば今イラクのバグダッドに日本人が2000人いたら米軍も爆弾を落とすのはためらうでしょう。
実際イスラエル軍占領下のパレスチナでは、日本からも女性が参加して、「人間の盾」となって戦争をやめさせようとした人たちがいました。少なくともその人たちは目の前の子供たちを殺させませんでした。おそらく長い時間がかかっても、非暴力によってしか問題は解決しないと思います。非暴力で、「撃つな」と兵士たちに声をからして訴えている人たちは、未来を紡ごうとしているんじゃないでしょうか。非暴力の「小さな流れ」はやがて大きな奔流になっていくに違いない。
これは メッセージ 152314 (chottomato3 さん)への返信です.
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