悪
投稿者: fire_on_the_water 投稿日時: 2003/02/02 13:43 投稿番号: [151876 / 177456]
>確かに多くの戦争とともに多くの人が亡くなっている。
>しかし、そのことと今回のことを結び付けて考えるのは絶対に違うと思う。
>あなたがどの戦争でもどの事故でも亡くなった方の冥福を
>祈れるような人であってほしい。
>あなたのような思考の持ち主がいる限り、
>戦争などで命を落とす人が無くならないと思う。
確かにそうかもしれません。私みたいな人間が戦争を作っているのかもしれません。
そして世の中に戦争が多くあると言うことは
私みたいに考えてしまう人間が多いということかもしれません。
やっぱり私にも欠点はある。アメリカ人が死ぬのを見て「天罰だ」と思ってしまったのは他ならぬ私です。
しかし、そうだとすれば、どうすれば救いの道はあるのだろうかと自分で考えてしまう。
私が人間を磨けばよいのかもしれない。しかし私は修行僧ではないし、修行僧であれば必ずしも人間がしっかりできているわけでもない。
ある人は救いを宗教に求めるかもしれない。
しかしキリスト教にしろイスラム教にしろユダヤ教にしろお互いいがみあって、宗教のために殺し合いが発生しているのも事実。
もちろんアメリカ人が死んだのを「天罰」と思った私は、反省しなければならない。
しかし、どこに救いの道があるのか私にはまだ見えていない。 私が死ぬまでに道が見つかるかどうかについてもわからない。そもそもこの浮世に本当の善とか正義とかあるのかどうかもわからない。
多くの戦争が宗教の名や正義の名の元に行われている。
善という概念も曖昧だ。人は殺してはいけない。これはおそらく「絶対善」であろう。
しかし、実際には殺人や戦争は日常的に行われていて、全ての殺人者が「極悪人」というわけでもない。刑務所から出所して立派に更正している人も多い。また戦場にあっては「人を殺さないこと」は義務の放棄すなわち「悪」と見なされる。実際に多くの国の軍隊で敵前逃亡は「死罪」などの重い罪が課される。そういう現実の前で人を殺すのが善なのか、殺さないのが善なのか?
私の祖父は戦争に行って米英軍と殺し合いをした。もちろん実弾で殺し合いをした。幸い私の祖父は生きて帰ってきたが、多くの同胞は死んでしまった。生きて帰ってきた私の祖父は戦場で人を殺したかもしれない。いや、おそらく殺していたと思われる。そうすれば、私の祖父は「悪人か?」私にとっては私の祖父は悪人ではない。
しかしアメリカ人から見れば私の祖父は悪人かもしれない。私の祖父が戦場で銃を取らなかったら、敵前逃亡の罪で殺されていただろう。
もとより、完全な人間などいない。「天罰」と思った私も悪人かもしれない。しかし、私にだってよいところは沢山あるし、人に好かれてもいる。そういう私がアメリカ人が死ぬのを見て「天罰」と感じていた。
宗教にはおそらく救いはない。これはキリスト教とイスラム教の千年以上の争いをみれば明かだ。日本も昔は国家神道なるものがあった。しかし国家神道は悪か?と問われると必ずしもそうとは言えない。
靖国神社に祭られている戦死者の人達は悪人ではないはずだ。
何が善なのか?何が悪なのか?そもそも悪とか善とか区別しようとすること自体が悪なのかもしれない。いや、そういうふうに悪を定義すること自体が「いけないこと」なのかもしれない。
>しかし、そのことと今回のことを結び付けて考えるのは絶対に違うと思う。
>あなたがどの戦争でもどの事故でも亡くなった方の冥福を
>祈れるような人であってほしい。
>あなたのような思考の持ち主がいる限り、
>戦争などで命を落とす人が無くならないと思う。
確かにそうかもしれません。私みたいな人間が戦争を作っているのかもしれません。
そして世の中に戦争が多くあると言うことは
私みたいに考えてしまう人間が多いということかもしれません。
やっぱり私にも欠点はある。アメリカ人が死ぬのを見て「天罰だ」と思ってしまったのは他ならぬ私です。
しかし、そうだとすれば、どうすれば救いの道はあるのだろうかと自分で考えてしまう。
私が人間を磨けばよいのかもしれない。しかし私は修行僧ではないし、修行僧であれば必ずしも人間がしっかりできているわけでもない。
ある人は救いを宗教に求めるかもしれない。
しかしキリスト教にしろイスラム教にしろユダヤ教にしろお互いいがみあって、宗教のために殺し合いが発生しているのも事実。
もちろんアメリカ人が死んだのを「天罰」と思った私は、反省しなければならない。
しかし、どこに救いの道があるのか私にはまだ見えていない。 私が死ぬまでに道が見つかるかどうかについてもわからない。そもそもこの浮世に本当の善とか正義とかあるのかどうかもわからない。
多くの戦争が宗教の名や正義の名の元に行われている。
善という概念も曖昧だ。人は殺してはいけない。これはおそらく「絶対善」であろう。
しかし、実際には殺人や戦争は日常的に行われていて、全ての殺人者が「極悪人」というわけでもない。刑務所から出所して立派に更正している人も多い。また戦場にあっては「人を殺さないこと」は義務の放棄すなわち「悪」と見なされる。実際に多くの国の軍隊で敵前逃亡は「死罪」などの重い罪が課される。そういう現実の前で人を殺すのが善なのか、殺さないのが善なのか?
私の祖父は戦争に行って米英軍と殺し合いをした。もちろん実弾で殺し合いをした。幸い私の祖父は生きて帰ってきたが、多くの同胞は死んでしまった。生きて帰ってきた私の祖父は戦場で人を殺したかもしれない。いや、おそらく殺していたと思われる。そうすれば、私の祖父は「悪人か?」私にとっては私の祖父は悪人ではない。
しかしアメリカ人から見れば私の祖父は悪人かもしれない。私の祖父が戦場で銃を取らなかったら、敵前逃亡の罪で殺されていただろう。
もとより、完全な人間などいない。「天罰」と思った私も悪人かもしれない。しかし、私にだってよいところは沢山あるし、人に好かれてもいる。そういう私がアメリカ人が死ぬのを見て「天罰」と感じていた。
宗教にはおそらく救いはない。これはキリスト教とイスラム教の千年以上の争いをみれば明かだ。日本も昔は国家神道なるものがあった。しかし国家神道は悪か?と問われると必ずしもそうとは言えない。
靖国神社に祭られている戦死者の人達は悪人ではないはずだ。
何が善なのか?何が悪なのか?そもそも悪とか善とか区別しようとすること自体が悪なのかもしれない。いや、そういうふうに悪を定義すること自体が「いけないこと」なのかもしれない。
これは メッセージ 151874 (jzqhm4_7zwoyue さん)への返信です.
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